ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介「或日の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)」 青空文庫

2024-07-11 16:54:01 | 芥川龍之介
 討ち入りが成功して泉岳寺へ引き上げた後、幕府から沙汰があるまで細川家に預かりになっている大石内蔵助たちの、或日の情景が描かれている。

 討ち入りとか大石内蔵助といってもピンとこない若い人が多いのかな? ほら、江戸時代中期頃の話。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)に恨みを募らせ、殿中で切りかかるという大不祥事を起こし、赤穂藩はお取り潰しになった。本来なら、喧嘩両成敗で吉良の方にもお咎めがあるはずなのに、それはない。赤穂の有志47人は、それを不服として、吉良の藩邸に討ち入り吉良公の首を取ったのだ。
 その噂はあっという間に江戸に広がり、彼ら47人は一躍、江戸のスターに。
 本来、彼らは幕府の決定に歯向かった犯罪人なので、最終的には全員が切腹したのだが、この太平の世に我が身を顧みず主人の仇を討つとはあっぱれ!武士の誉れ!という事で、浄瑠璃やら歌舞伎やら講談の題材になっている。

 もちろん、赤穂藩は47人であるはずもなく、もっと多くの藩士がいたが、最初は「仇討ちだ!」と声高に叫んでいた人も、今後の生活を考えると一人減り二人減り…抜けていった。当たり前の話だが、吉良家の方も仇討ちを警戒して、スパイをあちこちに潜り込ませていたようだ。

 でもね、抜けていった人たちの方が人間的と言えなくもない。赤穂の城を退去してから討ち入りまでの2年間、よく恨みを持ち続けていられるなぁ。私だったら、翌日から他の藩に何とか仕官できないか策をめぐらすね。

 しかし世の中は、英雄の対極として裏切り者を必要とする。町人百姓まで、犬侍とか禄盗人とか悪口を言う。討ち入りに参加しなかった元家臣を、親類縁者が申し合わせ詰め腹を切らせたという話があるそうだ。

 ああ、討ち入りに参加しなかった元家臣たちは肩身が狭かったろうね。令和の今でも、人の口の端にのぼるもんね。
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芥川龍之介「邪宗門」青空文庫

2024-06-13 15:34:28 | 芥川龍之介
 「平安貴公子の恋と冒険」と惹句にありそうな話。芥川には珍しく長編になりそうな話なのでワクワクして読んでいたら、途中で(しかも一番盛り上がるところで)ブチっと途切れていた。未完の作品らしい。Too Bad!!

 堀川の若殿は、中背のやせぎすの優しい顔立ち、詩歌管弦を何よりも好み、自身も諸芸に秀でていた。
 父親が亡くなり、堀川の若殿が家督を継いで5、6年たった頃、洛中に一人の風変わりな僧が現れ、摩利の教というものを説き広め始めた。この摩利の教が、どうも女菩薩の絵とか、首にかけた十字の怪しげな黄金の護符とか使ってるので、キリスト教っぽいのだ。
 でもキリスト教ってフランシスコ・ザビエルが16世紀半ばに種子島に来て広めたのが最初でしょ?これって完全なフィクションだよねと思っていたら…。中国大陸にはすでに唐の時代、景教(ネストリウス派キリスト教)が広まっていたらしい。そういえば教科書に載ってたような。
 だから遣唐使で中国大陸に渡った人は、この景教に出会っているだろうし、遣唐使としてではなく個人で大陸に渡ってさすらっていた人もごく少数だがいただろうから、そういう人が景教に出会い帰依した可能性もある。だから、全く噓八百、荒唐無稽という訳でもないのだ。

 この摩利の教の僧は、あちこちで奇跡を起こした。盲目の人が目が見えるようになったり、下半身不随で動けなかった人が立って歩けるようになったり、キツネや天狗の憑き物もきれいさっぱり落ちてしまう。だから日を追うごとに信者が増え、洛中の一大勢力になっていた。
 そんな中、嵯峨の阿弥陀堂建立供養が執り行われる。上達部殿上人それに女房達が大勢押しかけ、高名な僧都や僧正、座主が供養の真っ最中、なんと摩利の教の僧が現れ、仏教の僧たちに法力比べを持ちかける。それに乗った横川の僧都はコテンパンに負かされてしまい、仏教派あやうし!!!という所で、あの堀川の若殿が現れて…
 で、ここで終わってる。未完。ああ残念。

 これらのメインストーリーに、中御門の美しい姫君との恋物語が絡んできて、読みごたえあり。
 それにしても「法力比べ」ってマジックショーみたい。こんなことで宗教の真価が分かるのだろうか?でも、頼りになる医学がなかった時代「病気が治った」というご利益が一番信仰を集められるかも。
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芥川龍之介 「きりしとほろ上人伝」 青空文庫

2024-03-19 14:40:02 | 芥川龍之介
 最初は「ねずみの嫁入り」みたいな話だなという感想を持った。もともとはキリシタン向け説話集のなかの話を、芥川が潤色したもの。だから原本の話は、もっとスカスカの骨組みだけの話なんだろう。

 遠い昔「しりあ」の国の山奥に「れぷろぼす」という大男がいた。10メートルくらいというから本当に大きいね。「進撃の巨人」の巨人を思い描いてほしい。ただ、その大男はとても優しく力持ちで、皆に親切にしていたから、多くの人に慕われていた。
 その大男が「天下一の大将に仕えたい」という希望をもって町に出向き、戦で手柄を立てて大名に取り立てられ、願いがかなったように見えた。戦勝祝いの宴で、大酒を飲んでごきげんの「れぷろぼす」は、仕えている帝が事あるごとに十字を切るのが不思議でならない。近くの侍になぜかと尋ねると、侍は「帝も悪魔の害を払おうとして、十字の印を切って、御身を守るのだ」と答えた。
 それを聞いた「れぷろぼす」は、「帝より悪魔の方が強いのであれば、自分は悪魔に仕える」ととんでもないことを言い出し…

