ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介 「地獄変」

2020-05-29 16:16:49 | その他
 すごく有名な作品だから、子供の頃に読んでいた。あらためて読み直すと…大事な部分が記憶違いだったことに気づく。

 絵師の良秀が地獄変の屏風を描くために「最愛の娘を自分で火あぶりにした」だと記憶していたのに、本当は「最愛の娘を見殺しにした」なんだね。ここ、大事!!

 平安時代、絵師の良秀は大変腕がいいと評判だったが、こういった芸術家気質の男にありがちな、傲慢で偏執的な性格だったので、世間では色々陰口をたたかれていた。
 彼には一人娘がいて、たいそう美しく気立ての優しい娘だったので、堀川の大殿様のところに奉公に上がっていた。堀川の大殿様は、身分も高くお金持ちで、良秀の大切なパトロン。
 ある時、大殿様は良秀に『地獄変の屏風』を描くことを依頼する。寝食を忘れ、仕事にのめり込む良秀だが、しばらくすると筆がピタッと止まる。
 牛車が猛火に焼かれ空から落ちてくる、その中で一人の美しい女が黒髪を乱しながら悶え苦しんでいる、その場面がどうしても描けない。だから、良秀は、大殿様に、実際に牛車を燃やして見せてほしいと願ったのだ。
 大殿様は願いを聞き入れ、ついでに一人の罪人の女を乗せておく、と良秀に伝える。
 さて当日、辺鄙な場所にある大殿様の別荘で、牛車が焼かれるが、その中に乗せられていたのは、なんと良秀の娘だった! (実は、大殿様は良秀の娘に言い寄っていたが、そのたびに撥ねつけられていた)
 最初は娘を助け出そうとした良秀も、牛車が炎に包まれ女性が悶え苦しんでいる様子を見ると、恍惚とした表情を浮かべ、うっとり眺めている。
 その後、描き上げた屏風絵は素晴らしいものだったが、絵が完成した翌日、良秀は首をつって死んだ。

 で、火あぶりを主催した大殿はどうなったかと言うと、どうもなってない。怨霊にでも怯えてくれたら少しは溜飲が下がるのにね。

 この小説で一番、気に食わないのは「語り手」。この大殿様につかえる家来の1人らしいんだけど、大殿様におべっかばっかり言ってる。なにが「大殿様のおぼしめしは、まったく車を焼き人を殺してまでも、屏風の絵を描こうとする絵師根性のよこしまなのをこらすおつもりだった」なんだよ!‼ ふられた腹いせに決まってるじゃないか!
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介 「白」

2020-05-22 11:23:17 | その他
 短い童話。えっ!?芥川龍之介の童話? とビックリする人がいるかもしれないが、ちゃんとあるのだ。彼は若くして自殺したので作品数は少ないが、子ども向け童話雑誌の『赤い鳥』に発表した作品がいくつかあり、この『白』もその一つ。童話の代表作は『杜子春』か。

 白という名前の飼い犬の話。
 犬って、昭和20年代ごろまで、飼い犬であっても鎖で繋ぐのは可哀そうとか言って放し飼いにしている飼い主が結構いたのだ。そのせいか野良犬が多く、保健所は野犬狩りなどをやっていた。この童話の中では、犬殺しという名称。
 お金持ちの家の飼い犬『白』は、優しいお嬢さんや坊ちゃんに可愛がられていた。ある日、自分で散歩に出掛けた先で(もちろん飼い主がリードをつけて散歩させるのではない、そういう時代)お隣の飼い犬『黒』が、犬殺しに捕まるところを目撃した。『黒』にワンワンと鳴いて知らせればいいのに、臆病風に吹かれ、こっそり逃げ帰る。
 飼い主のお嬢さんや坊ちゃんに帰りましたよと甘えようとすると、「なに?この犬? うちの白じゃないよね」と怪訝な顔をされ、びっくり! 生まれた時から牛乳のように白かった『白』は、どういう訳か、真っ黒になっていた。子どもたちが石を投げるので慌てて逃げ出した真っ黒い『白』は、宿無し犬となって彷徨う。そして…

