現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

家の中や教室でも帽子

2013-08-14 23:04:08 | テレビ・映画・芸能人
映画『少年H』で、少年が家の中でも学校の教室でも
制帽を被ったままでいることに、違和感を感じたのは
私だけでしょうか。

帽子は、建物の中に入る前に脱ぐ。それが当然と思って
いたのですが、最近の映画やドラマでは、部屋の中でも
帽子を被っているシーンがやたら目につきます。

最近は、高齢者ほど帽子を取らない。神社で参拝の時も、
茶席でも、能楽堂でも、コンサート会場でも、老人会の
会食でも、私の講演の時も。

さすが、伊勢神宮では「帽子をおとりください」と
注意されていましたが、そう言う神主さんは 烏帽子を
被っているのですからね。

今の老人が帽子を取らないということは、彼らが少年の頃も
そうだったのでしょうか。そうではないと思いますが。


もうひとつ ついでに。ドラマで気になるのは、食事中の
おしゃべり。食事の合間ならともかく、食べ物を口の中に
ほおばりながら しゃべるシーンが結構あります。

何も、ほおばりながらしゃべらなくてもと思うのも
私だけですか?


もひとつ ついで。
『八重の桜』では、冒頭に会津藩の「什の教え」で「一つ、
戸外で婦女子と言を交えてはなりませぬ」と言っていながら、
「綾瀬はるか」さん。西郷頼母や山川大蔵、そして川崎尚之助
さんとも親しげに口きいてましたね。それでないとドラマに
ならないから いた仕方なし。

私が20代の頃まで、会津では、男女が戸外で口をきくこと、
並んで歩くことさえ、できませんでした。従姉妹と歩いて
いると、大人が寄ってきて「どこのもんだ」と注意されたり、
ガキどもが「ひゅーひゅー」と口笛を鳴らして、はやし
立ててきたものです。

こんなこと言うのは、私も、もう古い人間なんですかね。

ケータイはダメ、スマホは許される?

2013-08-14 22:19:36 | 社会問題
私の在職中、昭和50年頃までは、会議中の喫煙は
許されていました。それが、上司が「愛煙家」だと
喫煙可、上司が「嫌煙家」だと、上司に気遣って
禁煙するようになり、やがて、重要な会議では禁煙。

それでも「○○部長」などは、ニコチン中毒で、
10分と止められず、社長の前でも吸ってました。
もう 体がふるえ出すのですから、禁煙も気の毒でした。


さて、会議中のケータイは禁止。スイッチを切るか
マナーモードにするのは当たり前だったのですが、
「スマホ」は今、微妙な扱いのようです。

テレビドラマ『半沢直樹』では、もうスマホが
手放せません。会議だろうか、打ち合わせの最中
だろうが、ベッドの中でも、着信があれば、すぐ
飛びついて見、即 返事を打ち返す。

電話なら出ないが、メールを打つとすぐ返事が
返ってくる。ということは、会議中や人と面談中
でも、スマホをいじるのは容認されているという
ことですか。

これも上司の理解次第。私のようにスマホを
持たない上司ですと、会議中にスマホをいじって
いれば不謹慎、遊んでいるなどと思われてしまいます。

「半沢直樹」のような上司でしたら、むしろ
奨励でしょうな。

ところで、虚無僧で立って吹いていても、大半の人は
スマホに夢中で、私に気づいてくれない。

最近は自転車に乗っていてもスマホ。ケーサツは
ケータイ同様 取り締まろうとしてますが・・・、


「教室での禁煙」いつ頃から?

2013-08-14 21:38:08 | 社会問題
NPO法人「日本禁煙学会」が 映画『風立ちぬ』に苦言。
「喫煙のシーンが多い」と、宮崎監督に要望書を提出した
とのこと。

最近の映画や演劇、テレビドラマでは、喫煙シーンを
ことさら無くしている。ビートルズの有名な写真からも
手にしたタバコが消されたほどである。

たしかに『風立ちぬ』では、喫煙のシーンが多く、私も
気になった。教室や職場でも、ホテルの食事の時も家の
中でも吸っている。現代のドラマなら許されない。

「昔はあれが 普通の光景だった」という宮崎監督の
こだわりだろうか。

では、教室内が禁煙になったのはいつ頃だろう。

昭和42年、私が、自動車運転教習所(名古屋では
「車校」)に通っていた時のこと。法規の授業中に
煙草を吸い出した中年のおやじさんがいて、教官が
ツカツカとその人の前に行き、胸グラをつかまえて、
いきなり往復ピンタをした。メガネもブッ飛び、
やられた男性は終始無言で恐縮していた。教習所の
教官は警察官あがりが多く、当時はまだ「オイ、
コラっ!」の習性を色濃く残していた。今では
考えられない。逆に傷害で訴えられる。

同じ昭和42年、「江藤 淳」の「夏目漱石」の授業中、
隠れて煙草を吸った学生がいた。なにせ人気教授で
受講生は500人以上もいたマンモス授業。後ろの席で
隠れて吸ってもわからないだろうと思ったのだろうが、
煙草の煙はすぐわかる。「江藤 淳」氏、マイクを
通じて、烈火のごとく怒り、その学生を退席させた。

当時、授業中は禁煙、休憩中は教室内でも「喫煙可」
だった気がする。


夜の舞台、3組6人の方と出会い

2013-08-14 12:11:48 | 虚無僧日記
昨日(8/13)は、名古屋駅の名鉄前、そしてJR駅前の
階段下で尺八を吹くこと5時間。

マリオット・ホテルに通じる広い階段の上には、広場と
イベント用のステージがあるのだが、そこへは上がれない。
すぐガードマンが飛んできて、追い払われる。

その階段の下の歩道。街灯脇の50cmのスペースが
私のステージ。前方は階段。その階段が 客席となって、
埋め尽くされることを夢みて、尺八を吹く。

夜8時を過ぎて、ようやく人の流れも緩やかになり、
一杯機嫌の 中年もチラホラ。

「おい、ねぇちゃん。一曲やれ!」と。着物を着て
いるから女性と思うらしい。

最初に喜捨していただいたのは、背の高い父子。
父親が、20代とおぼしき息子に小銭を渡して、
「あそこに入れて来い」と指示。175cm以上はある
青年が腰をかがめて「ゲ箱」に喜捨してくれた。

こうして父から子へ、お布施の風習を教え、伝えて
くれないと、虚無僧は消滅する。ありがたいことです。
私の方が 手を合わせて 感謝。

すると、年配のご夫婦が、私に注目して、階段に腰を
おろされた。しばらく聞いていて、頃合を見計らって
近寄ってこられ、「ありがとう、ありがとう」と 手を
合わせて、お布施を入れてくださった。そしてまた
階段に 戻って腰をおろされ 聞いている。数曲吹くと、
もう一度 寄ってこられ、今度は奥様の分と 喜捨して
下さった。俳優の「柄本 明」さんのような方でした。

そのうちに、一人二人と階段に座る。外国人も座った。
一曲吹き終えるごとに 拍手まで出るようになった。

そして、年配のおしゃれな服のお二人さんが、立ち止まって
ヒソヒソ話しをしながら こちらを見ている。どうやら
尺八家とわかる。寄ってこられ「琴古流か 都山流か」と
いろいろ聞かれる。ついつい余計なことをベラベラ
しゃべってしまう私。お一人は名古屋、お一人は飯田から
来られたとのこと。

こういう出会いが楽しい。出会いを求めて、尺八を
吹くのでござる。

「名古屋駅前の虚無僧」 ある方が撮って掲載してくださいました。