 より強いものに仕えようとする「れぷろぼす」は、自分の娘をより強い相手に嫁がせようとするネズミの両親と似ている。まあ、この「きりしとほろ上人伝」はキリシタン向けの説話集だから、最後にイエス・キリストが一番強く、イエス・キリストに仕えることになるのは容易に想像できるけど。

 西洋の話を、無理やり日本人向けの説話にしようとしているので、おかしな個所はいっぱいある。(芥川が悪いのではない。西洋独自のものを、日本にあるものに当てはめようと必死なのだ)
 特に最後の方の「れぷろぼす」が、大荒れの天候の中、子どもを肩に乗せ、荒れ狂う川を渡ろうとする時、小鳥のシジュウカラがたくさん彼の頭の周りを飛び交っているシーンなんて、なんでシジュウカラ?!ここは小さな天使様じゃないの?と思わずツッコミを入れたくなる。

 それにしてもどうして一神教の神様は、いつも信仰心を試すのかな?自信がないの?
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芥川龍之介 「南京の基督」 青空文庫

2024-03-12 10:12:36 | 芥川龍之介
 芥川の小説のレビューを書いていて、いつも思う事だが、彼のテーマみたいなものについて感想を書くという事はほとんどない。だって、あまりにも完璧だもの。この箇所はおかしいんじゃないか?とか、こうした方がもっと面白くなるんじゃないか?なんて事は与太話にしても書けない。だから短編の端っこの、ちょっと興味を持った部分を書く。

 この短編のおおまかな粗筋はこうだ。金花という貧しい私娼が客を取って糊口をしのぎ父親を養っていた。彼女は器量はさほどでもないが、気立てがよく、深くキリストを信仰していて、部屋には小さな十字架がかかっていた。
 客から「こんな稼業をしていたのでは天国に行かれないのではないか」と問われても、金花は「天国にいらっしゃるキリスト様は、きっと私の心持を汲み取ってくださると思います」と答えていた。
 そんな彼女は、客から梅毒をうつされ具合が悪くなってしまった。自分の病気を客にうつさないよう客を取らないでいたら、当たり前だがどんどん生活は逼迫していく。同輩の娼婦たちは、客に梅毒をうつせば自分は治るという俗説があるので、金花をさかんに唆す。でも金花は、それを拒んでいた。
 ある夜、泥酔した知らない客が来て、金花の部屋に居座る。その顔になんだか見覚えがある気がしていたが、どうも十字架に磔になっているキリスト様に似ているような…

 皆様、期待してもダメです。そんなファンタジックな終わり方はしません。現実は悲惨そのものです。結末を知りたい方は、本を読んでください。

 この短編は1920年(大正9年)に発表されたものだが、清朝が衰退し、外国人が押し寄せ中国の富をむしり取っている様子がよくわかる。中国人の金持ちはほんの一握りで、大部分の民衆は貧しさにあえぎ、貧しい若い女は体を売るしかない。私娼はこの時代どこにでもいたのだろうが、公娼に比べ性病のチェックがなされず、より悲惨だっただろう。
 それにしても客にうつせば自分は治る、なんて俗信があったんだね。第1期から2期のあいだに潜伏期があり、一時的に回復したように感じられたんだろう。
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芥川龍之介 「さまよえる猶太人」 青空文庫

2024-03-01 14:53:19 | 芥川龍之介
「猶太人」とかいて「ユダヤ人」と読むそうです。「さまよえるユダヤ人」の伝説みたいなものがある事は知っていたが、内容は知らなかった。こういう事らしい。

 ゴルゴダへひかれていくキリストが、ある男の家の戸口に立ち止まって息を整えようとしたら、男は大声で「さっさと行け」と怒鳴りつけ殴った。キリストは彼に「行けというなら行かぬでもないが、その代わり、その方はわしの帰るまで待っておれよ」と告げた。男はその後、洗礼を受けてクリスチャンとなったが、一度負った呪いは解かれない。最後の審判の来る日まで、永久に放浪を続けているらしい。

 キリスト教国には、どこにでもこの伝説が残っていて「さまよえるユダヤ人」が時々あらわれるようだ。
 そこで芥川は、その「さまよえるユダヤ人」が日本にも来てるんじゃないかと考え、調べだしたのだ。偏執的。そもそも天主教はこの国でそんなに一般的だったんだろうか? この短編の中に「14世紀の後半において日本の西南部は大抵、天主教を奉じていた」とあるが、本当だろうか? だってキリスト教が伝来したのは、フランシスコ・ザビエルが来日した1549年だよね。だから16世紀だろう。それになんといっても、まだまだ仏教が主流だったんじゃないの?
 でもキリシタン大名も沢山いたから、その領地民はキリスト教徒だっただろうね。

 とにかく芥川は、長崎の島々で古文書を漁っていたところ、偶然手に入れた文禄年間の古文書の中にそれはあった。伝聞を口語で書き留めた簡単な覚書。
 それによると「さまよえるユダヤ人」は、平戸から九州本土に渡る船の中で、フランシスコ・ザビエルと邂逅した。どうも普通の漂泊者とは違うのでフランシスコの方から声をかけ話し出したところ、インドや東南アジアの今昔にべらぼうに詳しい。「そなたは何処のものじゃ」と尋ねると「一所不住のゆだやびと」と答えたという。そしてキリストがゴルゴダで十字架を負った時の話になったという。

 どんな時代にも、どんな地域にも、自分を「さまよえるユダヤ人」と思い込んでしまう人はいるんだね。この極東の島国まで出張してくるとは。
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