 童話なので最後にはハッピーエンド。めでたしめでたしで終わるが、途中、ホロリとする箇所あり。犬と人間の、特に子どもとの強い結びつきを感じます。

 ああ、私は猫は昔から飼っていたが、犬を飼った事はないな。どんな感じかな? 可愛いだろうな。でも、猫に比べて世話が大変だろうし。なんといっても散歩がネックだよね。毎日散歩させるって、本当に大変だよ。子どもたちや亭主は、オレがやるやる!と口では言うが、最初だけで、結局は私が散歩させることになる。自分の年齢から考えても、もう犬を飼う事はないだろう。ちょっと寂しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介 「河童」

2020-05-15 13:58:26 | その他
 小学生の頃、読んだ少女マンガのヒロインが、この芥川龍之介の『河童』を読んで感動したという部分があったのを覚えている。それで、その後、私も読んでみたのだ。河童の国では母カッパの胎内にいる赤ちゃんカッパは、父カッパから、生まれてくるかどうか尋ねられてから生まれて来るそうだ。そこにすごく感動したと、少女マンガのヒロインはのたまっていた。この赤ちゃんカッパに生まれてくるかどうか確認するという箇所は、すごく有名らしい。

 お話はこうだ。
 ある青年が、穂高岳に登ろうとしたが、霧で迷った。梓川のそばで休んでいると、カッパらしき生物を目撃し、追いかけると…深い穴に落ちて「河童の国」に転がり落ちていた。まるで『おむすびころりん』や『不思議の国のアリス』みたいに。いやいや、その河童の国での生活を書いたものを読むと、まるで『ガリバー旅行記』か?

 その河童の国は、当時の日本社会を風刺したものだろうが、少しユーモアを感じられるものの、執筆当時の芥川の精神状態を反映したのか、暗くて残酷な描写も多い。
 そうそう、河童の国といっても、人間社会と同じで隣国があり(かわうそ国が仮想敵国)紛争がある。資本家も知識人も労働者もいる。技術革新がすごく進んでいるので、労働者がどんどん余ってしまうが、ストライキが無い。なぜだろうと、青年が資本家の金持ち河童に尋ねると、「失業した河童を殺して食肉にしている」と答えて、サンドイッチを青年に進めながら「どうです。これも職工の肉ですよ」と言う。

 すごいなぁ、河童はハガネのメンタルの持ち主!と感じるが、意外にも河童の神経作用はとても微妙で繊細なので、死刑囚には絞首刑も電気椅子もなく、死刑囚が犯した犯罪の名前を言って聞かせるだけでショック死するらしい。 
 だから河童に「きさまは盗人だ!!」と怒鳴って殺すこともできる。
 すごいな!そうなると、核兵器でなく拡声器が武器になるのね?!

 最終的に青年は、河童の国にいることが憂鬱になって、人間の国に帰ってくる。「決して後悔しない」と誓って。でも人間世界に戻ったら戻ったで、後悔し始める。何とかしてまた河童の国に帰りたいと思うようになる。

 そうだよ。後悔しない人生なんてありえない。後悔しても戻る事ができないから「後悔しない!」って自分に言い聞かせてるだけじゃないの?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介 「海のほとり」

2020-05-08 14:05:15 | その他
 純文学って、こういう作品だよなぁと思わせるような地味だけど印象的な短編。大正14年、芥川33歳の時に、自分の青春時代の思い出を書いたものらしい。

「ぼく」は、この7月に大学の英文科を卒業し、友人と2人で千葉の片田舎にある海辺の鄙びた宿でゴロゴロしている。教師になろうとは思っているが、まだ勤め先が決まった訳ではなく、座布団を枕にして『里見八犬伝』なんかを読んでいる。もう夏も終わり。ぼくらがこの宿に来た当初には大勢いた海水浴客は、どんどん少なくなって海辺は物悲しい。

