午前中は大叔母さんの法事に出席。うちの両親が京都綾部会の総会に参加したため、代理でお参りさせていただいた。
祖母が長女だったので、一番上座に座らせていただき、献杯の挨拶もすることになった。
祖母には妹が二人おり、よく三人集まっては、こたつやテーブルを囲んで、延々とおしゃべりしておられたのを思い出す。
午後は水源倶楽部の一斉行動に参加した。初めての活動だったが、おかげさまで有意義な活動をすることができた。
夜は一斉行動の打ち上げがあった。
午前中は大叔母さんの法事に出席。うちの両親が京都綾部会の総会に参加したため、代理でお参りさせていただいた。
祖母が長女だったので、一番上座に座らせていただき、献杯の挨拶もすることになった。
祖母には妹が二人おり、よく三人集まっては、こたつやテーブルを囲んで、延々とおしゃべりしておられたのを思い出す。
午後は水源倶楽部の一斉行動に参加した。初めての活動だったが、おかげさまで有意義な活動をすることができた。
夜は一斉行動の打ち上げがあった。
午前中は、来週の“大本もみじまつり”に使う『竹行灯』を製作した。NEXTで実行委員会に入っており、昨年に引き続き、担当している。
正暦寺の裏手の藪から竹を伐り出し、それを加工していくのだが、120個も作るため、手作業ではなかなか進まないし、機械を使おうにも機械は数が少ない。
泥まみれになって、竹を運び出して、半分ほど済んだところでお昼前になった。弁当をもらって帰って、13時からの葬儀に参列した。フロンティアの曽根理事長のお母さんが亡くなられた。101歳の大往生だった。
息子さんの豊さんが事故に遭われてからは、その看護に一身を捧げられたお母さんだった。9月下旬に入院されたが、『豊君のこと』の発刊と合わせて開催されたホテル綾部での個展が始まると少し元気を取り戻され、11月10日まで延長された個展の終了を見届けるように12日に息を引き取られた。
曽根さんのお母さんへの想いのこもったお葬式だった。
夕方からは2つの会議。
夜は会社で作業をした。
夜、山崎ぜんやさんと一緒に、国際交流協会の例会に参加した。
先日のボランティアフェスティバルの時に、一度のぞかせて下さいとお願いしていたものだった。
30人ほどの方々が集まって、それぞれに日本語を勉強したり、交流を深めておられた。綾部の工場に中国から研修に来ておられる方お二人とお話をさせていただいた。
「四方」と名乗ったら、「四方!四方!」とテンションが上がり、「四方八洲男」と書いて、外国人登録証にある市長の名前も見せてもらった。
「インターネットがしたいが、綾部にはネットカフェはありませんか?」と聞かれたので、「フロンティアの青少年センターに行ってもらったら使えますよ」と教えた。
山崎ぜんやさんは日本語と英語でスピーチをされた。英語の方が演説がうまいのではないかと思うくらい、ペラペラと英語で話をされた。
英語が話せるというのは、格好良いなあと思った。
げんたろう新聞を配っていただくお願いをしながら、綾部の各地を回っているうちに、どんどん時間が過ぎていく。
日も短くなり、アッと気がつくと、夜になっている感じだ。
政治活動というのは、個人研究ではない。あくまで相手のある活動であり、人の支えがなくては活動することができない。
相手とは、目に見える相手と、目に見えない相手の二つがある。
目に見えない相手にどう理解してもらうのか、最近の選挙ではそれが重要になっている。
ブログの内容にも賛否があるし、コメントの対応についても、「コメントした人への返事ではなく、見ている人すべてを意識した返答をしなければダメだ」と言われるのもよく分かる。
ただ、世論は一つではないし、時と場合によって、変化していくものだ。だから、目に見えない相手を意識しすぎると、自分は何のために政治活動をするのか、よく分からなくなる。
マスコミが創り出す“風”にも配慮しなければ、国政選挙では全く勝てない時代でもある。
“風”に左右されず、本当に正しいと思えることに向かっていくために、自らメディアを持たなくてはならないと考え、「げんたろう新聞」を発行するようになって、今月で30号になった。
後援会の役員さんを中心に、ほとんど手配りで毎月、お届けいただいている。「自治会内くらいは全戸配布するで!」とおっしゃっていただく方には、全戸ポスティングしていただいている地域もある。
見捨てずに、期待して応援していただいている方々のためにも、さらに頑張らなくてはいけないと思っている。
朝、自民党のポスターを貼らせていただきながら、お話をさせていただく。自民党への評価はまだ上がらないが、民主党への評価も少しずつ下がってきているのを感じる。
午後は、ミニ集会でご挨拶した後、げんたろう新聞の新聞折り作業に遅れて参加した。毎月、皆さんにお世話になっている。
市橋容疑者が逮捕されたが、リンゼイ・アンフォーカーさんとルーシー・ブラックマンさんが頭の中で一緒になっていることに気がついた。
よく逃げていられたものだと思う。でも、なぜ、殺してしまったんだろう?
この1ヵ月は、“行”の月だと思う。
無心にして、自らと向き合い、念じる先に何かが見えてくるのではないかと思っている。
鹿子木さんが昨日の講演会で、“一期一会”と言っておられた。
この時間、このメンバー、この雰囲気で話ができるのは、この一回しかない。この一回で勝つか負けるか、常に勝負!
“行”の月。“行”の年。“行”の生。
産業まつりや実火災想定訓練が重なっていたが、午前中は立正佼成会青壮年部主催の第2回「生き方講演会」に参加した。大本の鹿子木さんが講演をされた。 午後は、家族で産業まつりへ。トステムが閉鎖になると駐車場に使っている用地はどうなるのだろう?
