現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

(26) 篤志をいただいた方々 2

2008-08-21 21:56:12 | H20./8月 四国の旅
8/13 松山駅近くのビジネスホテル入口で
尺八を吹く。2階の部屋の窓が開いて、
老人が、にこにこ顔でこちらに合図している。
小銭を2階から投げようとしているのだ。

投げ銭されて「乞食じゃない!」と怒る話を
何かで読んだが、それは相手の姿勢次第だ。
見下したように 銭を投げられて、地面を
這いつくばって拾わされることに腹を立てた
のだろう。

2階のおじいさんは、本当にうれしそうに
「いいかい 投げるよ 取ってね」と。
私は天蓋をはずして、逆さにして、窓の下に
掲げた。ひょいと投げてくれた100円玉が、
見事天蓋の中に。ナイスキャッチ。

おじいさんの喜ぶ顔が うれしい、“和顔施”だ。
お礼に 民謡調の明るい曲を吹いて 立ち去る。

(25) 篤志をいただいた方々 1

2008-08-21 20:50:17 | H20./8月 四国の旅
8/10 夕刻 徳島に着いて即、駅近辺を一周してみた。
ビル街の一画に小さな八百屋さんを見つけ、店の前で
尺八を吹く。中から買い物を済ませた老齢のご婦人が
出てこられ、100円入れてくださった。
黒のレースのワンピースを着こなした品のよいご婦人
だが、腰も曲がり、足も悪そう。

「父が尺八吹いてたの。その音色を思い出すわ。
満州で・・・、お国のために犠牲になって・・・、でも
みんなを助けたのだから・・・、いいと思うことにしてるの」

尺八は、時に その人の過去の記憶を呼び覚ます。
亡くなった夫、父親、祖父の魂を呼び起こすのかも
しれない。涙を誘われる。
 

8/16 最後の日。滋賀県の長浜でも、バス停で、
90歳のおばあさんが「少ないけれど」と100円。
「夫が 30年前 亡くなってね。2人で看板屋を
開いて・・・」と、いろいろ身の上話を語られた。
バスがくるまで 一生懸命耳を傾けてあげる。
これも私からの“布施”なのだ。




(24) 天気 運気

2008-08-21 14:00:13 | H20./8月 四国の旅
私は 晴れ男だ。会社勤めの時、社内報ビデオの
製作をしていた。晴れて欲しい時は 必ず晴れる。
曇っていても、ここで光が欲しいと願うと、雲の
切れ目から陽光が差す。雨のシーンが欲しいと
思うと雨が、雪も降らしたことがある。

今回の旅でも、桜さんに内子まで案内していただ
いた時、途中で雨が降り出した。桜さんは、車を
降り、コンビニでビニール傘を買ってくださった。

しかし、内子に着いた時には、空は完全に晴れ上が
っていた。桜さんに散財おかけして申し訳なかった。
私のパワーがもっと完全であれば、自信をもって
「大丈夫」と云えたのに。

高知の橋の上で野宿した時も、怪しい黒雲が空を
覆い、ポツリ ポツリときたが、それで終わった。


(23) 遍路みち

2008-08-21 13:17:11 | H20./8月 四国の旅
所どころに「遍路みち」というのがある。
人一人やっと通れる細い畦道もあった。

夏場は遍路さんも少ないらしい。数人しか
見かけなかった。遍路みちも草が生い茂り、
枯れ草で覆われていて、「マムシ注意」の
立て札もある。なるほど、金剛杖は こんな
時に役に立つのかと思った。虚無僧の私は
尺八をブーブー吹きならして 無事 通った。

上から蜘蛛や毛虫も。こんな時でも天蓋は
超便利。怖いもの無し。
歩き遍路は、靴にもあれこれこだわり、それ
でもマメができて困るそうだが、足袋に草履
で十分。履きなれているせいかマメもできな
かった。

切り通しになった山路で、羽黒トンボが無数に
乱舞していた。私の周りをまつわりつくように
飛ぶ。道先案内をしてくれているような、死者
の霊が呼んでいるような怪しげな動きに しばし
見とれた。

(22) 虚無僧装束

2008-08-21 07:11:21 | H20./8月 四国の旅
虚無僧装束は、旅をするのに 実に利に適っている。

天蓋(てんがい)は 日除けになる。それで結構
風通し良く 涼しい。手甲、脚絆も、日焼け対策、
蚊や蜂対策にもなって良い。

猛暑の中歩くと 下着は グジョグジョ。脱ぐのも
ひと苦労。それで列車に乗ると、冷えて気持が
悪い。下着のシャツもパンツ(ブリーフ)も、3日
目に、宅急便で家に送り返した。

晒しの布が二本あれば十分だった。ふんどしにして、
交替に洗って、コンクリートや金属製のベンチの
上などに置けば すぐ乾く。この間 一休み。腰から
ぶら下げていても乾く。パンツでは ぶら下げて
歩くわけに いかないだろう。(着物が透けるので
褌の上にステテコは 履いている)

