ケイの読書日記

個人が書く書評

太宰治 「駆け込み訴え」 青空文庫

2024-09-22 14:54:52 | 太宰治
 大昔に読んだ萩尾望都の「トーマの心臓」を思い出した。
 神学校に転校しようとするユーリが「それでもユダはキリストを愛していたのか、そしてキリストもユダを愛していたのか」とつぶやくシーンがある。

 イスカリオテのユダって、どういう人だったんだろうね。裏切り者の代名詞になってる。一般的には、キリストの弟子だったが、彼を裏切り役人に彼を売った悪人として認識されている。でも彼にも言い分はあるだろう。
 しかし、実直で信仰心の篤いペテロやパウロよりも、魅力的な人物のような気がするなぁ。
 貧乏でもともと何一つ持っていない人がキリストに帰依するよりも、裕福な家に生まれたユダが、持っているモノこれから手に入るだろうモノを捨て、キリストに帰依する方が、大きな犠牲を払っている分、評価されるべきだと、ユダ本人が思うのも、あまりに人間的。

 最後の晩餐時、キリストが弟子たちに「おまえたちのうちの一人が、私を売る」と言い「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人はずいぶん不仕合せな男なのです。本当にその人は生まれて来ない方がよかった」と言って、ユダの口にパンを押し当てた、という記述がある。本当にそんなことやったんだろうか?あまりにも酷い。他の弟子たちの前で、公然とユダを辱めるなんて。憎まれるのは無理もないこと。
 そしてユダに「お前の為すことを速やかに為せ」と告げる。そしてユダは走って役人に訴え出る。

 という事は、ユダは利用されたんだ。というか、そういった損な役回りだったんだ。気の毒に感じます。
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太宰治「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」

2022-04-10 14:42:30 | 太宰治
 これら3編は太宰の最晩年の短編。3編とも、愛人のいる夫・その妻・彼らの子どもたちといった家庭を題材にしている。もちろん小説であって創作だが、太宰の私生活が色濃く反映されている…と思われる。

 この夫は出掛けたら何日も帰って来ず、金遣いが荒く、大酒のみだが、暴力はふるわない。妻も、お金は夫が遣ってしまうので貧乏に苦しんでいるが、ヒステリーを起こすわけでもなく淑やかな良妻賢母だ。子どもたちも両親に懐いている。お金は無いが絵に描いたような素敵な家庭だが、夫婦の間には、目に見えない神経戦が始まっている。それが彼らを疲弊させている。でも、ほとんどの夫婦はそうじゃない?
 「家庭の幸福は諸悪のもと」なんて書いてある。だったら結婚するなよ。自分の意志で結婚したんだろう。

 太宰の不幸は…女にモテすぎる事なのかなぁ。作中の人物にも「自殺の事ばかり考えている」「自殺したい」なんて言わせているが、そんなに死にたいなら、なぜ一人で死なない?女に引きずられなきゃ、死ぬことすらできなかったんだよね。
 自分一人で死ねないんだったら、やっぱり心の底では死にたくなかったんだよ。

 神奈川県座間市で、10人近くの死にたいと言ってる若い人を殺した男がいたけど、彼が言うには「本当に死にたい人は一人もいなかった」らしい。「死にたい」と外に向かって発言するという事は、誰かと繋がりたいという気持ちの表れ。結局「死にたいほど辛い」「死にたいほど苦しい」という事で、本当にこの世とバイバイしたい訳じゃないんだ。
 太宰も女性と情死する間際、くだらない事やってるなぁと後悔したんじゃないだろうか。太宰ファンには怒られるかもしれないが。
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太宰治 「ヴィヨンの妻」

2022-04-03 15:44:23 | 太宰治
 ヴィヨンって誰だろうと思ったが、どうも15世紀フランスの詩人フランシス・ヴィヨンという人のことらしい。この人は、フランス近代詩の祖といわれるほど高名な人らしいが、買春、詐欺、窃盗、強盗、殺人、なんでもござれの無頼の徒だったようだ。

 この「ヴィヨンの妻」の主人公・大谷も自称詩人で、さすがに殺人までは犯してないが正真正銘のろくでなし。あちこちの酒場に顔を出しては大酒を飲み代金を払わず、亭主の目をかすめては女将とねんごろになる。
 終戦後の昭和21年22年ごろの話で、食糧事情も悪く、酒類も出回っているはずないけど、質は悪くてもある所にはあって、大谷はそれを嗅ぎつけ浴びるほど飲むのだ。代金は情婦に払わせて。

 この自称詩人の大谷は、なんでも旧男爵家の次男坊で、学習院から一高帝大と進んだ秀才で、詩人としても有名。なので周りの女がみんなのぼせ上って貢ぐから、ますますロクデナシになっていく。そうだよねぇ、身を持ち崩した高貴な男って本当に魅力的。こういう男は遠くから眺めているに限る。近づいたら身の破滅。