最高に良い天気で、よく賑わっていた。
ユニセフやサポステのブースに寄って、あやべ農業友の会のカレーを食べに行こうとしたら、朝市のところで呼び止められて、ぜんざいを食べた。甘すぎず、美味しいぜんざいだった。
隣りに桜笑会のラーメンもあり、ここでも呼び止められてラーメンを買った。後で食べたが、このラーメンも実に美味しい。スープがプロのようで、何で作ってあるんだろう。
警察の白バイが来ていて、いつも清山荘に交通教室に来られる婦警さんにお願いして、子どものように乗せてもらった。
いろんな人と出会えて、いろんなものを食べた。本田味噌のブースでは、170円の甘酒を買ったら、「もうおしまいなので、おまけです」といっぱい味噌をもらえた。
朝、少し打ち合わせのため、せいざんへ行った。
その後、葬儀に参列。元気な方が急に亡くなられたので、本当に信じられない気持ちだった。
午後は、安藤さんと政策の研究会。
夜はNEXTのミーティングに参加した。いつものように、FMいかるでラジオ収録をした。
民主党が地方の首長や議会からの陳情について、民主党都道府県連を通せと言っているのはひどい話だ。
自民党政権時代には、アポさえとれれば、官僚が誰と会うかは自由だった。フロンティアでも国交省や厚労省に直接行って要望や話し合いをしたことがあるが、今後は「会わない」と言うのだろうか?
力というのは、そういうふうに振りかざすものではない。“脱官僚”と言いながら、自らが官僚的なことをしている。
財源についても、もともと国家公務員の人件費の2割削減をして、それによって確保すると選挙前に行っていたのに、選挙後は増税や事業切り捨てのことしか言わなくなった。
マニフェストにこだわらないと言うのなら、最初からマニフェストと言わなければ良いのではないだろうか?
朝から、自民党のポスターを貼りに行きながら、新聞を配り、途中、コーヒーをご馳走になりながら、しばし懇談。
10時半に、NPO法人わいわいネット・なかまのサロンに顔を出す。
高齢者や障害者のサロンは綾部のあちこちにあるが、これらは介護保険のデイサービスと違い、公的負担が少なく運営されている。綾部市のような高齢化率が高く、財政力が弱い市は、こういう市民活動との協働によって、市民負担の軽減をはかることができる。
こういう事業をフロンティアでは、送迎の点で支援している。
公的サービスでみる範囲とそうでない範囲を分けた上で、その両方がうまくいくように支援するのが、地方公共団体の最も重要な役割だと思う。
支援とは、お金の場合もあるし、そうでない場合もある。お金と言っても金額の多寡も違う。支援とは、最後まで寄り添うことではないかと思う。
わいわいネットのサロンも障害者への支援活動であるが、障害者へ寄り添う支援を継続され、来年は10周年を迎える。
夜、舞鶴の商店街関係の方にご案内をいただき、全国商店街振興組合連合会の桑島俊彦理事長の講演を聴きに、東舞鶴のマイコムに行った。
6年ぶりくらいで、粟倉さんともお出会いした。
粟倉さんから数年前に言われたことが、今頃になってようやく理解できる。それくらい先が見えている方なので、久しぶりにお出会いしたことにもきっと意味があるのだろう。
桑島理事長は政治家ではないが、商連選出の参議院議員のように、政治力で商店街の振興に取り組んでおられる凄い方だった。
㈱全国商店街支援センターの代表取締役でもあるが、そういう組織があることを初めて知った。こういう組織をもっと活用すれば、良いのではないかと感じた。
商店街活性化に向けて、どこに予算があるのか、どうして予算をつくるのか、勉強させていただいた。舞鶴では新たな動きが始まるようで、綾部もぜひその恩恵に共にあずかりたいものだ。
お世話になっている舞鶴の市会議員さんにお誘いいただき、商店街の役員さん方と一緒に二次会にも参加させていただいて、いろいろな方をご紹介いただいた。
綾部と舞鶴、福知山の連携によって、商業振興を図るため、つなぎ役が果たせるように頑張りたい。
今日は本当に凍りつくような寒さだった。冬になれば、こんなもんではないのだろう。
会議に次ぐ、会議があり、夜はご飯を食べに20分ほどだけ家に帰った。
涼子はお腹がすくと自分でイスによじ登って、ぎゃーぎゃー騒ぎ出す。小源太はテレビに夢中で、なかなかご飯を食べに来ようとしない。
おでんが出てきたが、振り返りもせず、妻が言っていた。「涼子は、まず、ちゅるちゅる(糸こんにゃく)を食べて、汁を飲み干して、大根はよけてや」。全くその通りにする涼子だった。
今朝も朝立ちに参加。大島交差点で立たせていただいた。知り合いの方がたくさん通られて、声を掛けていただいたので嬉しかった。
バタバタと一日が過ぎていく。考え事をしながら、ご飯を食べ、夜は眠い。
「捜査に影響するので説明できない」という総理をトップに掲げて、6割の国民がこれを支持しているという。
世の中、口のうまい人はいる。口車に乗って、日本はどこに向っていくのだろう。
明日は寒いようだ。
午前中は良い天気だったのに、午後には急に雨が降ってきた。
夕方は会議。夜も会議。
妻が「お腹が張る」と言っている。食べ過ぎではないかと思うのだが、今月末が予定日だ。
予定日通りに生まれるものではないから、だいたいで覚えていたが、先日、何日か聞いてみたら、人でなしのように言われた。
来月の今頃には、三人目の子どもが無事生まれていてほしいと思う。