ケイの読書日記

個人が書く書評

萩原朔太郎+しきみ 「猫町」 立東舎

2018-03-28 09:52:22 | その他
 萩原朔太郎の散文詩風な短編小説に、イラストレーターのしきみが絵を載せている。立東舎という出版社が出している『乙女の本棚シリーズ』の1冊。とてもキレイな絵本。しきみさんは『刀剣乱舞』のキャラクターデザインをやった人なんだね。
 萩原朔太郎は、彼の詩が高校の教科書に載ってたから、有名な詩人だという事は知っていたが…残念ながら、それ以上ではない。小説も書いているんだ。この『猫町』は、1935年に発表されたので、1886年生まれの朔太郎の49歳の時の作品。
 もう、とっくに日中戦争は始まっていて、あと6年で日米開戦という時代に、よく発表出来たなと思えるほど、退廃的な雰囲気が漂っている作品。


 現実の旅に興味を持てなくなった「私」は、薬物によってトリップ旅行をするようになる。ただ、それは私の健康をひどく害した。健康を回復させようと散歩をするようになるが、その中で、私の風変わりな旅行癖を満足させる1つの新しい方法を、偶然発見する。
 私の散歩コースはいつも同じだが、ある日、知らない横丁を通り方向がわからなくなる。迷子になってしまい、早く家へ帰ろうと焦っていると、私の知らないどこかの美しい街の往来に出た。こんなキレイな町が、私の家の近くになぜあるんだろう、夢を見ているんだろうか怪訝に思っていると、私の記憶の常識が回復する。
 気づくと、それは近所のありふれた退屈な町なのだ。単に私が道に迷って、方向を錯覚したのが原因。いつも南のはずれにあるポストが北に見えた。いつも左側にある街路の町家が右側に見える。これらの変化が、町を珍しく新しいものに見せたのだ。


 そして私は、以前、北越地方のK温泉に逗留していた時の不思議な経験を思い出す。
 K温泉から鉄道でU町に向かう時、途中下車して徒歩でU町の方へ行った。物思いにふけりながら歩いていると、自分が迷子になった事に気づく。焦りだすとますます道が分からなくなり、不安はますます大きくなる。ようやく細い山道をみつけふもとまで行くと、そこには思いがけないほど繁華な美しい街があった。
 こんな辺鄙な山の中に、どうしてこんな立派な大都会があるのか信じられない。男は紳士的で女は上品で美しく、音楽のような声で話していた。町全体が、繊細な意思で構成されていた。
 そこに、黒いネズミのような動物が、町の真ん中を走って行った。

 その瞬間、世にも奇怪な恐ろしいい異変事が出現。
 猫の大集団が、町のいたるところを、うようよ歩いている。どこをみても猫ばかり。
 恐怖に身がすくみ、もう一度目を見開いてみると…猫の姿は消えていた。町は何の異常もなく、がらんとしていた。美しいと思った街並みはどこにもなく、よく知っている鄙びたU町だった。


 これが狐だと日本むかし話になるけど、猫だと少しコケテッシュ。素敵な話だと思う。
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酒井順子 「忘れる女 忘れられる女」  講談社

2018-03-23 12:43:10 | 酒井順子
 『週刊現代』2016年7月9日号から2017年8月19・26日合併号連載のエッセイ49本を収録してあるので、比較的新しいネタが満載。
 衆院選で負ける前の小池百合子さんの満面の笑み(筆者は独身子なし女性の代表として、小池さんを応援しているようだ) ベッキーの謝罪に共感が集まらないのは髪が長いせいじゃないか(今はカットしている)おお、小保方晴子さんやピコ太郎の名前もある。懐かしいなぁ。

 正直なところ、筆者とは生育環境が全然違うので、いつも共感という訳ではないが『お酒という麻薬』という章には、心底共感した。
 意外だけど、酒井さんって下戸なんだね。だから、お酒を飲まない酒井さんが「人生の愉しみの半分を知らない」とか「下戸の人って、よくシラフでセックスとかできるよね」という非難めいた言葉を投げかけられ、憤慨する気持ちはよく分かる。
 普段は常識的で温厚な人が、酔っ払って暴力的になり困っているのに、酒の席の事だからと、あまり問題にならないのもおかしいと思う。


 実は今、実家の母のアルコールの事で、ほとほと困り果てている。もともと酒好きだったが、父が生きている時は、たまに飲む程度だった。それが25年ほど前、父が亡くなると毎晩、晩酌。でも当時は、孫育てや習い事、趣味や旅行があったので、晩酌ですんでいた。
 ところが、年を取って、いままで好きだった趣味や旅行にも興味を示さなくなる。もちろん認知症もある。
 昼間から、いや朝から飲んでいる事がある。週3回実家に通っているのだが、ドアを開けると、朝からアルコール臭がぷーーーーん。本当に嫌だ。
 近所の人からも苦情があるので注意すると「この程度の酒で酔う訳ないだろ」「おまえが近所で母親の悪口を触れ回るので、皆よそよそしくなった」とか、逆ギレしてくる。
 ああ、いやだいやだ。何でこうなるんだろうね。

 アルコール依存症の本を読んだら、地域の保健所に相談するのが良いと書いてあったので、月に2回ある相談日に予約して行ったら…「今のお母さんの状態が、アルコールのせいなのか、認知症のせいなのか、薬のせいなのか、それとも複合的なものなのか、あなたの話では判断できませんので、一度、アルコール依存症専門医に診てもらったらどうですか?」とアドバイスされた。
 でもね、アルコール依存症に特化した病院というのはほとんど無くて、精神病院の一部門にアルコール依存症外来があるんだ。
 ああ、敷居が高い。世間体もある。まだ決断できてない。
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「チャイルド44 下巻」 トム・ロブ・スミス著 田口俊樹訳  新潮文庫