 大谷の妻は、妻と言っても籍は入っておらず、3歳の坊やを抱え苦労している様子。彼女はもともと父親とおでん屋をやっていたので、接客業には向いていて、大谷が金を盗んだ店で働くことになった。そこに大谷が再び現れて、奥さんのツケでまたタダ酒を飲んで…。
 でもまあ、お互い、好きでやってるんだから、周囲がとやかくいう事じゃないか。

 太宰が疎開先の津軽から東京の家に帰ってきたのが昭和21年。彼が情死したのが昭和23年6月。その間にこの「ヴィヨンの妻」のような短編をどっさり書いて、その上代表作の長編「斜陽」「人間失格」を書いたんだから、凄いよね。神がかってる。小説家にはそういうときがあるんだね。
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太宰治 「母」 新潮文庫

2022-03-28 09:34:11 | 太宰治
 「母」という言葉から想起される情緒とは程遠い話。なぜ太宰がこの題名を付けたかわからないよ。
 
 太宰は戦中戦後の1年3カ月ほど、津軽の生家で疎開生活をしていた。太宰が来ていると知れ、近郷の文学青年たちが訪れてくることがあった。その中の1人小川君は、日本海に面したある港町の宿屋の息子で、かなりふざけた若者だった。太宰ですら殴ってやりたいと思うことがしばしば。 
 そんな小川君でも、赤紙一枚で軍隊に入ったんだ。当然、上官にはひどく殴られたようだが。

 ま、とにかく、その小川君の家がやっている宿屋に、太宰は遊びに行く。終戦直後くらいの話で、まだ物資は乏しいが、それでも宿屋だから美味しい地酒や魚があると思ったんだろう。
部屋付きの仲居さんは40前後のちょっと男心をそそる声をしている人で、お酌でもしてもらいたいなと太宰が心の中で願っていたが、料理や酒を置いてさっさと引き下がってしまう。
 がっかりしてがぶ飲みし「ああ、酔った。寝よう」と言ったので、この宿屋で一番広い20畳ほどの座敷に寝かされるが、夜中にふと目が覚めてしまう。
 布団の中でごろごろしていると「すこしでも眠らないと わるいわよ」まぎれもなくあの40前後の男心をそそる声の持ち主の声。しかし、それは太宰に向けて言ったのではなく隣室からの声なのだ。

 えええ、日本の旅館ってこんなに聞こえるの? そりゃ防音設備なんか無いだろうし、夜中に静まり返っているからだろうけど、それにしても丸聞こえ!! どうやら客の若い男と、あの仲居さんが隣室で寝てるんだ。若い男は話の具合から、戦争から帰って来てここで一泊し、明日の朝、自分の生家に歩いていく予定。父親は死んで母親だけが待っているようだ。仲居さんは「お母さんはいくつ?」と軽く尋ねると、若い男は「38です」と答えた。果たして仲居さんは黙ってしまった。-
  そうだろうなぁ。仲居さんは、お母さんより年上かもしれない。

 それにしても、宿屋でこんなに聞こえていいんだろうか? それに、どうして遊女屋でもないのに、お客さんと仲居さんが寝ていたんだろう。若い男が仲居さんの好みだったので忍んでいったのだろうか?
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太宰治 「父」 新潮文庫

2022-03-22 17:29:48 | 太宰治
 最初に旧約聖書のアブラハムとその子イサクの話が出てきて、ああ、これは格式高い話だろうと背筋を伸ばして読んでいたが…何の事はない、酒と女にだらしない太宰治の話だった。

 有名なアブラハムとイサクの話はこうだ。エホバは、アブラハムの信仰心を試そうと、彼の一人息子イサクを生贄にして捧げるように命じる。アブラハムは何の躊躇もせず、イサクを壇の薪の上にのせ殺そうとするが、その寸前、エホバは彼を止め彼の信仰心(神を畏れる心)は理解したと伝える。

 私、この話を聖書物語で読んだとき、どうしてアブラハムの信仰心を疑うんだろう、神様なのに分からないんだろうか?と思ったのと同時に、イサクは父に対してどう感じたんだろう、この父親とこの先うまくやっていけるんだろうか、心配だった。それとも生贄にされかけた事は名誉な事なんだろうか?

 で、太宰はこの話で、親子の情より自分にとっての大義の方が大事という父親の姿を読み取ったらしい。その、自分にとっての大義というのが「尊王攘夷」とか「革命」なんていう大それたものじゃなくて、近所のおでん屋で待っている、よく知らないオバハンとの逢瀬だったりするのだ。あーーー、やだやだ。

 彼の奥様が、風邪をひいてひどい咳をしている。米の配給があるから今日だけ家にいてくれと太宰に頼む。戦後まもなくの頃なので、お米は配給なのだ。米を運んでくれと言っている訳ではない。小さな子を連れて行くのは大変だから、今日は家にいて子どもたちを見ていてほしいと言っているのだ。
 OKの返事をして家にいる時に、おでん屋の女中が「お客さんが太宰先生にお目にかかりたいと言っている」と呼びに来る。太宰は出掛ける。そこら辺の有り金をかき集め、会いたくもない女に会うために。

 太宰の小説は好きで、若い頃よく読んだが…遠くにいる作家先生なら素敵だが、家人にこういう人がいると耐えられないね。
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