現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ミスワカナの戦争

2021-08-13 15:59:26 | 太平洋戦争

8/11に放映された NHK「ドキュメンタリー 戦場の漫才師たち
~わらわし隊の戦争」を見て、慰問団について関心を持った。

吉本興業のトップスターたちが、慰問団として中支・南支に
派遣されていたという話。「荒鷲隊」をもじって「わらわし隊」
とはスバラシイ。エンタツやアチャコ、柳屋金語楼は知って
いたが、紅一点のミスワカナは知らなかった。

You-Tubeを見ると、ミスワカナの漫談や歌がレコードに吹き
込まれていて、いくつかが聞ける。男尊女卑の世の中、特に
戦場で戦っている兵隊さん相手に、夫である相方の玉松一郎を
徹底的にコケにし、やりこめる。それがうけたというのも不思議。

ワカナには、歌と踊り、そして各地のお国訛りや、中国語さえも
自由に漫談に取り入れるという才能があった。

戦中慰問で、戦場の現実を見つめ、次第に心病んでいったか、
やがてヒロポンに溺れ、終戦の翌年、36歳で逝ったという。

森光子が演じた「おもろい女」のモデルが、ミスワカナだった
とは知らなんだ。番組でも森光子(90歳)がインタビューに応じ、
「妹のように可愛いがってもらった」と語っていた。
森光子は嵐寛三郎の従妹であり、映画界の名門の出だが、
森光子も「わらわし隊」に参加していたのだった。

あの時代を自由奔放に生き、鉄砲玉のように逝ったワカナの
生き様に、私は心惹かれる。私も、現代に逆らい、そして
老人ホームなどの慰問で、尺八と漫談で、笑いを呼ぶ虚無僧
なのだから。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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広島原爆に思う

2021-08-13 15:54:31 | Weblog

私の父は、戦争のことを決して語ることは無かったが、父が亡くなって
遺品を整理していて、父が書き残した『従軍記』が見つかった。今それを
私は『牧原五郎-日中戦争従軍記』として、別ブログを開き、書き込んで
いる。ぜひそちらも見ていただきたい。

そこには、中国人への残虐な行為や従軍慰安婦のことまで書かれている。

私は、父の証言だけでなく、日本人が犯した残虐行為を見聞きするにつけ、
この国の人は本当に「和」を愛する民族なのかと疑いたくなる。
日本人は約3百万人が戦争で亡くなったが、それを上回る数の人を殺して
いる。10倍の3千万とも言われる。
何事も裏と表の見方があって、「原爆被害者」と声高に叫ぶ日本人に対して
東南アジア諸国は「原爆で戦争が終結し、一千万人の命が救われた」と思って
いる。久間防衛大臣の「仕方なかった」発言は、ある意味では世界の共通認識
なのだ。ただ「核兵器の根絶」という点では、「しょうがない」は許せない
という理屈は解かる。


政府は従軍慰安婦問題についても、沖縄の集団自決についても、南京虐殺に
ついても、これは軍の責任とか、旧憲法下の日本政府のことで、今の政府は
関係ないなどと、責任逃れしているが、これは日本人全体としての罪だ。
広島の人が、「罪もない人が殺された」と云うのに対して、諸外国の目は
「本当に責任はないのか?」と手厳しい。日本国民一丸となって戦争に加担
していたではないか。それを頬かむりして、責任を一部A級戦犯にだけ
押し付けて、自分たちも被害者のように装うのは如何かと思える。

私の親戚には、東条英機に逆らって投獄され、拷問の末、割腹自殺した中野
正剛がいる。また硫黄島で戦死したバロン西も遠い親戚に当たるらしい。
サイパンで玉砕した人もいる。戦争の愚かさを思う時、「憲法9状」を守る
のは当然のことと思うのだが、改憲を唱える理由はどうしても理解できない。
イラク戦争もますます泥沼化して死者は増えるばかり。あのヴェトナム戦争
は一体なんだったのか。武力で平和は勝ち得ないことは証明済みだ。


虚無僧で、天竜川沿いの村々を回ったとき、「殉国の家」という札が、あち
こちの家に掲げてあるのを見た。夫を父を息子を、働き手を失って、遺族は
どんな思いで戦後を過ごしてきたのか。涙にかすみながら、深い鎮魂の思い
を込めて「手向け」を奏する。今年も暑い夏。また虚無僧の旅に出る。


戦中慰問団

2021-08-13 14:32:36 | 太平洋戦争

昭和16年5月30日 新潟慰問団

 

