親族の集りである定例の会合で、我が親族の『ファミリーヒストリー』を話すことになり、正式な講演依頼が届いた。出席され聴かれる、いとこたちは、小さい時からお世話になった年上のかたがほとんど。気軽な気持ちで考えていたが、会場もファミリーがオーナーの創作料理の店であり、田舎の古民家を改造し、畑で採れた新鮮で安全な野菜の評判が良いと聞く。世話人の高齢者がいろいろと考えて盛り上げてくれているようである。地元新聞の記者もやってきそうである。今まで調べてきた内容に間違いはないのか、また親族の期待に応えられるのかどうかが気になる。今一度、内容を確認していこうと思っている。プレゼンテーション時には、あのバックグランドミュージックを流し、思い出のシーンを映像のスライドショーで観てもらう。さあ、どうなるかはわからない。
『家康伊賀越えの道』の宇治田原後半部分(宇治田原湯屋谷~大福谷~松峠~正寿院~遍照院)を歩いてきました。全くの山道で、小さな道の三叉路が頻繁に登場。パンフレットに詳しく書かれていますが、初めて来た人にとっては、大いに迷います。最大の難関は、松峠で細い道にせせらぎのような水が流れています。しかも、凍った場所もあり、ちょっとした油断で、すってんころりと転んでしまいました。左手で、支えたので、頭部は打たず、大事に至らなかったですが、左手甲が少し切れました。その後は、車も通る道に出て、正寿院、遍照院に出ることができました。1582年(天正10)6月3日の12時に宇治田原の山口城を出た家康一行が苦労しながら、逃走した道を自分の足で辿り、その時の家康一行の思いが伝わる時間でした。松峠は、やまじろで観られる、土塁、堀切、切岸のようなものがあり、俄かやまじろファンにとっても、興味が高まります。信楽街道の旅籠跡と言われているものもあります。家康の逃走路は、より魅力価値あるもので、全国に発信していかなければならないものです。
煎茶発祥の地永谷宗圓の碑
煎茶発祥の地永谷宗圓の碑
平成28年度の『つつきはっけん』の推進について、新たに運営協力していただける方々と打ち合わせをした。今年度のポイントは、京田辺から南山城へ拡大、講座とウォークの切り離し(別々の日に開催)、調査研究会の発足である。いくつかの具体的なテーマ候補を挙げ、準備しなければならないことを説明した。各イベントの企画、資料作り、各部門・部署への許可申請手続き、申込み・問い合わせ対応、当日の受付・参加費受取、会計精算・・・あらためてやるべきことを言い出すと、多いことを痛感し嫌気がさす。出来るだけ、負担にならずに開催できるように、申込み予約不要や参加費無料などの工夫をしながら、計画したいと思っている。より楽しんで実施できるように。
昨日朝、個人番号カードが交付され、手にすることができました。通知書が届き、即Web申請して、約3ケ月もかかりました。別に遅かったとは思わないのですが、申請システムや交付予約システムは、問題はなし。市内で10番目とのことですが、行政における私的なチェック者として、本格的なカード運用の前に問題がないかを探っていく。現在のところ、行政上の税務的なメリットとのことですが、国民のための行政であるならば、国民にメリットがあるような今後の計画を謳い文句にしてほしいと思う。問題あるのは、暗証番号、電子承認のため、4種類のパスワードがあることである。通常の人であれば、よくわからないと思う。自分たちの暮らしにどう影響するのかの説明をしてほしいものである。
2月12日の「つつきはっけん講座」で、この2年間、特に平成27年の総括、そして、これからのことについて、フリートークを行いましたが、ご参加されたある方から、感激するメッセージをいただきました。ご紹介させていただきます。
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ご苦労様でした。あれだけの多くの知識人を結集した伊藤さんの功績は大きいものです。
でも、組織体ではなく伊藤さんの発想と努力と情熱が柱になってますから、松陰のやったような塾方式ですね。長州藩の官僚抜きで新しく日本の新しい進め方を考え合って行動すべく志のある人たちを結びつけた絆役ですね。今は私塾の姿を見た想いでした。ですから 皆さんの意見を集めようとすると大変ですね。
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ということで、素直に思った以下のことを返事させていただきました。
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勇気づけられるメッセージ誠にありがとうございます。地域活性化活動を2年毎に、新たな取り組みを企て、平和で能天気な京田辺市に刺激をもたらそうと思いやってきました。実は、ご参加の皆さんやSNSブログをご覧の方、その他一般市民の方の中に、『自分たちもやらねば』との思いと動きが出てきました。平成28年度からの2年は、その人達とまた新たなチャレンジを行います。すでに骨格部を策定していますので、今から、打ち合わせを行います。また、ご報告をし、アドバイスをいただきたく思っています。体の続く限り頑張りたく思っています。今日の言葉は、一生忘れられないものだと感激しています。『あわてず、あせらず、あきらめず』を頭におきながら進みます。
