国道58号線から古宇利(こうり)島へ渡るためには、奥武(おう)島、屋我地(やがぢ)島を経由して行きます。
最初にあるのが、奥武島。
奥武島は、死者を弔った場所で聖地として崇められ、住むことが禁じられていた島です。
浅い海で、潮が引くと、こうなります。
引き潮だと、地続きになり、渡れそうです。
一日に2回、引き潮になると渡れる島だから、聖地になったのかな。
ヒルギの仲間でしょうか。
植物も、少しずつ耐えながら、渡り始めています。
人間は、この時を逃さず、潮干狩りです。
屋我地大橋の手前側に、石碑がありました。
のがれの島の碑
ハンセン病患者達が、住む家を焼かれてしまい、逃れた島には水がなかった。
そして、屋我地島に地上の天国を建設したことが記されています。
中央の小さな島が、半年間のがれて生活したジャルマ島です。
ここも、死者を弔っていた島だそうです。
屋我地大橋を渡り、屋我地島の先端に、国立療養所があります。
石碑に出てくる青木恵哉が、偏見と闘いつつハンセン病者安住の地を勝ち取った。
安住の地を求める姿は、「砂の器」を思い出しました。
国立療養所 沖縄愛楽園
古宇利大橋からも、見えます。
美しい風景にも、人々の様々な歴史があります。
最初にあるのが、奥武島。
奥武島は、死者を弔った場所で聖地として崇められ、住むことが禁じられていた島です。
浅い海で、潮が引くと、こうなります。
引き潮だと、地続きになり、渡れそうです。
一日に2回、引き潮になると渡れる島だから、聖地になったのかな。
ヒルギの仲間でしょうか。
植物も、少しずつ耐えながら、渡り始めています。
人間は、この時を逃さず、潮干狩りです。
屋我地大橋の手前側に、石碑がありました。
のがれの島の碑
ハンセン病患者達が、住む家を焼かれてしまい、逃れた島には水がなかった。
そして、屋我地島に地上の天国を建設したことが記されています。
中央の小さな島が、半年間のがれて生活したジャルマ島です。
ここも、死者を弔っていた島だそうです。
屋我地大橋を渡り、屋我地島の先端に、国立療養所があります。
石碑に出てくる青木恵哉が、偏見と闘いつつハンセン病者安住の地を勝ち取った。
安住の地を求める姿は、「砂の器」を思い出しました。
国立療養所 沖縄愛楽園
古宇利大橋からも、見えます。
美しい風景にも、人々の様々な歴史があります。