NHK「わらわし隊の戦争」を見て、戦中慰問団に関心を持ち いろいろ調べてみました。

慰問団は、吉本興行だけでなく、映画俳優も地方の温泉芸者も、また、各県、各市ごとでも結成され、派遣されていたようです。


父の所属していた歩兵第116連隊の記録にも、慰問団のことがしばしば登場します。

昭和16年5月12日 映画慰問団宜昌へ帰る
    5月30日 新潟慰問団来る 
    5月31日 慰問団第二大隊へ
    6月13日 第二大隊へ「特殊慰問団」来る

はて「特殊慰問団」とは何でしょう? 調べてみましたが不明です。
性を売るのかと想像してしまいます。

    11月 5日 夕刻慰問団来る。「ハイカラ」にして新しきも、
         郷土色稀薄なり

やはり、「郷土色」が望まれていたのでしょうか。

父は福島県会津若松の出身だったので、故郷 福島の飯坂温泉から芸者連中の慰問団が来た時は なつかしく大歓迎。

「衣食住は経理室の役目だから」と 彼女らの世話を 経理室に与えてもらった。経理室の連中の喜びようといったらない。風呂焚き役は奪い合いになった。夜は経理室一堂、彼女らと会食し、日頃の憂さを忘れ 楽しい一夜となった」とある。

さて、この先は、とても公表できない内容です。(が、あえて・・・)
その慰問団の団長が「戦地の土産話に、ひとつ頼む」と要求してきたのは、・・・・・。

なんと、中国人の首を斬ることです。
中尉が 捕えていた少年を連れ出してきて・・・・・・。

父は少尉でしたので、父祖伝来の名刀「会津三善(みよし)長道」を軍刀に仕立てて携行していました。その「軍刀を貸してくれ」との要求に

父は「父祖伝来の刀、もし刃こぼれしたら どうしてくれる」と言って断った。 当時、にわか作りの[昭和刀」は戦地では すぐサビて使い物にならなかった。ホンモノノの刀はサビずに輝いていたとのこと。

 

まったく、市民をも狂気にさせる戦争、ホントにアホらしく、

バカバカしい。許せんことです。


信ずる人と信じない人

2021-08-13 00:36:16 | 社会問題

昨日、私のブログに5000件超のアクセスがあり、300万ブログ中なんと18位に。過去最高!  でも 5,000人は 日本の人口 1億人のわずか0.00005%。

最も読まれている記事は「日航機墜落事故の真相」そして「東電OL殺人事件の真相」「原爆は予告されていた」と続く。

いずれも、マスコミが報じない闇の話

私の関心事は、定説になっているもの、通説になっている話の否定。しかしこうした記事に関心のある人は数%。それを読んで信じる人はその半数。そして99%の人は無関心。このような話は一笑にふして無視する人が大半。


長いものにはまかれろ。お上(かみ)のいうことには従え」の日本人の体質がわかるというもの。そんな風潮に警告を鳴らしたい私。

日本があのバカげた戦争に突き進んだのも、そのような体質の故。こうした過ちは正さなければならないと憤っても、笛吹けど踊らずか。

 

2005年にTBSで放映された番組の中で原爆投下に関わったアグニユー氏と被ばく者の対話がかみあわず、面白い。

謝罪を求めたい被ばく者に対してアグニュー氏は「No!」と突き放す。「原爆投下は正しかった。罪のない無辜の人を殺したというがそれは間違いだ。日本人全体が、女も子供も皆戦争に加担した罪がある。原爆で死のうと、鉄砲の弾に当たって死のうと同じことだ」そして最後に「(原爆を投下した理由は)パールハーバーだ」と。

言われてみれば確かに、婦人も子供もみな戦争を煽っていた。松岡外相が国際連盟を脱退した時も、真珠湾攻撃が成功した時も、国をあげて女も子供も歓喜し旗を振った。マスコミに乗せられたのだ。子供の方が純真で同調しやすい。

内心では戦争に反対していた人もいただろうが、声をあげて「戦争反対」と叫ばなかった罪がある。世論を起こして戦争を止めなかったのは同罪と個人主義のアメリカ人はそう考える。日本人はお上と周囲の社会にさからえない全体主義

というわけで、私の関心事は「大きな力に抗(あがら)えない個のあわれ、虚しさ」というところか。

それは「会津戦争の悲劇」を受け継ぐ血故かと思う。

 

【アーカイブ】原爆を開発、投下に同行、映像撮影したアグニュー博士と被爆者の対話の一部始終(2005年放送)

綾瀬はるかさんも出演し2005年にTBSで放送した特別番組「“ヒロシマ”・・・あの時、原爆投下は止められた」のなかで、原爆を開発、投下に同行...

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