明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


もう少し楽になろうと再びマッサージに行く。予約の時に男性を指定するんだった。と思ったら、よりによって小さくて華奢な女の子が担当に。しょうがない一昨日の、頭の薄い男性にやってもらう気にれなかった手をやってもらおう。仕事柄か手が結構こるのである。ところがこの小さな娘が実に上手。ひじを使うのだが、これがジョニー・バレンタインのエルボーのように確実に急所にヒットする。おかげで何も注文することなく1時間が終った。血行が良くなったか、フラフラしながら帰る。このままゆっくり風呂に入って帰ろう。ウチの風呂には窓がないが、実家にはかろうじて小さな窓がある。電灯を消して、雪の外光のみでぬるい湯で長湯。母が私が死んでないか確認しつつ洗面所に電気ストーブを置いてくれる。ガラス越しの光が一見囲炉裏の火のようだ、と思ったが、浴室に並んでいるのは、毎年一月ほどアメリカから帰ってくる妹が置いていった、ジョンソン&ジョンソンやケロッグの(という雰囲気)何とかオイルだコンディショナーだと訳のわからないボトルの数々。尊王攘夷派はもう少しなんとかならなかったのか。風呂から出る。 夕食を食べている所にkさんよりメール。これから帰るよ。 数日振りのkさん。4日近く具合が悪かったらしい。てっきり大阪で飲みすぎたと思ったらそうではなかった。叔父さんの亡くなっていたことを知ったT千穂で、すでに酔っ払っていたが、明日朝早く大阪行くのに、そのあと4軒飲み歩き、それまで風呂も入らず飲んでばかりなので、錦糸町のサウナから翌朝大阪に向かったが、大阪に着いたとたん具合が悪くなったという。馬鹿じゃないの? 今日は今日で、たち飲み屋が一杯だったのでT屋にいくという。止めても無駄などでコンビニで別れる。しかしKさんがファンのT屋のかみさんは、朝担当でいるわけがない。外から覗くとカウンターで無表情なKさん。笑いをこらえて帰る。

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母が仕事の得意先にパソコンをやると余計なことをいったおかげで、パソコンにメールをもらったらしい。ノート型のXPを使っていた時は、確かにメールをやっていたが、昨年アメリカから妹が帰った折、スカイプがより簡単だと新しいパソコンに替えた。 私が母にパソコンをやらせたのは、サンフランシスコの孫とスカイプをやらせるためだったので、それも良いだろうと思ったのだが、メールができないという。携帯電話ではメールを毎日やっており、絵文字まで使うほどであるが、おかげでパソコンでのメールをしなくなり忘れたのだろうと思っていたが、ウインドウズ7にはアウトルックが使えず、入ってもいない。これでは判るわけがない。妹も機械音痴のくせによけいなことをしてくれたものである。仕方なくMozillaというメールソフトを入れ四苦八苦した。私も普段使うもの意外はサッパリなのである。母は三歩歩けばもう忘れるという始末だが、慣れれば何とかなるだろう。デスクトップには今拓哉、岩崎宏美夫妻と楽屋で撮ってもらった写真を背景にしてあげた。  昔、妹が働いていたオーストラリアのビデオを観ようということになり、観はじめて画面が汚れていたので母が拭くと、亡くなった父が「映っちゃうじゃないか」。という。何をいってるのか俄かには判らなかったが、某大工学部を出ておいてこの始末か、と笑うしかなかった。かつては電気といえば父の役目であったが、デジタル以前にすでについていけてなかった。 父に比べて母のチャレンジ精神は比べ物にならず、パソコンの前の母を見たら父はどんな顔をするであろう。何度か死にそうになり、ようやく退院してきたと思ったら、何事もなかったように相変わらず週刊誌を読み、水戸黄門を観ている父を見て、私はそうとうビックリした。母なら今のうち何でもしておこう、とジタバタすることであろう。好奇心は寿命にも影響しているはずである。ただ先日Kさんと電話を替ったおり、カラオケに行く約束をしたらしく、それはなんとしても阻止したい。

