現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

靖国神社に捧げられた「花嫁人形」

2013-08-09 00:50:33 | 虚無僧日記
靖国神社の「遊就館」に「花嫁人形」がいくつか展示されて
いるそうです。開館直後に行きましたが、気がつきませんでした。
その後に展示されたのでしょうか。

ネットで見た「花嫁人形」は、「84歳になった英霊のお母様が、
沖縄で戦死された、当時23歳の息子さんにあてた手紙とともに
奉納されたもの」とのことです。 人形に添えられた手紙。

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23才の若さで家を出て征く時「今度逢う時は靖国神社へ
来てください」と雄々しく笑って征った貴男だった。

どんなにきびしい苦しい戦いであっただろうか。
沖縄の激戦で逝ってしまった貴男。

年老いたこの母には 今も23才のままの貴男の面影しか
ありません。

日本男子と産まれ、妻も娶らずに逝ってしまった貴男を想うと
涙新たに胸がつまります。

今日ここに日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。

私も84才になりましたので、元気で居りましたら
又逢いに来ますよ。 どうか、安らかに眠ってください。
有りがとう。

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今年も、靖国神社の閣僚の参拝について、どうのこうのと
言ってますが、この「花嫁人形」を見ただけで 泣けます。


「たかじんのそこまで言って委員会」で、評論家の「三宅久之」氏も
遊就館を訪れ、 涙を流していました。


『花嫁人形』に歌われた「柳原白蓮」

2013-08-09 00:39:18 | 虚無僧日記
「老人ホーム」などでの定番は『花嫁人形』。この曲を
吹けば、みなさん口ずさんでくれますし、また、そっと
涙ぐむ方もいます。

『金襴鍛子の帯締めながら、花嫁御寮は何故泣くのだろう』
なんで泣くんでしょう。最近の花嫁さんはドライで あっけら
か~ん ですね。

大正12年「関東大震災」の前後、大杉栄・伊藤野枝の他にも
一大スキャンダルで騒がれた女性がいました。
歌人「柳原 白蓮(びゃくれん)」 1885年(明治18) - 1967年(昭和42)。

父は「柳原前光」伯爵。京都の公家の出で、大正天皇の
生母・柳原愛子の兄。「白蓮」は大正天皇の従妹に当たる。

白蓮の母は「柳原前光」の妾のひとり「りょう」。なんと
「りょう」の父親は、江戸幕府の外国奉行で咸臨丸の
「遣米使節団長」だった「新見正興」。 明治2年に父親が
亡くなり、「りょう」は柳橋の芸妓となっていたのです。

「白蓮」は、 14歳で、北小路資武と結婚させられ、翌年、
15歳で男子を出産した。しかし5年後に離婚。

1911年(明治44年)、27歳で、父親ほどの年の 52歳の
九州一の炭坑王「伊藤伝右衛門」と再婚させられます。
伊藤の金目当ての結婚であり、「金で買われた結婚」と
世間では噂した。

それで『花嫁人形』や、菊池寛の『真珠夫人』という小説は
白蓮がモデルといわれているようです。

伊藤伝右衛門は 飯塚市に敷地1500坪、建坪250坪の自宅が
あったが、さらに福岡市天神と別府に別邸を建て、子を
迎え入れた。

伊藤伝右衛門には何人もの妾がおり、白蓮は、夫を挟んで
妾と3人で布団を並べて寝たこともあったという。

「伊藤伝右衛門」は、この若い妻をいたわり可愛がった。
短歌に打ち込む妻のために大金をかけ豪華な歌集を出版
してもやった。別府の「赤胴御殿」は、歌人や劇団員の
サロンとなった。処女作「踏絵」以降、次々と作品を発表、
中央歌壇にも認められた白蓮は、やがて帝大生の
「宮崎龍介」と恋に堕ち、宮崎の子を宿す。

1921年(大正10)、白蓮は伝右衛門と上京した機会に
失踪し、「宮崎龍介」のもとに走った。そして、伊藤
伝右衛門への「絶縁状」を こともあろうに大阪朝日新聞
上で公開した。

「私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に
永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護り
且つ 培ふ為めに 貴方の許を離れます」という内容でした。

伊藤は大恥をかかされたが、太っ腹だった。離婚を認め、
白蓮は華族から除籍され、財産も没収されて、晴れて
宮崎と結婚する。

白蓮と宮崎との間に生まれた子は、昭和20年終戦直前の
8月11日、鹿児島県鹿屋の特攻基地で戦死。そのことも
あつて「白蓮」は、戦後、平和運動に参加し、熱心な
活動家として知られた。晩年は貧しくも平穏な生活を
送り、1967年(昭和42年)死去(81歳)。

私が大学に入った年だ。「白蓮」のことは 母からよく
聞かされていました。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

t風邪を治す薬は無い?

2013-08-09 00:12:13 | 地球人類の問題
「医者や薬剤師は 風邪薬を飲まない」というショッキングな記事。

風邪に効く有効な薬は無いとのこと。薬を飲まないほうが治りが
早いのは、医療従事者なら解っている。抗生物質や鎮痛剤、
解熱剤を飲めば、自然治癒力、免疫を抑えてしまい、余計
風邪が長引いてしまう。

熱が高くなるのは、熱でウィルスを殺そうと戦っているので
あって、熱を下げてしまっては、かえって“自浄作用”が
働かなくなってしまう。

はい、私も以前から解っていました。
私の妻は薬剤師でしたから、風邪薬を買って帰ると、
「そんなもの効かないわよ」と。

私の母方の祖父も叔父も耳鼻咽喉科の医師でした。、

叔父「山室重遠」は、会津若松では 結構知られた開業医で、
いつも待合室は満員で 玄関の外まで患者さんがあふれて
いました。

叔父は、患者さんには、ニコニコ笑顔で接し、「どうした?
風邪か。早く家に帰って寝てれば治る」と。その一言で
若い人なら 元気になって帰っていくのです。もちろん、
薬や注射を“必要とする”人には「注射一本打ってやっから」と。

患者さんの心にはいって、元気づけてあげる。それこそ
“名医”ですが、薬をあまり出さないので、一生 貧乏医者
でした。

その叔父から、尺八を 習ったのです。