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ご苦労様でした。あれだけの多くの知識人を結集した伊藤さんの功績は大きいものです。
でも、組織体ではなく伊藤さんの発想と努力と情熱が柱になってますから、松陰のやったような塾方式ですね。長州藩の官僚抜きで新しく日本の新しい進め方を考え合って行動すべく志のある人たちを結びつけた絆役ですね。今は私塾の姿を見た想いでした。ですから 皆さんの意見を集めようとすると大変ですね。
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ということで、素直に思った以下のことを返事させていただきました。
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勇気づけられるメッセージ誠にありがとうございます。地域活性化活動を2年毎に、新たな取り組みを企て、平和で能天気な京田辺市に刺激をもたらそうと思いやってきました。実は、ご参加の皆さんやSNSブログをご覧の方、その他一般市民の方の中に、『自分たちもやらねば』との思いと動きが出てきました。平成28年度からの2年は、その人達とまた新たなチャレンジを行います。すでに骨格部を策定していますので、今から、打ち合わせを行います。また、ご報告をし、アドバイスをいただきたく思っています。体の続く限り頑張りたく思っています。今日の言葉は、一生忘れられないものだと感激しています。『あわてず、あせらず、あきらめず』を頭におきながら進みます。
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昨日の竹取物語『第4回かぐや姫サミット』の報告です。
お世話役の役割は、ビデオと写真の撮影をして、パソコンに保存、その後ユーチューブにアップロードする準備でした。また、講演者、参加者へのご案内や知り合いの方が来られたので、主催者に紹介をしました。
講演内容は、神武天皇以前の竹内文書のこと、12000年前にあったとされる太平洋上のムー大陸、邪馬台国、徳之島のことでした。超古代史に関しては、その中味の話はなく、物事の考え方、見方の違いを説明され、邪馬台国、徳之島の話は、独断と偏見の主張であり、頭が拒絶反応を示しました。このような世界に興味を持って参加される人たちには、うなずく方、分からないが面白いといったようでした。今回の主張は、表に出ると問題になるから隠されてきたもので、世の中では受け入れられず、理解されていないとのこと。だから建設的に「こうしていきたい」が不足しているように思う。また、毎年思うことだが、このイベントは、名の通り、かぐや姫にまつわる討論で盛り上げたいものです。
お世話役の役割は、ビデオと写真の撮影をして、パソコンに保存、その後ユーチューブにアップロードする準備でした。また、講演者、参加者へのご案内や知り合いの方が来られたので、主催者に紹介をしました。
講演内容は、神武天皇以前の竹内文書のこと、12000年前にあったとされる太平洋上のムー大陸、邪馬台国、徳之島のことでした。超古代史に関しては、その中味の話はなく、物事の考え方、見方の違いを説明され、邪馬台国、徳之島の話は、独断と偏見の主張であり、頭が拒絶反応を示しました。このような世界に興味を持って参加される人たちには、うなずく方、分からないが面白いといったようでした。今回の主張は、表に出ると問題になるから隠されてきたもので、世の中では受け入れられず、理解されていないとのこと。だから建設的に「こうしていきたい」が不足しているように思う。また、毎年思うことだが、このイベントは、名の通り、かぐや姫にまつわる討論で盛り上げたいものです。
本日は、竹取翁博物館4周年記念イベントのお手伝いのために行ってきます。
以下、内容です。
○竹取物語「第4回かぐや姫サミット」
竹取物語から古代歴史を探る、日本は世界文明の発祥地 (出版記念シンポジウム)
1.竹内文書と民俗探訪から
2.日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”
■プログラム基調講演 シンポジウム
基調講演 小泉芳孝「竹取物語から見えてきた日本のルーツ発見」
シンポジウム (パネラー発表)
武内勝信「竹内文書の古代史」 (武内宿禰の末裔)
尹平安山「ムーと邪馬台国、中国夏・殷王朝」(古代歴史研究家)
質疑応答
※プログラム詳細趣旨
『竹内文書』研究から、隠されていた日本と世界の超古代史が明らかとなり、神代文字(カタカムナ文字等)から超古代が証明され、日本が世界文明の発祥地だったと判明。
以下、内容です。
○竹取物語「第4回かぐや姫サミット」
竹取物語から古代歴史を探る、日本は世界文明の発祥地 (出版記念シンポジウム)
1.竹内文書と民俗探訪から
2.日本のルーツ“ムー大陸と里帰り”
■プログラム基調講演 シンポジウム
基調講演 小泉芳孝「竹取物語から見えてきた日本のルーツ発見」
