現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ドラマ「私は貝になりたい」の大嘘

2021-08-07 22:10:34 | 太平洋戦争

私は貝になりたい

1958年(S34) 10月31日 、 ラジオ東京テレビ(現・TBS)で放映された「私は貝になりたい』。フランキー堺主演。

このドラマは、私当時小学校6年。フランキー堺が目黒の私の家の近くに住んでいたこともあって、これを見、強烈な記憶として残っている。私だけでなく覚えている方も多く、伝説となった作品だ。

記憶違いか「食事を与えられないでいる米兵捕虜に同情して、こっそり牛蒡(ごぼう)を食べさせようとしたことが、❝木の根を口に押し込んだ❞と捕虜虐待の罪で死刑になった」と理解していた。そんなバカなと、理不尽さに憤ったものだった。

ドラマは、温厚で善良な理髪店主が、招集され、上官の命令でアメリカ兵捕虜を刺殺したことで、戦後戦犯として捕らえられ、死刑となる。上官の命令には逆らえない日本の軍隊組織。命じた上官兵より実行した者にこそ罪があるとするアメリカ。「あなたの心の中にも殺したいという殺意があったのではないか」と問い詰めるアメリカの裁判官に対して、「あなた方はどこの国の話をしているのですか」と叫ぶシーン、ショックだった。

 

このドラマは、同じタイトルで翌1959年と2008年にも映画化され、また1994年にはテレビドラマでもリメイクされた。

2008年の中居正弘主演映画も観たが、この時はシラけた。

雪など降らない高知県なのに大雪のシーン。わざわざ韓国まで行って撮影したそうな。

夜、憲兵が見廻りに来て、日の丸を掲げていない家に押し入り「非国民」として引き立てる。あきれてものが言えない。日の丸の旗は朝掲げ、夕方にはしまうもの。夜通し掲げていることはあり得ない。

また、その時うるさく吠える犬をピストルで撃ち殺す。ピストルの弾は厳重管理されている。犬を撃ち殺すことなどあり得ない。

今の若い世代の監督やスタッフは、そんなことも知らないのか。嘆かわしい。

実は、この「私は貝になりたい」は全くの作り話と知ったことでも、シラけて観た。

どうやら、このドラマの中の遺言部分は 加藤哲太郎(元陸軍中尉)の手記「狂える戦犯死刑囚 の内容と酷似しているのだが、加藤哲太郎の原作とは、全く内容がことなっており、ほとんど創作された話のようだ。

加藤哲太郎は陸軍中尉で捕虜収容所の所長をしていて、捕虜虐待の罪で死刑判決を受けたが、後、減刑されて釈放されている。死刑にはなっていなかった。

加藤哲太郎の原作は、痛烈な天皇制批判 だが、その部分は切り捨てられている。このドラマで「上官の命令に背けない一兵卒が、上官の罪を背負って処刑された」と、理不尽な戦争や軍隊、戦後の戦犯裁判に対しての怒りを醸成させたが、実際には二等兵で死刑になったものはいないとのこと。だいぶ事実が捻じ曲げられている。これは由々しきことだ。

 

加藤哲太郎(元陸軍中尉)の原作では、遺書はこうなっている


「・・・・天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。・・・天皇陛下よ、なぜ、私を助けてくれなかったのですか。・・・私は死ぬまで陛下の命令を守ったわけです。でから、もう貸し借りはありません。・・・もし私が、こんど日本人に生まれかわったとしても、決してあなたの思うとおりにはなりません。二度と兵隊にはなりません。

けれど、こんど生まれかわるならば、私は日本人にはなりたくありません。いや、私は人間にはなりたくありません。牛や馬にも生まれません。人間にいじめられますから。どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にヘバリついて何の心配もありませんから、何も知らないから、悲しくも嬉しくもないし、痛くも痒くもありません。頭が痛くなることもないし、兵隊にとられることもない。妻や子を心配することもないし、どうしても生まれかわらなければならないのなら、私は貝に生まれかわるつもりです。」

これは痛烈な天皇制批判。映画ではこの点がカットされている。

 


戦犯処刑

2021-08-07 20:47:02 | 太平洋戦争

You-Tubeの動画はついつい深夜遅くまで見てしまう。
歌謡曲を検索していたのが、「蘇州夜曲」から「南京虐殺」の映像にまで。

「南京虐殺」は有ったのか、無かったのか。双方の動画がある。
証拠として示された映像や日記を見れば、「全く無かった」とは言い切れない。

日本人が中国で行ってきた残虐行為に対して、戦後B、C級戦犯として処刑された人は 1,000名にものぼる。政府は「天皇の戦争責任」に及ぶことを怖れて、軍幹部の命令をひた隠しにし、できるだけ現地の末端兵卒の恣意的な犯行によるものとした。
ここでも政府は日本国民を見捨てた。それどころか積極的に戦犯探しに協力した。

戦犯として処刑された方々には、無念の涙を禁じ得ない。

 

私の父も中国から引き揚げる直前で、村人を苦役に強制連行したことで戦犯に問われかけたが、懇意にしていた中国人が「直接には関わっていなかった」ことを証言してくれ、処刑を免れた。

 

ドラマの「私は貝になりたい」では「(腹を空かした捕虜に)牛蒡(ごぼう)を食べさせた」「(肩こりの治療に)灸をすえてやった」ことが、虐待とみなされたとなっているが、そんなことで死刑などはあり得ない話。こういう作家のでっちあげ話は私は嫌いである。事実は正確に伝えてもらいたい。

 

骨抜きにされた日テレ『私は貝になりたい』とBC級戦犯問題: 紅王の ...

 

「川島芳子は生きていた!」というテレビ番組がYou-Tubeにアップされていた。「方(フォン)おばあさんに育てられた」という孫娘が所持していた「方おばあさん」の写真は、正に川島芳子その人。遺品の双眼鏡に刻まれた「H.k.」のイニシャル。李香蘭の写真とレコード、731部隊との関連を示す遺品など、川島芳子が生存していたことは疑いない。

川島芳子:清朝格格幼遭日本養父強姦- 壹讀ソース画像を表示

 

川島芳子は生きていた: 補足7:中国中央テレビ「川島芳子死亡調査」

 

美しい要人は得だ。代わりに処刑された女性はいったい誰だったのか。下々の者は利用され、捨てられるだけで哀れ。これも持って生まれた宿命か。

                       
川島芳子-生存していたのか? - Nichimy Corporation U.S. Office ...

  処刑直後の川島の写真。顔がつぶされて判別不能だった。