桶狭間の戦いの城塞群(古戦場)に行ってきました。
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スライドショー(矢印をクリックすると、写真がスライドします)
今川領の大高城(おおだか)に対して、織田の丸根砦、鷲津砦。今川領の鳴海城に対して、織田の善照寺砦、中島砦、桶狭間古戦場公園、桶狭間古戦場伝説地、七つ塚、おけはざま山(義元の陣所)近辺を、5時間半で巡ってきました。信長の味方が攻撃されるのを待って、出陣するという捨石的な大胆な作戦、味方にも作戦を漏らさない徹底ぶりには、冷酷、非情さを感じますが、戦国時代はそうでなければ天下を取ることができない時代でした。戦国の戦いは、陣地争いであり、強者が弱者を食いつぶしていくことにより、展開していくのですが、いつも思うのは、一般の民衆・農民はその都度、歴史にあまり刻み込まれない災難続きであったろうと思います。こんにちの平和と自由平等を改めてかみしめながら、感謝の念です。(愛知用水、名鉄の速度表示)
ところで、昨日出会い、ブログでアップした二人の子供たちは、・・・・。
信長の父である信秀から鳴海城を任されていた土豪山口教継が寝返り、今川につくのですが、義元に切腹を命じられ、またその子も信長に殺された山口重継の子孫だということでした。
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今川領の大高城(おおだか)に対して、織田の丸根砦、鷲津砦。今川領の鳴海城に対して、織田の善照寺砦、中島砦、桶狭間古戦場公園、桶狭間古戦場伝説地、七つ塚、おけはざま山(義元の陣所)近辺を、5時間半で巡ってきました。信長の味方が攻撃されるのを待って、出陣するという捨石的な大胆な作戦、味方にも作戦を漏らさない徹底ぶりには、冷酷、非情さを感じますが、戦国時代はそうでなければ天下を取ることができない時代でした。戦国の戦いは、陣地争いであり、強者が弱者を食いつぶしていくことにより、展開していくのですが、いつも思うのは、一般の民衆・農民はその都度、歴史にあまり刻み込まれない災難続きであったろうと思います。こんにちの平和と自由平等を改めてかみしめながら、感謝の念です。(愛知用水、名鉄の速度表示)
ところで、昨日出会い、ブログでアップした二人の子供たちは、・・・・。
信長の父である信秀から鳴海城を任されていた土豪山口教継が寝返り、今川につくのですが、義元に切腹を命じられ、またその子も信長に殺された山口重継の子孫だということでした。
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青春18切符の第4弾。本日は、桶狭間に行ってきました。現在、安部龍太郎の『家康』が新聞連載されていますので、そこに登場する古戦場、陣城、砦を回ってきました。現在では、当時の今川と織田の戦い跡は、ほとんど感じられないところです。信長の奇襲戦法が勝利をもたらしたといわれていますが、奇襲は、相手の位置、動き、情報等が、把握されているからこそ、奇襲が勝利につながるのではないかと思います。実は、家を、5時45分出発、10時前から、約5時間半、休みなく歩き回りました。帰宅は、7時半。相当疲れましたので、詳細は、明日アップします。
この二人の子供たちは、桶狭間の戦いとどういう関係でしょうか?わかりますか?
この二人の子供たちは、桶狭間の戦いとどういう関係でしょうか?わかりますか?
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関西の歴史好きな方々の要望やお誘いもあって、ついに、「JRふれあいハイキング」コースに応募しました。徳川家康の伊賀越えシリーズを展開していきたく思っています。取りあえず、様子見の意味もあり、9/27に第1弾として、地元の京田辺東(三山木~飯岡~草内~同志社)コースを応募しました。ハイキングしながら、地元に伝わる伝承物の語り等が、このイベントにマッチするのかが気になりますが、京田辺のもう一つの売り物やPRになればという思いが高まります。そして、ここまで来た以上は、出来るところまで、自分を試していきたいと思っています。