シンポジウム (パネラー発表)
武内勝信「竹内文書の古代史」 (武内宿禰の末裔)
尹平安山「ムーと邪馬台国、中国夏・殷王朝」(古代歴史研究家)
質疑応答
※プログラム詳細趣旨
『竹内文書』研究から、隠されていた日本と世界の超古代史が明らかとなり、神代文字(カタカムナ文字等)から超古代が証明され、日本が世界文明の発祥地だったと判明。
平成28年度の地域活性化活動における市の後援承認がされ文書で連絡があった。今年は、申請~承認期間が2日。迅速に手続きがなされたことは評価する。確かに、2年間、また個人的には、4年間イベント承認がされている。しかし、評価検討部門は、我が活動について、リアルで観て実感をとらえ評価しているのかというと全くのその意思はないといってよい。ということから考えると、昨日の講座には、山城広域振興局の方が参加されたのは、うれしかった。こちらの声を素直に聞き、行動に出られたことを評価したい。しかし、市の方は、当方の活動は他のイベントよりも知っているとはいえ、相変わらず、単なるイベントに関する書類上の支援や機械的な認識になっているのではなかろうか?これでは市の発展にはつながらない。参加者からの強い要望である「広報京たなべ」のイベント案内の掲載はお願いしたい。広報誌の紙面余裕がないという問題は、記述の工夫、他の案内分を簡潔にするだけで十分可能である。なぜ、実行しないのか?奇しくもあの方がおっしゃっていた、体質とのことだが、これこそ、改善していかねばならないことである。また、変えさせることが、市民の役割でもある。
本日は、平成27年度最後の『つつきはっけん講座』です。連続講座開催で市民の方に少しずつ、知れ渡りました。この2年間の講座&ウォークを振り返り、質疑、発見した魅力、来年度の要望・計画などを話し合う、フリートークです。10時:社会福祉センター、無料、申込不要、誰でも気軽に覗いてみてください。今回は、音楽入りの動画と写真のスライドショーでトークの盛り上がりを図ります。依って、好評と聞いています、パワーポイントのスライド資料はありません。
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午前中、2時間、スケジュール通り終了しました。
24名の出席でした。
・照準を京田辺から南山城へ・・・>計画にある
・最近「広報誌京たなべ」のイベント案内に掲載されていない・・・これが市の体質、広報誌の充実、市HPやグッディでフォローすべき
・イベント案内は、つつきはっけんHPやブログが適確・・・>インターネットを使ってほしい
・中世の館の計画は・・・>山城も含めて計画にある
・一人ではしんどい、皆で分担する運営を・・・>全くその通り
・昔の京田辺の映像を編集し、分かりやすいようにしたい・・・>その通り
上記のような意見交換をしましたが、実は、平成28年の計画の中に、ほとんどが含まれており、より内容の充実、運営の簡素化、楽しみな講座&ウォークを目指したく思っています。
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午前中、2時間、スケジュール通り終了しました。
24名の出席でした。
・照準を京田辺から南山城へ・・・>計画にある
・最近「広報誌京たなべ」のイベント案内に掲載されていない・・・これが市の体質、広報誌の充実、市HPやグッディでフォローすべき
・イベント案内は、つつきはっけんHPやブログが適確・・・>インターネットを使ってほしい
・中世の館の計画は・・・>山城も含めて計画にある
・一人ではしんどい、皆で分担する運営を・・・>全くその通り
・昔の京田辺の映像を編集し、分かりやすいようにしたい・・・>その通り
上記のような意見交換をしましたが、実は、平成28年の計画の中に、ほとんどが含まれており、より内容の充実、運営の簡素化、楽しみな講座&ウォークを目指したく思っています。
自宅から近い京田辺市普賢寺で、東大寺二月堂『修二会』のお松明に使う竹送りの行事がありました。東大寺お水取り(3/1から2週間)のクライマックスの日、3月12日深夜(3/13 1:30)に使う、籠松明になる真竹を掘り起こし、二月堂まで運びます。昔は、牛の大八車で運んだのですが、今では、トラックで運搬します。普賢寺の真竹は、太く良質であるために、お香水をくみ上げるクライマックス儀式にしか使われません。年々、他府県からの参加者が増加しています。小学生から大人、高齢者までが集うイベントになり、復活した当時から、参加している私としては、うれしい限りです。今年は、いつもの竹堀り場所がイノシシに荒らされたので、場所を宇頭城に変更し、2本の真竹を掘り起こし、大御堂観音寺に運搬、祈願をした後、計7本二月堂まで送りました。
本日も、沢山の方とお会いしお話をしました。このような伝統的なイベントで、人々やまちやこころがつながっていきます。いつまでも伝えていきたい京田辺の誇り高き行事です。
本日も、沢山の方とお会いしお話をしました。このような伝統的なイベントで、人々やまちやこころがつながっていきます。いつまでも伝えていきたい京田辺の誇り高き行事です。