沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

樹のアーチ

2005-08-13 | 浜松のくらし
雄踏町で発見です。どうやって作ったのか不思議です。
つる植物じゃなくて樹木自体が曲がってアーチを作っている。相当頑固な人が長い年月をかけて仕立てたものに違いない。
見とれていると愛車のブレーキ音に気付いたおばあさんが玄関から顔を出した。スルドイ。
アーチを指して「すごいですね」と叫ぶと「これかい」という感じでおばあさんもアーチを指して、奥に下がった。
自慢のアーチだろうね。

三島神社

2005-08-13 | 浜松のくらし
田畑の中にこんもりとした緑の丘がある。
不思議に思い近付くと階段と鳥居が見えた。森全体が神社になっている。トトロだぁ。
100段弱の階段を上がると海まで見渡せる。
大きなカシノキが風を受けると、たくさんの葉が音を立てていくつもの音が重なり、潮騷のようだ。
ここには木陰と心地よい風があった。



高垣

2005-08-13 | 浜松のくらし
冬に浜名湖をわたって来る西風は厳しい。
イヌマキの生垣(高垣)があった。少し外れて旧い道を走ると暮らしぶりがよくわかり発見がある。
新しい道は、走るのが楽だけど生活感がない。旅における各駅停車と急行の違いかな。

赤信号で隣に並んだ車は、若いカップルで涼しそうで楽しそう。彼らから見ると、土方焼けの日焼けで暑い中チャリンコしてるオイラは、フン、とか言いながらカラダの片側だけ日焼けしたアイフルおじさんそのものかも…。
計画的に行こう。

浜名湖

2005-08-13 | 浜松のくらし
丘を越え谷を超え、西を目指すが、水が低きに流れるごとく、愛車も低きに流れ浜名湖に着いた。
暑い。随分走るが風と木影がない。熱中症になりそう。
浜名湖のお魚さんが、時々水面から大ジャンプするけど、オイラを歓迎してるのかな。


日本人は魚

2005-08-13 | 浜松のくらし
「昔ながらの魚屋、日本人は魚」と大きく書いてある。意気込みが伝わるね。
昔から活きの良さを出すために威勢がいい商売は八百屋と魚屋だったけど、最近の魚屋さんは苦戦してる。八百屋さんは体力勝負で新規参入可能な商売だけど、魚屋さんは包丁技術がいるし手も荒れるで大変だ。看板で勝負だね。

どこを走る?

2005-08-12 | 浜松のくらし
旧浜松市内は歩道が多く、区画整理した市道は4車線で歩道も広い。
ところがここは郊外の道で、県が管理する国道。歩く人が少ない所や拡幅用地が無い所では、歩道は道路側溝の蓋の上になる。
側溝の蓋の上を走ると、ボコボコボコボコッと連続音がする。音だけなら構わないが、路面の振動を忠実に拾う。長距離自転車こいだお尻は、この振動を拒否する。一方、アスファルトは滑らかでお尻も快適だ。一番いいのは白線の上。ドライバーは、なんで車道を走るんだと思うだろうなぁ。
ドライバーは急坂でも右足を少々踏むだけですいっと登って行けるけど、こっちは立ち漕ぎをして自分の呼吸を聞きながら、腕やわき腹お痛みに耐えてる。どっちが健康的で、どっちが環境にやさしいだろうか。自転車で走ると、目の不自由な人や車椅子の人とすれ違い、気づいたり、声をかけたりできる。駐車する時は自転車を考えて注意してね。町なかの面白いものは歓迎。


引佐高校

2005-08-12 | 環境教育
引佐(いなさ)高校の前を通過です。休憩です。7年前に体育館で全校生徒を対象に環境教育の授業に来ました。今から思えばちょっと無謀。
リンゴを地球に見立てて、切って地球の食糧問題や南北問題などをやりました。川を汚したのは誰かもやったと思う。覚えてるかなぁ。
帰りは先生に浜松駅まで車で送ってもらったが随分遠いと感じた。アクトタワーと三方原の防風林に驚いた。後にこうやって自転車で通りかかることになるとは、あの時思いもしなかった。

夕立

2005-08-12 | 浜松のくらし
ゴロゴロ空がなって激しい夕立だぁ。龍潭寺の入口でしばらく雨宿りさせてもらう。
やはり雨宿りの地元のおばあさんと世間話。「今年は夕立が殆ど無く涼しくなってうれしい。」「引佐のひよんどりや横笛が素晴らしい。」
寺の人が来て傘を貸そうかと言われたが、自転車なのでとお断りする。親切な人たちだ。やがて雨が上がり、雨宿りの御礼を言って出発。


小堀遠州

2005-08-12 | 浜松の歴史
遠州といえば、遠州地方、遠州鉄道、遠州灘海岸とあるが、小堀遠州もお忘れなく。井伊家が小堀遠州に造らせた龍潭寺(りょうたんじ)庭園。遠州の古刹 龍潭寺
近江出身の小堀政一は、家康に駿府城の築城を命じられ、その功績で遠州地域を任され小堀遠江守政一(こぼりとおとうみのかみまさかず)、通称・遠州と名乗った。滋賀のプロフィール 人物編
建築、造園、茶道の達人だ。
畳に座って日本庭園を見ていると落ち着きます。正面が守護石、右下が亀島、左の方に鶴島、心字池。左甚五郎作と言われる、歩くと床が鳴る鶯張りの廊下もあります。


無銭飲食ダメよ

2005-08-12 | 浜松の歴史

家康は、三方ヶ原の戦いで浜松城へ逃げ帰る途中、道ばたの小さな茶店であずき餅を食べていた。

そこへ武田軍の追っ手が来たため、慌てて代金を払わず逃げ出した。

「無銭飲食は許さない!」

と茶店のおばあさんは家康を追いかけ、追いついたこの地で会計を済ませた。

それが「銭取り」の地名の由来らしい。

近くで働いている人に尋ねてみたが、地名とこの標識「銭取まんじゅう跡」以外には何もないようだ。

追いついただけの場所だから、現地には何も残っていない。

どうしてこの場所と特定できたのか謎だ。

また、おばあさんには非がないのに「銭取り」とは気の毒だ。


家康の武田軍夜襲と供養

2005-08-12 | 浜松の歴史
犀ヶ崖は家康が信玄と戦った史跡です。三方ヶ原の戦いで生涯で唯一負けた家康が浜松城に逃げ込んだ後、反撃しようと犀ヶ崖近くに夜営する武田を急襲し、深い谷に騎馬隊が転落死した。突然現れる深い谷に、夜で不案内な武田軍は気づかなかった。
後年、たたりが出たため家康は僧侶を招き太鼓を一週間鳴らし供養した。こうして遠州大念仏が広まったそうな。
犀ヶ崖資料館

ミュシャのある部屋

2005-08-11 | 浜松のくらし
再びミュシャ展へ行った。開催期間は28日までだし。
前回買おうか迷ったポスターをゲット。500円なり。
額縁に入れると美術館なり。部屋の雰囲気が変わるね。
ミュシャ展
浜松市美術館/新「浜松市」誕生記念 特別展

公園の中にある美術館。せみ取りの少年とすれちがう。麦わら帽子かぶろうね。