8日㈮朝、哲史さんが来られて、少し打ち合わせと次の日曜日の「日曜議会」から始まる3月市議会一般質問の内容について教えてもらった。
その後、京都へ向かい、団会議を経て、13時30分から、府議会の環境・建設交通常任委員会を開催。
まずは付託議案の討論・採決、審査依頼議案の適否確認を行った。議案は全て可決された。
付託請願については、意見を聴いた後、採決し不採択となった。所管事項についての質問がその後に何人かの委員からなされた。
最後は一年間の委員会活動を振りかえっての「委員会活動のまとめ」をそれぞれの委員が発言した。理事者を代表して藤森和也建設交通部長が挨拶を述べられた後、私も委員長として最後に挨拶をさせていただいた。
皆さんの協力によって、初めて常任委員長になり、良い経験をさせていただくことができた。ありがとうございました。
委員会終了後は綾部に戻り、夜は選対の街宣部会(柳原秀一部長、藤岡康治副部長)に出席し、ご挨拶させていただいた。選挙でお世話になる「うぐいす」さん方に集まってもらって、スケジュール等を相談をしていただいた。
8年前の初当選のことを振りかえって、当時の雑誌を改めて読んでみた。当時37歳、9494票をいただき、府議会に押し上げていただいた。
記事は下記のように書いてあり、今読み返すと「なるほどな」と分かることがある。当時はとてもそんな余裕を持って考えられなかったが…。
「初心を忘れず」「誹謗中傷に姿を変えた叱咤激励」「批判は容易には得難いある種の安全装置」。
まだまだ全く、この記事の期待には、応えられていない。さらなる努力が必要だ。
《記事引用》
・・・前略・・・
「反対勢力」からは「なんで綾部市の市会議員もできない者が府会議員になるか。金か、地位か、名誉か。間違いなくこの3つだろ。市長の息子だからって調子に乗りすぎ。ただの偽善者だろ。ただちに辞めてくれ。君では綾部市は良くならないし、京都府ももちろん君を望んでいない」という誹謗ないし中傷も寄せられているが、これらは、彼が「四方源太郎」である限りは宿命的に、あるいは運命的にその行く手の先ざきに常に撒き散らかされているであろう誹謗中傷を装った叱咤激励である。
そして、この誹謗中傷に姿を変えた叱咤激励こそは、たとえ求めても容易には得がたいある種の安全装置の役割を「四方源太郎」には果たしてくれるものとなるであろう。
この安全装置があるかぎり「源太郎」が怠慢にふけり、安逸をむさぼり、そしてどこにでもいる唯々諾々とした政治屋になることは決してないのである。
そして当面は、国際的経済人としての視野の広さと見識を持つ山崎善也綾部市長との連携によって、綾部一市の政治課題に取り組まざるを得ないだろうが、やがては北部を代表する真の政治家へと成長脱皮して、地方主権といわれるこの時代にありながら、なお南高北低の行政格差に手をこまねいている京都府政を正し、北部30万の純朴な府民に政治の光りを…と願う。