 これが、ヨーロッパの避暑地のバカンスを題材にした短編なら華やかなんだろうが、極東の島国の、そのまた片田舎にある海辺の話なので、貧乏ったらしい。だいたい、その当時・大正時代に海水浴なんてする人は、かなりのハイカラさんだったと思う。地元の漁師さんたちにとって海は生活の糧を得る場所で、遊ぶ場所ではない。
 でもね、少数でもいるんだよね。きゃぴきゃぴしている若い女の子たちが。深紅の海水着や、虎のような黒と黄の縞模様の海水着をきて。
 で、僕らは砂の上で寝そべりながら、そんな女の子たちをながめ、インテリらしくドイツ語であだ名をつける。肉感的な顔立ちだから「ジンゲジ」と。
 他にも、海辺で顔見知りになった15、16歳の男の子を『えんぜん』というあだ名で呼んでいる。もちろん本人の知らない所で。どうも、彼が若木に似た瑞々しさを持っていて、嫣然と微笑んだかららしい。

 昔の人も、地味だけどちゃんとアオハルをやってるんだ!!

 芥川って、どういう生徒・学生だったんだろうね。すごく興味をそそられる。私は、小説家って言うと芥川龍之介の写真を思い浮かべる。次に川端康成。二人とも神経質そうで自死しそう。芥川って第一高等学校→東京帝国大学英文科のエリートだけど、どう考えても社会不適合者タイプではないか? でも、第一高等学校の時には、1年間寮生活を経験してるんだ。それに、子どもの頃から同級生と回覧雑誌などを作ったりしているので、私が思っているよりも、環境に適応できるのかも。そこそこ協調性はあるんだろう。
 一高時代の日記などがあったら読んでみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介 「雛」

2020-05-01 11:02:14 | その他
 この短編は、昔読んだことがあって、ラストがすごく切なかったので覚えていた。読んだ本を片端から忘れていく私にしては珍しく。

 ヒロインの家の家業は、江戸時代には代々続いた両替商の大店で、大名家とも取引があった大変裕福な商家だった。しかし、明治維新の後、零落し、家財道具を売りながら糊口をしのいできたが、「いよいよ困った、年が越せない、でもめぼしい物はみな売り払ってしまった、そうだ、娘の雛人形を横浜にいるアメリカ人に売ろう」という事になった。
 
 何しろ昔はとても裕福だったので、娘の雛人形といえども、大変すばらしい工芸品。たぶん徳川美術館で3月になると展示されるような見事な雛人形だったのだろう。それがアメリカ人にはエキゾチックな人形に感じられ、結構な高値がついて、零落した家族はほっと一息ついていた。

 この家族というのが、世が世なれば…という家族なので、今は落ちぶれて見る影もないが、それでも昔は世話になったといって、何かと気にかけてくれる人たちがいる。父親は貧しいながらもちゃんとした商道徳の持ち主だし、母親は病気がちだが良家の子女だったのだろう、慎み深い人。兄は18歳で父親の商売を手伝い、文明開化にかぶれ、古い因習を毛嫌いしている。妹にきつく当たるが、実は家族思いだ。
 雛人形の持ち主であるヒロインは15歳で、もう大きくなったので、雛人形にたいした愛着はないが、それでもアメリカ人に売ると決まると、さすがに後ろ髪惹かれる思いで…。

 明治の初期って、こういう家族がいっぱいいたんだろうね。農村部は、江戸幕府が明治政府になったところで、年貢が税金になっただけでたいして変わらなかったんだろうが、都市部は劇的に変わったんだろう。特に今まで、幕府側の仕事をしてきた人たちは。

 雛人形といえば、すごく印象に残っている作品がある。山岸涼子のマンガ『ひいなの埋葬』。50年ほど前に読んだ作品だけど、今でも覚えている。女系家族と言われる日本の旧家の話。ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の家族からモチーフを得ているという事は、後から気づいた。そういうことだったんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする