今日の日本の仏教は、8割方、釈迦仏教から離れてしまっている。
浄土経についても、お釈迦様が「私より阿弥陀仏を信じるがよい」
などというはずがない。釈迦の頃には「阿弥陀仏」は存在して
いなかった。後世の創作である。
天台、真言の密教系と山伏の修験道では 護摩を焚くが、
「お釈迦様が護摩を炊いた」などという話は聞いたことがない。
釈迦が否定したことを、なぜ日本の仏教寺院ではやって
「仏教でござい」と言うのか。まさに「嘘も方便」「嘘
虚仮(うそこけ)」である。
中日新聞の文化欄に、立川武蔵氏が連載している「ブッダを
たずねて」は、そうした仏教の変遷史が書かれていて面白い。
「護摩」は、古代イラン人の「ゾロアスター教」の儀式が、
インドのバラモン教に紛れこんだものとのこと。
「ゾロアスター教」といえば「拝火教」だ。バラモン教で、
供物を火にくべる儀式が、仏教では「煩悩を焼き尽くす」と
いう意味で取り入れられた。
虚無僧の発祥は、室町時代「高野山の真言密教」の流れの
「時宗」であり、「禅宗」へと宗旨替えしたのは「一休」の
影響と、私は考えている。
寺も経典も無い、釈迦の原始仏教に帰るのが虚無僧だ。
「お釈迦様は尺八なんぞ吹かなかったではないか」って?
そう、「一音(とん)成仏」とは、お釈迦様の一言発する
“声”の意味。虚無僧の吹く尺八の一音は、釈迦の声なの
じゃ。虚無僧とは、尺八の音(ね)で、人々の心の中の
仏性を呼び覚まそうとする「音声菩薩」の修行でござる。
浄土経についても、お釈迦様が「私より阿弥陀仏を信じるがよい」
などというはずがない。釈迦の頃には「阿弥陀仏」は存在して
いなかった。後世の創作である。
天台、真言の密教系と山伏の修験道では 護摩を焚くが、
「お釈迦様が護摩を炊いた」などという話は聞いたことがない。
釈迦が否定したことを、なぜ日本の仏教寺院ではやって
「仏教でござい」と言うのか。まさに「嘘も方便」「嘘
虚仮(うそこけ)」である。
中日新聞の文化欄に、立川武蔵氏が連載している「ブッダを
たずねて」は、そうした仏教の変遷史が書かれていて面白い。
「護摩」は、古代イラン人の「ゾロアスター教」の儀式が、
インドのバラモン教に紛れこんだものとのこと。
「ゾロアスター教」といえば「拝火教」だ。バラモン教で、
供物を火にくべる儀式が、仏教では「煩悩を焼き尽くす」と
いう意味で取り入れられた。
虚無僧の発祥は、室町時代「高野山の真言密教」の流れの
「時宗」であり、「禅宗」へと宗旨替えしたのは「一休」の
影響と、私は考えている。
寺も経典も無い、釈迦の原始仏教に帰るのが虚無僧だ。
「お釈迦様は尺八なんぞ吹かなかったではないか」って?
そう、「一音(とん)成仏」とは、お釈迦様の一言発する
“声”の意味。虚無僧の吹く尺八の一音は、釈迦の声なの
じゃ。虚無僧とは、尺八の音(ね)で、人々の心の中の
仏性を呼び覚まそうとする「音声菩薩」の修行でござる。