テトロン混紡の着物と襦袢も、すぐ乾く。着物の袖
はポケット代わりになって、小銭入れやメモ帖など
を 入れておける。

日 一日と 明け方は涼しくなってきた。襦袢のまま
で寝るが、涼しくなってきたら 着物を掛けて 寝る。

帯も便利。布袋を提げることができる。
袋の中は、髭剃りと紐にカッターナイフなど。
紐は、草履の鼻緒が切れた時の応急措置用。

偈箱(げばこ)は、財布や虚無僧免許証など貴重品入れ。
寝る時は、枕にして寝る。

歩き遍路の人たちは、15kmほどの荷物を背負って、
汗びっしよりになって歩いている。顔も真っ黒に日焼け。
虚無僧は、暑い中でも爽やか、涼を呼ぶ恰好なのだ。

(21) トイレ

2008-08-21 04:40:27 | H20./8月 四国の旅
「タキノートイレがあります。どなたでもご利用ください」
のアナウンス。「滝の音入れ」?。滝のようにジャージャー
音が流れるのか?と一瞬思った。「多機能トイレ」である。
今は、駅、公共施設、公園でも たいてい在る。身障者だけ
でなく「どなたでもご利用ください」とあるので、気楽に
使わせてもらっている。着替えに 髭剃りに と助かる。

内子と宇和島の中間、大洲駅だったか、特急通過待ちで
5分停車。「トイレを利用されたい方は、こちらで」の
車内アナウンス。駅舎は朽ち掛けた小さな小屋なのに、
トイレは 多機能トイレが二つで、駅舎より大きく立派
だった。長距離バスの乗客も利用するから らしい。

快速にもたいていトイレは付いている。しかし すごく
揺れる。各駅停車で長時間となると、トイレが困る。
乗り継ぎが、結構すぐなので、行く時間はない。


⑳宿泊

2008-08-21 04:07:28 | H20./8月 四国の旅
6泊7日中、ホテルは一泊。あとは野宿。

8/10 (徳島)板東駅 無人駅で周囲は真っ暗。 
   木造の小さな駅舎のベンチに、きれいな座布団が
   二つ置かれていた。0:30過ぎると、照明が一つだけに。
   そこへ、油蝉が3匹も飛んできて、20秒置きに騒ぐので、
   うるさくて眠れず、参った。
   深夜2時、パトロールの巡査が2人 のぞいていった。
   明け方4時頃ようやく熟睡したら、すぐ5時には
   人がはいってきて ビックリ飛び起きる。
   
8/11 鴨の湯で、ひと風呂浴びる。歩き遍路は370円と安い。
   無料の遍路宿が併設されているが、3畳の小屋が二つ。
   そこへ7人。外人の女性2人、日本人の若い女性1人。
   私は外のベンチで寝る。不思議と蚊がいない。

8/12 松山駅前のビジネスホテル、モンブラン。一泊3,700円。
   和室でトイレ、風呂は無し。寝れればいいので、十分。
   全自動洗濯機200円で、着物も下着も 全部 丸洗い。

8/13 宇和島駅。駅舎はきれいだが、深夜は締め出される。
   駅前のバス停のベンチで寝る。蚊がいない。

8/14 高知、浦戸湾の五台山に向かう長い橋の上。途中に
   石作りのベンチがあり、そこで寝る。海の臭いがしない。
   深夜2時、若い女性がコツコツと 近づいてきて
   通り過ぎて行った。こんな夜更けに??幽霊? 夢見心地。

8/15 滋賀県長浜駅。駅舎は新しく、2階建て。一階の待合室
   は 戸がなく、ベンチで寝る。お咎めなし。


      

⑲食事

2008-08-21 03:22:38 | H20./8月 四国の旅
虚無僧に出ると、全く お腹が空かない。
普段から 一日一食にしている。オウム
信者も 一日一食 だそうだ。「一日三度
食べなきゃ」 という 慣習、思い込み、
こだわりを捨てれば、これが当たり前に
なる。

今回、3人の方からご馳走になった。
これも旅の楽しみであり、感謝である。
こうしてご馳走をいただいた後は、パン
一つで十分なのだ。

6泊7日中、3日がご馳走になり、3日は
パン一つ、1日は何も食べなかったこと
になる。

祖谷で、大きな梨をいただいた。布施された
物は断ってはいけない。頭陀袋を腰に下げて
いたので、そこに入れ持って歩いた。
後で、公園の木陰でいただいた。ナイフが
無いから、まず歯で表面を薄くかじりとって、
それから、かぶりついた。水分補給になり
旨かった。




⑱篤志

2008-08-21 02:53:57 | H20./8月 四国の旅
「巡礼に ご報謝~」は、巡礼お鶴。
虚無僧には 「報謝」か 「お布施」か、
用語として 悩むところだ。篤志家の
お志(こころざし)心づけという意味で
「篤志」はどうだろう。

さて、いただいた額は 12,000円にも
なった。徳島、松山、高知の都会では
反応は冷ややかだったが、宇和島で
5,000円。道後、内子、阿波池田などで、
1,000円札を5人の方からいただいたから
だ。本当に、あの日あの時、あの場所を
通らなかったら、いただけなかった。
一期一会のご縁の不思議を感じる。

「坊主と乞食は3日やったら やめられ
ない」と云う。たしかに本当だ。

だが そこで、何をもって「坊主」といい
「乞食」と見るのか。「乞食坊主」と「聖」
の違いは何だろう。いつも自問自答して
いる。四国遍路は「聖」への憧れと、
それに一歩でも近づく修行なのだ。