「恩」とは何か?
私は「ご恩と奉公」という言葉を思い浮かべる。
鎌倉時代、御家人が幕府(将軍)から所領を安堵
(あんど)してもらう見返りに、幕府に忠勤を
励むこと」だから、「恩」とは「将軍様}から
格別のめぐみをいただくこと。
(そして「一所懸命=ひとつの所(領)に命をかける」
という言葉も生まれた)。
「恩」の慣用句としては「恩を着せる」「恩着せ
がましい」「恩を仇で返す」と使われるから、
「恩」は「見返りを求めるもの」というニュアンスが
強い。
「岩波」の「国語辞典」では「「恩」は「めぐむ、
なさけをかける。受けた方で ありがたく思うべき行為」。
「旺文社」の「古語辞典」では「(君主・親などの)
めぐみ。いつくしみ」。
ところが、「大修館」の「和英辞典」では、「favor=
(自発的で特別の)親切な行為」とあって、見返りを
求めるという要素は英語には無いようだ。
なるほど、敗戦で焦土と化した日本の各地に、
アメリカは大量の食料や物資を、空中からバラ撒いたり、
トラックで輸送して配給した。そこには“見返り”を
求める心など全然無かったろう。
それにくらべて、日本は「朝鮮や東南アジアの国々に
近代化を推し進め、また欧米からの独立の手助けを
してやった」と「恩」を売るような心が根深い。
まこと「恩着せがましい」日本人だ。
「宮崎東明」の漢詩「偶感」
「恩は、報いを求むること無くして、自ら喜びとなし
徳は、名を求めずして、常に陰(かげ)にあり
日々、忘るるなかれ、謙譲の事
妄心 去るべし、また争心」
肝に銘ず。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
私は「ご恩と奉公」という言葉を思い浮かべる。
鎌倉時代、御家人が幕府(将軍)から所領を安堵
(あんど)してもらう見返りに、幕府に忠勤を
励むこと」だから、「恩」とは「将軍様}から
格別のめぐみをいただくこと。
(そして「一所懸命=ひとつの所(領)に命をかける」
という言葉も生まれた)。
「恩」の慣用句としては「恩を着せる」「恩着せ
がましい」「恩を仇で返す」と使われるから、
「恩」は「見返りを求めるもの」というニュアンスが
強い。
「岩波」の「国語辞典」では「「恩」は「めぐむ、
なさけをかける。受けた方で ありがたく思うべき行為」。
「旺文社」の「古語辞典」では「(君主・親などの)
めぐみ。いつくしみ」。
ところが、「大修館」の「和英辞典」では、「favor=
(自発的で特別の)親切な行為」とあって、見返りを
求めるという要素は英語には無いようだ。
なるほど、敗戦で焦土と化した日本の各地に、
アメリカは大量の食料や物資を、空中からバラ撒いたり、
トラックで輸送して配給した。そこには“見返り”を
求める心など全然無かったろう。
それにくらべて、日本は「朝鮮や東南アジアの国々に
近代化を推し進め、また欧米からの独立の手助けを
してやった」と「恩」を売るような心が根深い。
まこと「恩着せがましい」日本人だ。
「宮崎東明」の漢詩「偶感」
「恩は、報いを求むること無くして、自ら喜びとなし
徳は、名を求めずして、常に陰(かげ)にあり
日々、忘るるなかれ、謙譲の事
妄心 去るべし、また争心」
肝に銘ず。
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