8月1日。綾部市制施行65周年の記念式典に出席した。綾部市になって65歳。還暦をすぎ、高齢者になっていくのだなあと思った。
功労者表彰では、四方源太郎後援会の役員もしていただいている川北淳元市議会議長、木下芳信元市議会議長、田中正行元市議会副議長も表彰を受けられた。
15時半からは、行政書士会中丹支部の研修会に講師としてお招きいただき、「集団的自衛権と憲法9条」というテーマで、お話をさせていただいた。
国会での安保法制の議論を聞いていても、何が正しいのか分かりにくいことではあるが、歴史を年表にして、時系列に添って説明させていただいた。
昭和20年8月に日本は無条件降伏し、翌21年11月に日本国憲法は公布された。
第9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」というものだ。
元々の草案は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」というものだったが、衆議院帝国憲法改正案委員小委員会の芦田均委員長によって、下線部が追加修正された。(芦田修正)
9条がなぜ作られたかには諸説あるが、元々の草案を読めば、まさに日本を武装解除するためのものであり、最近、朝日新聞のアンケートに対して、憲法学者の多くが「安保法制も違憲、自衛隊の存在も違憲」と答えるのも分かる。
しかし、昭和25年朝鮮戦争が勃発するとアメリカの都合が変わり、警察予備隊が設立され、今の自衛隊につながっている。昭和26年にサンフランシスコ平和条約(同時に日米安保条約)が結ばれるまで、日本は占領下にあった。その中で作られたのが今の憲法であり、自衛隊である。
昭和30年に自民党が結党し、自主憲法の制定を党是に掲げ、これまで活動している。
自民党の憲法草案では、第9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。②前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」となっている。
「戦争は絶対にいけない」というのは誰しも一致しているが、「戦争を仕掛けるのはもちろん、仕掛けられるのも避けられる限り、避ける対策をとらなければならない」という点に見解の相違があるように思う。
安全保障や危機管理というのは、最悪に最悪の想定を重ねて、取りうる最大の対策を取る必要がある。
それを「戦争屋」とか、「戦争法案」と言ってしまい、恣意的に新たな火種を生み出そうとしている人たちがいることは決して「平和」への道ではないと思う。
終了後は懇親会にも出席させていただいた。