現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧で ぶらり一周

2013-08-11 19:26:38 | 虚無僧日記
8/11 お盆前の日曜日、さぞかしと、覚王山日泰寺、
平和公園、八事興正寺、大須観音など、地下鉄を
乗り継ぎながら、虚無僧で ぐるっと巡ってきました。

あにはからんや、アスファルトの上は40℃をこす
炎暑。どこも人影はまばら。

「一路さんを知ってますか?」と声を掛けられ、
「私ですが?」と 振り返ってみれば、数年前、
お会いしたMさんでした。こんな出会いが楽しい。

歩くこと5時間。休む所が無い。ホームレス対策なのか、
公園も駅にもベンチが無い。そして“水飲み場”が
無いのです。昔は公園や駅には たいていあったもの
ですが、水道の蛇口が無いのです。

自動販売機はやたらとありますが、虚無僧修行中は
お布施をいただいても、それで飲食物を買うことは
しません。布施していただいたものだけを口にする
ことに、決めています。

20年前は、「暑いのにご苦労様」「虚無僧さん
お茶いかがですか」と、お店や一般の家庭でも
麦茶など ごちそうしていただいたものです。

栄の地下街も探しましたが 水飲み場が無い。人は
たくさんいるのに、水一杯恵んでくださる人はいない。

お茶屋さんで、店員さんが試飲用のお茶をお盆に
乗せて・・・・。「いただけるか・・」と期待したら、
クルッと私に背を向けてしまいました。

結局、家に帰るまで、飲まず食わず。修行じゃ。






「頼朝」の生誕地は名古屋市熱田

2013-08-11 10:55:40 | 虚無僧日記
平治の乱で源義朝が平清盛に敗れると、その愛妾
「常盤御前」は3人の子を連れて雪の中を逃げ回り、
捕らえられる。3人の子とは、今若(後の阿野全成)、
乙若(後の義円)、そして牛若(後の源義経)。

頼朝はいない。源頼朝の母は、なんと熱田神宮の
宮司「藤原季範」の娘「由良御前」。

近衛天皇の中宮九条院の雑仕女であった「常盤御前」
とは格がちがった。頼朝には、さらに二人の兄が
いたが、二人共腹違い。というわけで、三男の頼朝が
「正室」の子として源氏の嫡流となった。それで、
「義経」ら兄弟には冷淡だったのだ。

であるから、頼朝の「誕生地」の碑が、熱田神宮の
近くにある。「熱田にあった!」とは、私も名古屋に
来て知った。

父「義朝」の終焉の地も愛知県内なのだ。名古屋の南に
伸びる知多半島の「野間」。家人でもあった長田忠致
を頼って野間まで落ち延び、やれやれと安堵したところで、
恩賞目当ての長田父子に裏切られ、入浴中に襲われた。
入浴中だから裸だった。最期の言葉は「「我れに木太刀の
一本なりともあれば」叫んだとされる。

それで「義朝の墓」に詣でるには「木刀」を添えることに
なっていて、墓の上にはたくさんの木刀が積まれている。


名古屋は「信長、秀吉、家康」の3英傑のほか、加藤清正、
福島正則、蜂須賀小六と著名大名の大半、幕末には会津の
松平容保、そして、グンと遡って「源頼朝」が生まれた
土地なのだ。

それをもっと宣伝すれば良いのにと思うが、名古屋人は
歴史には関心がうすい。歴史上の人物は、皆 名古屋から
外に出て行った。そんな発展・進化の気風で、過去を
振り返ることはしないのだ。過去にしばられる会津とは
対称的。