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実家に帰ったついでに陶芸家の先輩の家に寄る。熱帯魚のオスカーを飼っていて、久しぶりに見たらかなりの大きさになっていた。 中学の時に文化部では飼育部に所属していたが、予算を取りすぎだ、と他の部から非難されていた。こちらからすると、職員室の水槽から池まで掃除しているんだから当然と思っていたが、確かに自分たちの趣味の魚をかなり買っていた。そこで私と現在地元で美容院を営むYと一計を案じ、文化祭の出し物でオスカーの金魚丸呑みショーと、雄同士を一緒にすると死ぬまで戦うベタという、タイでは賭けの対象になっているという魚を戦わせ、非難の目をそらそうと考えた。教室は意外なほど女生徒の割合がたかく、あふれかえった。しかしいざ蓋を開けてみると、どちらの水槽も悠々と泳ぐだけで、何事も起きない。教室はざわつきだす。この催しに最後まで反対していた部長が、涙目になって非難を浴びているのを残し、首謀者の私とYはこっそり教室の後ろから逃げ出したのであった。現在Yはボディビルにはまり、サプリメントだビタミンだ、とやたら講釈が長い。そういうことに関心が薄い私を馬鹿にするのだが、小学生の時、教室の金魚の病気がビタミン不足と知り、水槽に家から持ってきたレモンを絞ったのを見ているのであまり説得力がない。

午後近くのマッサージに行く。ここで生まれて初めてマッサージに行き、これは良いと次の日に続けて行って震災にあった。一回目が男性であったが、その後若い女性ばかりである。私の背中は鉄板の如しで、女性は懸命にやってはくれるが、物足りず、もっと強くと何回もいいにくい。それに同僚の女性と、えらいのが当たっちゃったわ、とカーテンの隙間から目配せしてるのが気配でわかる。これはもう間違いなく判るのである。 今日行ってみると受付に5、6人の女性の中に頭の薄い男性がいた。生まれてはじめて若い女性より頭の薄い男性の方が良いと思った。

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一日  


午後図書館、夜はT千穂の常連とカラオケである。この店は自分の話ばかりする人がいないところが良い。私は昔から集まる人が多くなるにつれて、口数が減る。そういう場合、一人で喋ってる人に限って大人しいね、などという。あんたがさっきから喋ってるからだ、ということに気がついていない。T千穂の常連にはトラックドライバーが多い。つまり日ごろ車間距離に神経を使っているということであろう。おかげで人見知りの私がすぐ馴染み、カラオケまで行くことになった。 そのきっかけを作ったのがKさんである。この人も一人で喋っているのは私か、女性と二人の時で、他の人もいるときは、以外と脇にまわるのである。 一昨日飲んでいるところに、Kさんの大阪の親戚が亡くなったと電話がきた。普段携帯の電源を切っているものだから、葬式はすでに終ってしまったらしい。翌朝大阪にいくことにしたが、カラオケまでに帰ってくるという。このブログを読んでKさんを曲解している方々と違い、一番良く知っているT千穂の常連は「帰ってこなくていいよ」。と口をそろえる。結局間に合ったは良いが大阪で飲みすぎたらしく、青い顔して帰ってしまったという。 Kさん抜きで予定通り門前仲町でカラオケ。Kさんのいつものレパートリーは聴けなかったが、あいかわらず楽しく過ごした。私以外は皆さん競馬やパチンコをやるのだが、中でも競馬に関して博才があるのは看護師のMさんだけのように見える。カラオケ代をほとんど出してもらってしまった。帰りに店長の奢りでラーメンを。

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NHKの朝ドラ『カーネーション』は朝と昼の二回観てしまうことがある。主演の尾野真千子が良いからだが、なんでも晩年は夏木マリにかわるらしい。長女役より一つ齢下だそうだが、麻生祐未が婆さんをやっているんだから何とかなると思うのだが。 午後深川図書館へ。私はミステリーは詳しくないが、エドガー・アラン・ポーの『告げ口心臓』は江戸川乱歩の『白昼夢』に似ている。両方とも死体をバラバラにし、乱歩は死蝋にして店先に飾り、ポーは床下に隠す。両方とも犯罪に気づかない警官が死体のそばで楽しそうにしている。乱歩の場合は告げ口?するのは死体の産毛である。死体の心臓の鼓動が次第に大きくなり、というポーより乱歩のほうが面白い。 横尾忠則さん挿絵の講談社版で、中学生で始めてはまった大人向け乱歩作品が『白昼夢』である。横尾さんの挿絵では女の切断された首が描かれていて、私も迷わず首を切断した。乱歩の描き方のせいもあるのだが、5つに切断したのなら、普通に考えれば両手足を切断し、胴体には首が付いたままだろうとあとで気がついた。もっともケーキを不公平に切り分ける人もいる。 泉鏡花を読み、夏の夜に、線香花火の最後の松葉牡丹を見つめていたような、なんともいえない心持が醒めないまま帰る。

