家康の伊賀越えルート調査のために、交野市教育委員会を訪れました。交野市星田には、家康に関する史跡とともに興味深い伝承があります。伊賀越えについては、星田までの逃走路、6/2の未明に家康一行が藪に潜んでいたという真実性、などを中心に、文化財係りの方にお尋ねしました。
会話の中で、その情報の出どころが問題となりました。飯盛山の西麓(即ち、住吉平田神社)から星田までのルートというと、住吉平田神社が疑われ、徳川実記のことには書かれていませんとのこと。帰宅後調べると徳川実記にも飯盛は、記述されているから、質問事項としては、意味があったと思っている。ちなみに、徳川実記には、伊賀越えが5~6日間。伊賀のお伽峠を逃走など、公式記録でも誤っている可能性は大であるので、歴史史料はよくよく注意をしなければと思う。
それでも、交野の街道地図、伊賀越え情報に関する最新の出版物、関係者の名前を知り、これから調べて研究するテーマとしては、益々面白くなりました。
なお、市役所の方とお話しする中で、交野観光協会の会長が知り合いだとわかり(思いだし)、早速連絡を取っていただきました。企業時代の大先輩なので、連絡があることを待っています。
会話の中で、その情報の出どころが問題となりました。飯盛山の西麓(即ち、住吉平田神社)から星田までのルートというと、住吉平田神社が疑われ、徳川実記のことには書かれていませんとのこと。帰宅後調べると徳川実記にも飯盛は、記述されているから、質問事項としては、意味があったと思っている。ちなみに、徳川実記には、伊賀越えが5~6日間。伊賀のお伽峠を逃走など、公式記録でも誤っている可能性は大であるので、歴史史料はよくよく注意をしなければと思う。
それでも、交野の街道地図、伊賀越え情報に関する最新の出版物、関係者の名前を知り、これから調べて研究するテーマとしては、益々面白くなりました。
なお、市役所の方とお話しする中で、交野観光協会の会長が知り合いだとわかり(思いだし)、早速連絡を取っていただきました。企業時代の大先輩なので、連絡があることを待っています。