沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

国頭(くにがみ)村・祖国復帰

2007-10-01 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
約25km走行して国頭村に入りました。
2時間20分経過。あと半分あるよ。
スーパー島袋でパンを買って砂浜でいただく。
オクマビーチが見えた。

奥間を過ぎると、はるか先に目的地が見えたよ。
快適な海岸サイクリングは続きます。

辺戸(へど)岬まで、あと17km。
 
謝敷(じゃしき)という集落に、歌碑が立っていた。
 謝敷いたびせに うちやりひく波の
 謝敷みやらべの め笑れはぐき
意味は、
 謝敷海岸の板千瀬に 打ち寄せる白波は、
 謝敷乙女の ほほ笑む白い歯並みのようだ

海を見ながら、三線を弾いて、唄うのかな。
聴いてみたいね(^^♪
近くの海は、こんな感じ。

このトンネルを抜けると、岬はすぐです。
海岸の岩が、ゴツゴツしてきたよ。

本島最北端の辺戸岬に、着きました。
断崖絶壁の景色が、壮観です。
既に、4時間45分経っていました。

押し寄せる波が、結構激しいです。

遠くに、与論島が見えますか。

1952年のサンフランシスコ講和条約で日本が国際社会に迎えられ喜んだとき、切り離された悲痛な思いが、沖縄県民の心に残りました。
本土復帰を願って、はるか与論島を望みながら、かがり火を焚き集会を行なった。
条約から20年後、やっと本土復帰を果たした時、この地に「祖国復帰闘争碑」が建立された。

祖国復帰闘争碑
  全国のそして全世界の友人へ贈る
吹き渡る風の音に、耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる波濤の響きを聞け
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
 ”鉄の暴風”止み、平和の訪れを信じた沖縄県民は
 米軍占領に引き続き、一九五二年四月二八日
 サンフランシスコ「平和」条約第三条により
 屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
    …(中略)…
 しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく
 ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
闘いを振り返り、大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い
決意を新たにし合うためにこそあり
 人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理の下に
 生きながらえ得るために 警鐘を鳴らさんとしてある