途中K本の馴染みと顔を合わす。最近私のブログを見てくれているそうで。そこでまたKさんである。あれはイタチかカワウソの化けた物が、人間の女性をたぶらかそうとして実力不足で失敗する話です。といいたかったが見世物小屋の呼び込みのようなので止めた。

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タイトルのわりに愉快な話ではない。 先日某出版社に出向いたわけだが、そこで飲まされた焼酎が粗悪な物で、悪酔いしたらしく気を失ってしまった。目が覚めると社長と編集者が改まった調子で企画書を示しながら、実は原作がある作品は原作料が払えないので、ビジュアルだけでなく文章も私に書いて欲しいという。人に頼むと金がかかるからお前が書け、とは二冊目の『Objectglass12』で似たようなセリフを訊いた気がする。ところが今回は冒険物語だというではないか。「そんなもの私に書けるわけないじゃないですか!」すると粗筋はすでに出来ているという。企画書のタイトルを見ると『への字のKさん漂流記』とある。夢という物は不思議なもので、Kさんが二十歳の時、自分で買って読んだ唯一の小説が『十五少年漂流記』だった、ということが頭に残っており、それを引っ張りだしてきたのであろう。粗筋を読むと『桃太郎』と『ロストワールド』を混ぜたような話であった。目が覚めるとどう混ざっていたのか定かではないのだが。 「ところで主人公のへの字のK公の野郎は、最後どうなるんです?」と訊くと「ビールを飲んで酔っ払って水の入ったカメに落ちて、おぼれて意識が薄れていくところで終る」。夏目漱石か? Kさんは猫というよりイタチかカワウソに近いのだが。 やはりタイトルのわりに愉快な話ではない。

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旅に出たはずのKさんからは昼夜問わず泥酔状態で電話がくる。年金と退職金でフラフラしている風船玉にそう付き合ってはいられない。先ほども電話が来たばかりである。しかしそれほど私と飲みたいのかというと、そうとばかりはいえないのである。店が終った後女性を誘い出すにしても、Kさんの不行状がたたって、二人きりになれるのは、Kさんが触りまくっても、ハエが止まってる程にも気にしないIさんか、いざとなったらノーモーションの強烈なビンタのYちゃんくらいのものなので、私を誘うのである。それでもロレツが回らない調子で、好きだ好きだとしかいわないので、相手もウンザリして私と話すことになる。とたんに悲しそうな顔になってしまう。いくら愛敬があるといっても、少ないボキャブラリーで、同じ話をくりかえされる方はたまらない。 昨日、飲んでいたところに母から電話があった。日ごろKさんの話をしているものだからKさんに代われという。中学の時亡くなったKさんのお母さんは、健在なら母と近い齢なので嬉しそうに話していた。Kさんの女好きは大半が母恋しさからきているようである。酔えば自分の娘や下手をしたら孫のような娘に「カアチャン々」と連呼している。 小学生のKさんとお母さんが二人で写っている唯一の写真がある。お母さんの命日に、遺骨と一緒に汚い布に包まれた写真を見たが、何にはさむでもないので皺くちゃで、肝腎の顔が欠けてしまっていた。それならお母さんの顔が写っている写真があれば、合成して上手く修正してあげようと、割烹着姿のお母さんの写真のコピーを預かっている。 そういえば、お母さんの命日に家で転んでコタツの角に、オデコをぶつけて23針のへの字のへェさんになったのであった。

