現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

石丸進一鎮魂の碑

2021-08-19 20:49:51 | 太平洋戦争

神出鬼没の虚無僧でござる。丁度10年前の今日、私は水道橋の東京ドーム前に立っておりました。

私が向かったのは 東京ドームの脇にあるという『鎮魂の碑』。

ありました、地下鉄の「後楽園」駅に向かう道路沿いに。ここだけは、人通りが全くなし。 

「鎮魂の碑」と刻まれたこの石碑は、戦争に狩り出されて亡くなった野球選手の霊を慰めるために建立されたものです。

名投手「沢村栄治」のことは『巨人の星』で知りました。「ベースボール」は「敵性ゲーム」とみなされたからでしょうか。野球選手の多くが召集され、69人もが戦死したのでした。

そしてその中に「石丸進一」君。もう、この人の名前を聞いただけで涙が溢れます。「特攻隊員として戦死した名古屋軍(現中日ドラゴンズ)のエース、石丸進一君」について、従兄弟の牛島秀彦氏が 裂帛の思いを込めて制作した映画『人間の翼―最後のキャッチボール』

 

自主制作映画ゆえか、一般の劇場では上映されることのない映画ですが、私は3回 観る機会があり、ビデオまで買いました。ラストシーンで、父親が飛行機の爆音を聞くと家を飛び出し、「進一が帰ってきた、進一、進一」と空に向かって手を振るシーン。もう思い出しただけで涙が止まりません。

鎮魂の尺八も音にならず。しばし佇んで「後楽園駅」の方に歩を進めると、数十m 離れたところにいたガードマンが一人私に向かって頭を下げてくれたのでした。

 

鎮魂の碑|公益財団法人野球殿堂博物館

右上の段の右から6人目に「石丸進一」。

真ん中の段の右から4人目に「沢村栄治

このお二人は何かと有名になりましたが、それ以外にも67人もおられることを忘れてはなりません。

 

 


石丸進一『人間の翼』

2021-08-19 20:48:04 | 太平洋戦争

「石丸進一 映画」の画像検索結果

戦争回顧と反戦の映画は数々あれど、一番泣けたのが人間の翼―最後のキャッチボール』です。

「特攻隊員として戦死した名古屋軍(現中日ドラゴンズ)のエース、石丸進一君」について、従兄弟の牛島秀彦氏が 裂帛の思いを込めて制作した映画『人間の翼―最後のキャッチボール』。



一般の映画館では公開されない自主制作映画ですが、私は3回も見る機会に恵まれ、またVTRも入手し、原作の本も買い求めました。


水道橋方面から、東京ドームの外壁沿いに、地下鉄「後楽園」駅に向かう途中に、『鎮魂の碑』というのがあります。

戦争に狩り出されて亡くなった野球選手の霊を慰めるために建立されたものです。

名投手「沢村栄治」選手をはじめ 69人の名前が刻まれています。

そして、その隣りに「石丸進一」君の追悼碑があります。



床屋を営む父親の借金を返すためにプロ野球界にはいり、兵役免除と聞いて日大に入ったものの、学徒出陣で特攻隊員となります。

1945年4月25日に鹿屋への移動命令が下り、浅野文章少尉から揮毫を求められ、「葉隠武士 敢闘精神 日本野球は」と書いた所で、浅野少尉から「この期に及んでまだ野球か!!」と叱責され、石丸進一は「おう!! 俺は野球じゃ、俺には野球しかないんじゃ!!」と怒鳴る様に言い残し、鹿屋に旅立ったのです。

太平洋に散華したのは、それから2週間後の5月11日でした。

野球一筋、球に命を懸けた青春が、戦争という不条理な運命に消されていく、その無念の思いを込めたこの石丸進一の絶筆が、なんと靖国神社の「遊就館」に展示されているとのこと。

「遊就館」は 侵略戦争を正当化し、国のために散ることを賛美するコンセプトで展示されています。石丸進一の魂はここで休まるのだろうか。

「戦争への道開き」を声高に叫ぶ人は、石丸進一君の映画『人間の翼―最後のキャッチボール』をぜひ観てもらいたいものです。

終始無口だった父親が、戦後、飛行機の爆音を聞くと、家を飛び出し、「進一が帰ってきた、進一、進一」と空に向かって手を振る。それを妻が抱きかかえて家に引き戻そうとする。あのラストシーン、もう涙が止まらず、映画が終わってもしばし立ち上がることができませんでした。。

この映画が、一般に公開されない、という現実に、またいつか来た道を歩んでいる危うさを感じます。

鎮魂の碑 (日本プロ野球) - Wikipedia


バベルの塔

2021-08-19 20:46:59 | 虚無僧日記

世界一高い超高層ビルは、ドバイの「ブルジュ・ハリーファ」。
全高828m、162階建て。東京スカイツリー(634m)より高い。

そのドバイに 2,400mの「ドバイ・シティ・タワー」が建設中とか。

天まで届け。まさに神を畏れぬ所業。“バベルの塔”ならぬ“バブルの塔”。

ポーランドの「ワルシャワラジオ塔」は、東京スカイツリーより高く
646mだったが、1991年に 倒壊した。おそろしや、恐ろしや。

ところで『バベルの塔』とは?

『ヨベル書』によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、
それぞれの場所に住むよう命じてられた。しかし、人々は、新技術を
用いて天まで届く塔をつくり、大集合住宅に住んで、人間が各地に
散るのを免れようと考えた。それは、神を威嚇し、ノアの箱船時の
大洪水の復讐でもあった。エホバは この塔を見「人間は言葉が同じ
なため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じないよう、
違う言葉を話させるようにしよう」と言った。

このため、人間たちは言葉が通じ合わなくなり、塔の建設をやめ、
世界各地へ散らばっていった。

「バベルの塔」が崩壊したとは書かれていないそうな。「バベルの塔」の
話は、世界の人々が、多岐な言語に細々と分かれていることの理由づけ
とのこと。

さて、言葉が通じ合わなくなったことで、「民族、部族間の争いが
起きるようになった」とは書かれていない。

言葉が通じ合えば、平和になるのだろうか?夫婦、親子でもケンカ
するのだから、やっぱりダメか。言葉とはやっかいなものじゃ。


2万年前の土器、3千年前の琴

2021-08-19 20:41:46 | 虚無僧日記

中国・江西省の洞窟遺跡で、280個もの土器片が発見され、炭素測定の結果、2万年も前のものとされました。ドキッ! どき どき!。

今まで、世界最古の土器は、わが日本の青森県大平遺跡から出土した縄文土器で、1万6千年前と測定されていました。世界史上、日本の縄文土器が最古だったのですが、4千年前のものが中国から出たとはザンネン。

で、アフリカや中近東の砂漠からは なぜ出ないのでしょう。これも考古学上の“謎”なのです。

ところで、青森県八戸市にある是川中居遺跡から出土した木製品が、“世界最古の弦楽器(琴)”の可能性があることが、先日発表されました。
こちらは、3千年前、紀元前1,000年頃の縄文晩期ですから「縄文琴」と命名されたよし。


ちょっとまって、紀元前1000年だったら、エジプトは、もう「新王朝時代」で「ツタンカーメン」の遺品など、日本の縄文土器とは比較にならない高度な製品が作られていました。竪琴は まだ出ていないのでしょうか。


ブログで「縄文文明の発祥は、四大文明とされるメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明より遥かに古く、中国では北京原人が洞窟で生活していた頃に、日本人は土器を作り、琴を鳴らしていたのだ」というのがありましたが、1万年ではありません、たかだか3千年前です。
おお勘違い。