母の介護要員として扱われる女と、妻のDVに悩む男が、心療内科で出会い次第に惹かれあうが、予期せぬ事態に陥り犯罪に手を染めていく…。そういったストーリーの小説だが、本当の読みどころは、終わらない介護の絶望だと思う。
勝村瞳子は、高校3年の時、祖母が倒れ、16年間その介護をしてきた。祖母が亡くなり、これでやっと自由になれると思ったら、次は実母が倒れる。
実家は老舗のとんかつ屋。店は父と兄とバイトの男の子で回しているが、忙しい時は瞳子も手伝う。兄は結婚して兄嫁もいるのだが、自分の仕事を持っており、介護を手伝う気配はない。なにより実母が「自分の介護は、娘がやるのが当然だ」と思っており、ヘルパーさんを受け入れたり、ディサービスに行く気は全くない。「自分は家族に愛されている年寄り」のポジションを満喫している。
実は祖母が倒れた時、瞳子の母が介護をするのが一般的だが、この家も嫁姑の仲が非常に悪く、店の手伝いもあり、孫娘の瞳子に介護を押し付けたのだ。
「ヤングケアラー」って言葉、皆さん、ご存知? 先日、新聞を読んでいたら、その言葉に出くわした。年若い介護者っていう意味なんだろう。主に、孫世代が介護の重圧を一手に背負わされ、学業や就職に大きな支障がでるのだ。
この小説のなかの瞳子も、祖母の介護16年、母の介護2年(この先何年生きることか)もう40歳も目前なのに、だれも瞳子の介護を当たり前に思って、彼女を介護要員から外すことを考えない。普通だったら、結婚し子供がいるのが当たり前の年齢なのに。
唯一、アルバイトの男の子が「酷い親じゃないっすか。子どもの幸せを願えないなんて」「本当に瞳子さんって実子なんですか?」と憤るのが、ある意味、救い。
本当に、この瞳子の親たちは、どういう親なんだろうか? 実母があと10年生きたら瞳子は50歳。それどころが実父まで倒れるかもしれない。祖母が倒れた時に、本人が嫌がっても介護施設に入れればよかったんだよね。
瞳子の所に来た縁談も、親が片っ端から断って、結婚で家を出て行かないようにした。どうしようもない親。でも、この少子高齢化の時代、そういう親がたくさんいるのかもね。
勝村瞳子は、高校3年の時、祖母が倒れ、16年間その介護をしてきた。祖母が亡くなり、これでやっと自由になれると思ったら、次は実母が倒れる。
実家は老舗のとんかつ屋。店は父と兄とバイトの男の子で回しているが、忙しい時は瞳子も手伝う。兄は結婚して兄嫁もいるのだが、自分の仕事を持っており、介護を手伝う気配はない。なにより実母が「自分の介護は、娘がやるのが当然だ」と思っており、ヘルパーさんを受け入れたり、ディサービスに行く気は全くない。「自分は家族に愛されている年寄り」のポジションを満喫している。
実は祖母が倒れた時、瞳子の母が介護をするのが一般的だが、この家も嫁姑の仲が非常に悪く、店の手伝いもあり、孫娘の瞳子に介護を押し付けたのだ。
「ヤングケアラー」って言葉、皆さん、ご存知? 先日、新聞を読んでいたら、その言葉に出くわした。年若い介護者っていう意味なんだろう。主に、孫世代が介護の重圧を一手に背負わされ、学業や就職に大きな支障がでるのだ。
この小説のなかの瞳子も、祖母の介護16年、母の介護2年(この先何年生きることか)もう40歳も目前なのに、だれも瞳子の介護を当たり前に思って、彼女を介護要員から外すことを考えない。普通だったら、結婚し子供がいるのが当たり前の年齢なのに。
唯一、アルバイトの男の子が「酷い親じゃないっすか。子どもの幸せを願えないなんて」「本当に瞳子さんって実子なんですか?」と憤るのが、ある意味、救い。
本当に、この瞳子の親たちは、どういう親なんだろうか? 実母があと10年生きたら瞳子は50歳。それどころが実父まで倒れるかもしれない。祖母が倒れた時に、本人が嫌がっても介護施設に入れればよかったんだよね。
瞳子の所に来た縁談も、親が片っ端から断って、結婚で家を出て行かないようにした。どうしようもない親。でも、この少子高齢化の時代、そういう親がたくさんいるのかもね。