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昼過ぎにKさんと定食屋へ。いつもなら定食など食べずに、ビールにつまみを突っついて終ってしまうKさんが鯖味噌定食。先日のダメージがまだ残っているようである。年齢を表すシワもオデコの傷も今日は深くみえる。酔っ払ってHさんを触りまくっていたことをいうと、しばらく旅に出るという。何度このセリフを訊いたことであろう。こういう見苦しい大人がいるから、酒場には小学生の子供など連れてくるなというのである。電波の届かない所へ行くというから、妙な連絡先だらけの携帯電話は置いて、とにかく北に行けといっておいた。
夕方本郷へ。倒産したパロル舎も小出版社が集まるいわゆる本郷村にあった。初めてパロル舎に出向いた時、明るいうちから、常備されているらしい焼酎が湯飲み茶碗で出た。社長の机にコンビニの寿司が並べられ「どうぞ」。出版社にも色々あるものだと思ったが、私も山賊のようなものなのですぐ馴染んだ。思えば『乱歩 夜の夢こそまこと』はこういう出版社でなければ出なかったであろう。 編集者と待ち合わせて喫茶店へ。何かシリーズを考えているそうで、その中の1冊を私で、ということらしい。ビジュアル本なので文章量の少ない短編で、ということであった。とりあえず出版社へ。 到着早々、コップにお湯と焼酎が注がれたのであった。

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いくつの時だったか、誕生日プレゼントに親から写真絵本をもらったことがある。たしかウォルト・ディズニーの『狼王ロボ』だったと思うが、何故か鉛筆で悪戯描きがある。久しぶりにアルバムを見ていて、親戚の店先で撮った写真の背景に古本屋が写っていた。実家の近所に古本屋はなかったので、ここで買ったのは間違いないだろう。たいした手間じゃないんだから、せめて消しゴムで消しゃいいじゃないかと思うのである。 昔の写真を見ていて目立つのは未舗装の地面である。思いのほか石ころがゴロゴロしている。ゼロメートル地帯だったので、台風というと必ずこうなる。子供ははしゃいでバシャバシャやっていたが、汲み取り便所のことまで頭はいかなかった。なんとも不衛生である。用便中、肛門からなにやら蟲がでてきてしまい、内臓がでてしまった、と慌てて押し込んだという友人がいる。そんな時代である。 小学校時代からの友人が昔、地元のミニコミにちょっとした連載をしていた。たまたま挿絵がわりに自分のアルバムから、シェーをしている飛び切り可笑しい写真を載せたのだが、それを見た婦人から「これは私のもらわれていった息子です」と連絡がきたそうで、友人から震える声で電話があった。相当ショックを受けている。笑いをこらえるのが大変であったが、そう思うと彼の銀行勤めの姉さんは彼に似ず馬鹿に美人だ。と一瞬思った。しかし姉さんが友人の家に鶴が一匹なので、もらわれて来たとしたら姉ちゃんの方だろう、と笑った。 アルバムの最後のページでは私もシェーをしている。

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最近ご近所に、このブログの悪影響がでている。私が繰り返し、実際はそんな良い物ではないといっているのに係わらず、珍しい動物でも観るようにKさんを面白がる傾向がある。 私が二三日飲み歩きませんとKさんにメールしておいて安心してK本に行くと、今日に限って携帯の充電切れで常連席にいる。もうパターンは決まっている。朝T屋で飲んでしまい、パチンコで時間を潰し、酔ったまま来てしまった。シラフでは一人でK本には入れない人である。すでにロレツが回ってない。 人前で平気で咳をするものだから私がマスクをあげたのにしない。Mさんにまたもらっている。だからあんたを心配しているわけではなく、周りに気を使え、といっているのだが、上京するまで裸足だった人間には通じない。上京しても、裸足で日本橋の寮から銀座を通って日比谷公園まで覗きに行った人には通じない。足音が心配なら、現場で靴を脱げ、という話である。マスクをいいかげんにするものだから私がなおしてやると、 それがかいがいしく面倒見ている図になってしまう。するとすかさずMさんが良いコンビだ相棒だ、などとからかう。さすがに大手ゼネコンを勤め上げたような人は、人を凹ませるコツをよく知っている。本来K本にはKさんの相手をする人間などいないはずなのだが、Mさんが下手にからかうものだから、相手してもらって喜んでる。 そこへ常連席唯一の女性であるHさん登場。泥酔状態の人間は女将さんに追い出されるはずで、ましてHさん相手に常連席で「オッパイ」と連呼する客など出禁間違いなしなのだが、女将さん最近耳が遠いので、ただ楽しそうに飲んでいるようにしか見えないらしい。 先に勘定を済ませ、Kさんをまくつもりで小雪交じりの寒い中、外で隠れていて、もういいだろうと出て行ったら、何人にも囲まれてまだいる。はたから見ると人気者のように見えるではないか。それは違うぞ。その扱いは間違っている。結局、ゾロゾロとT千穂へ。T千穂では隣のHさんを触りまくっている。ご存知の方は、その景色がどんなものか想像して見るが良い。Hさんも某女性のように青ざめるくらい顔面をブチのめさないと、今後K本にHさんを触りにくることになる。他の人も、エンガチョを引き受ける覚悟がないなら、餌をやったりからかわないことである。 

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フェイスブックにリクエストをいただいたDさんは、もう何年もお会いしていないが、私と生年月日が一緒で、未だにそんな人は他に知らない。内田百間のもとからノラが居なくなったのが昭和32年の3月27日の午後である。私が生まれて49日目ということになる。 手元に父方の祖父の字で『公昭寫眞集』と書かれたアルバムがある。昔、たまたま茶の間で両親がこれを広げているところを見たが、その表情を見るまでもなく、“当てが外れた。まさかこんなことになるとは思わなかった。”と二つの背中はいっていた。冗談じゃない、と以来私が持っている。これは当時父が親戚から、中古を譲ってもらった二眼のヤシカフレックスで撮られており、生まれてしばらくは珍しいものだから随分被写体になっている。お宮参りの写真もあるが、この直後にノラは居なくなり、百間先生は毎日泣き暮らすことになるわけである。そう思うと御当人には申し訳ないが、なんだか愉快である。 母は祖母から由来する動物嫌いである。おかげで家で飼えたのはセキセイインコや金魚、熱帯魚、亀がせいぜいである。父は亡くなる前、百間ではないが、三つの鳥かごに小鳥を飼っていた。子供の頃、犬を可愛がっていたと訊いていたので、子犬でもいたら父も少しは癒されるのではないか、とよく思ったものだが、ただでさえああだこうだ、と我儘をいう父の面倒で手一杯の母に、提案する気にはならなかった。

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撮影したい植物がある。植物に関してはまったく暗いので、今の季節どういう状態なのかは判らないが、おりを見て撮影したい。小学校でボランティアで花など面倒みているSさんに訊けば、生えている所が判るだろうと思っていたが、たまたま電話をくれた友人に訊いてみたら、観葉植物として自分で栽培してるし、よく蕎麦屋の店先に生えているという。不味い蕎麦屋にはよく水車が回っているが、そんなものが生えている画が浮かんでこない。興味のない物は目に留まらないように出来ている。こういう時ネットが有りがたい。キーワードであれこれしていて、近所の公園に生えていることが判った。 それにしても昨今のデジカメ、散歩好きの人たちのおかげでどれだけ助けられているだろうか。一人で何でもやらなければならない身としては、ロケ場所など歩いて探していたらキリがない。出かける前に凡その見当をつけられるのは有りがたいことである。 作品の中にある風景がでてきたとする。イメージに近い場所が探せたとして、そこに何々草や花が生えている、と書かれていたら、もうどこからか持ってくるしかないわけである。 随分前の話になるが、乱歩が上京してきて営んだ、団子坂の『三人書房』を画像として作ろうと思った当初、それらしい古本屋を探して、とアンケートまでお願いして探していたら、乱歩が描いたスケッチを見てしまい、そこからの合成は百数十のレイヤーを重ねることになった。頭に浮かぶイメージなど人それぞれだが、きっとこんな場所だったろう、と思ってもらえれば有り難いわけである。

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一日  


内田百間の鳥好きは有名で、狭い部屋に鳥かごを積み上げ、窮屈そうにしている写真が残されている。それが迷い込んだ猫をいつの間に面倒をみることになったわけだが、奥さんや周囲からすると、それほど可愛がっているように見えず、居なくなってからの歎きようは意外だったようである。ほとんどとりつかれた、という状態である。入れ替わるように居ついたクルも可愛がったが、それでもノラの幻影が拭いきれなかった。 有名な犬好きに吉田茂がいる。講和条約締結の記念にサンフランシスコで入手したつがいの犬に、サンとフランと名づけ、その子にシスコとつけた。またその子には、ウィスキー、シェリー、ブランデーとつけた。丁度その三匹が生まれた頃であろう。徳川夢声の司会で百間と対談をしている。犬猫談義になったようだが、百間は犬嫌いである。帰り際大人しい一匹に対し、「この物体は犬ですね。雑巾を絞ったようだ。どっちを向いているんだか、顔だか尻だかわからない」といって煙草の煙を犬の顔に吹きつけたらしい。さすがに吉田の見ていないところでだろう。吉田も日頃「犬に吼えられるような奴は悪党だ」といっているから目糞鼻糞である。
おそくにT千穂にいくと、こんな時挨拶のようにKさんどうした?という話になる。ここのところ風邪が長引いていて、比較的大人しくしている。浜松の自衛隊で買ったキャップを気に入っていていつもかぶっていた。どう考えても夏用じゃないのに、熱射病になり全身腫れあがった石垣島でもかぶっていたくらいである。それが最近かぶらない。どうも額のへの字の傷が隠れるからのようである。普通の人は額に大きなへの字があったら隠すと思うがKさんは逆なのである。T千穂のマスターは、以前は酔っ払ったKさんに夜中に飲みに誘われ迷惑していたが、私が相手するようになってなくなった、とニコニコしながら感謝される。なんだかエンガチョをバトンタッチされたような気分である。

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読書の一日。私の読書は一種のロケハンといってよいだろう。作品化するに価する場面を選定し、イメージを膨らませる。そのまま描き、何も加えないほうが良い場合と、時に書かれていない裏側まで描いた方が面白い場合があり、また、両者のバランスが重要である。 セルゲイ・ディアギレフの決定版伝記『ディアギレフ―芸術に捧げた生涯』ジェング・スヘイエン著 鈴木晶訳(みすず書房)がようやく出るようである。伝記好きの私としてはそれこそ待望の書である。岡田かつやはロボコップというより鉄人28号だが、あの頭、ヘアースタイルは、ディアギレフの真似しているようで可笑しくてしょうがない。ディアギレフは頭が大きすぎて、母親が難産で亡くなったらしい。帽子など色々苦労していたが。
世田谷文学館の内覧会。グズグズしているうちに出かけずに終りそうだが、まったく何も観に行かないというのも、と電車に乗る。京王線に乗るとKさんから『俺の女に手』。というメールが着た。おそらく『俺の女に手を出さないで』と書くはずが、送信してしまったのであろう。こういう意味不明なメールはしょっちゅうである。いや何故着たか判らなくもないのだが、これでもあまりに馬鹿々しい話は避けているので書かない。 世田谷文学館は何年ぶりであろうか。1930年代の世田谷はそれこそ二十面相が暗躍した寂しい場所であったろう。村山槐多の二少年図。乱歩邸にあったもので、当館で、この前で乱歩像を撮影したのが懐かしい。図録がハードカバーの立派な物であった。私は世田谷にも郊外というものにも愛着がないので、早く帰りの車中で熟読したい。隅田川の向うへ帰ろう。 
文豪アンケートの6名様の連絡先がようやく揃う。発送まで少々お待ち下さい。半数が志ん生という意外な結果に。背景はK本です。

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午前、埼玉より作品を取りに来ていただいた方があり、喫茶店で無事お渡しする。記念に撮影を、ということで店の人に撮って貰った。
私の1冊目の著書『乱歩 夜の夢こそまこと』だが、出版社が倒産し、倉庫も明け渡すという事態だというので、残部の20冊を引き取ることにした。アマゾンを見ると在庫は2冊。あとは店舗の在庫分で終わり、ということであろう。 2009年の県立神奈川近代文学館の『大乱歩展』では私の作品がメインビジュアルとして使われた。会場の書籍売り場には様々な乱歩本が並んでいたが、肝腎の拙著は置いていない。その中の作品が使われている。ここに置かずにどこへ置く、という場面だったのだが。契約的に、すでに私には売れても一銭もはいらないのだが、せっかくだから文学館にお願いしてみたら、真っ先に話をしたが、出版社に断わられたという。理由は判らないが、それじゃ駄目じゃん、という話である。 しかし、本を作ることにより、普段一人で制作している私には、共同作業の楽しみを味合わせてもらった。仮にデザインまで自分でやっていたとしたら、自分で見ていてすぐ飽きる物になってしまったであろう。客観的な目が加わってこそである。 というわけなので、今後作品集に使った作品を、HPで公開していこうと思う。今だったらこうする、ということはあろうが、真面目にやり過ぎるとどこか可笑しい、という現在の私の作風の最初が、この江戸川乱歩であった。周りでバタバタしたりグチャグチャしていても、乱歩先生はあくまで無表情である。

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