2018-03-18 08:27:02 | 翻訳もの
 

 上巻では、周囲はすべて敵。家族にすら心を許してはならない、といった雰囲気だった。主人公レオの宿敵・ワーシリーなど、自分の兄を当局に売って出世した。大それた事をした訳ではない。酒の席で酔っぱらい、スターリンの悪口をちょこっと言っただけなのに、強制収容所送り。こういった親族間の密告は、独裁国家ではよくある話。(中国でも文化大革命の時、子どもが親を密告することは、よくあったらしい。あの儒教思想の強い国でね)

 上巻では、自分が生き延びるために細心の注意をはらい、警戒を怠らないのが処世術なのに、下巻では44人もの子供たちの命を奪った犯人を捜すために、見知らぬ人たちが協力し、レオと彼の妻を目的地に届ける。こういう所が、すごくご都合主義だと思うな。

 実際にあったチカチーロ事件は、1978年から90年にかけて52人もの少年少女をレイプし、殺害したとされている。(被害者の数はもっと多いという話もある)小説では1953年ごろの話になっている。
 実際の事件も、理想の社会主義国家・ソ連に連続殺人犯などいるはずないというタテマエがあるから、こんなに長い間、捕まらなかったんだろうが、ソ連崩壊前の、よどんだ社会の雰囲気も関係してるんだろう。
 それが、ゴルバチョフ書記長が登場し、ペレストロイカで情報公開が始まり、こういった事件がどんどん明らかにされ、事件解決に結びついたんだろうと思う。



 上巻の一番最初に、1933年のウクライナ大飢饉の悲惨な話が書かれている。1932~1933年、もともと作物があまり獲れなかった年なのに、ソ連政府は、ウクライナから収穫される小麦は貴重な外貨獲得手段だったので、農民から強制的に徴収し、農民たちは餓死した。
 家畜はもちろん、イヌやネコ、ネズミ、人間の死体も食べた。それでも足りず、子どもをさらって食べたりした。日本でも、天保の大飢饉の時、死体を食べる話はあるが、生きている人間を殺して食べた話は…でもあったんだろう。
 この時、ウクライナでは全滅する村(村人が全員死ぬ)が続出し、人口の4人に1人が餓死したらしい。ペストが猛威をふるった中世ヨーロッパみたいだね。

このウクライナ大飢饉が、この小説の連続殺人事件の遠因になっている。寒い上に食べるものが無いって、この世の地獄だね。
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「チャイルド44」上巻  トム・ロブ・スミス著 田口俊樹訳 新潮文庫

2018-03-13 12:48:20 | 翻訳もの
 ソ連に実在した大量殺人鬼をモデルにしたミステリ。
 スターリン体制下のソ連。国家保安省の捜査官レオは、あるスパイ容疑者の拘束に成功するが、仲の悪い副官にハメられ、モスクワから片田舎の民警へと追放される。ひどく落ち込み、憔悴するレオ。しかし、その地で発見された惨殺死体のむごたらしい状況は、レオには見覚えがあった。
 モスクワにいた時、自分の部下だった男の息子が、口の中に泥を詰め込まれ、腹を裂かれ、内臓を引きずり出され、打ち捨てられていたのだ。それを、レオが遺族に列車事故だと強引に納得させたのだ。
 なぜなら、犯罪というものは、すべて資本主義の病気で、社会主義国家に殺人者などいるわけないのだから。

 大量殺人鬼がどうの…というより、ソ連の内実が書かれていてとても読み応えある。そうそう、『ゴルゴ13』に出てくるソ連って、こういう国だよね。エーベルバッハ少佐の闘ったソ連という国も、こんな国だよね。
 今は、ソ連っていう国はないし、私はソ連という国に住んだことない。この小説の筆者・トム・ロブ・スミス氏も、1979年ロンドン生まれだから、実際のソ連を知ってるわけじゃない。
 共産主義社会では、みな平等なので、人は物を盗む必要もなければ暴力的になる必要もない。だから、警察は必要ないらしい。理論上では。
 酔っぱらいのケンカぐらいならいいが、もっと重大な犯罪がおこると、警察署長も市長も困る。自分たちが左遷(ひどければ強制収容所送り)されてしまう。だから、必死になって事故死や災害死に仕立て上げる。


 ただ、政治犯・思想犯については、この限りではない。何も無い所から国家反逆罪をひねり出す。この小説の最初に出てくる腕のいい獣医は、アメリカ大使館員のペットを治療したところで、スパイ容疑をかけられる。いったん疑いがかかると、それを晴らすのは不可能。殴る、蹴る、といった身体的な拷問だけでなく、寝かせないという拷問も効果的らしい。人を洗脳するときは。オウム真理教でも使っていた。私など、眠たい人間だから、すぐ洗脳されそうだ。それに自白剤。怖いねぇ。

 小学校に『政治』という教科があってクイズを出す。
 * 君たちのことを一番愛しているのは誰ですか?    正解:スターリン
 * 君たちは誰を一番愛していますか?         正解:スターリン   誤答は教師によって記録される。   わーーー!怖いですねぇ。
コメント (2)
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又吉直樹 「劇場」 新潮社

2018-03-07 10:34:15 | その他
 これを恋愛小説って呼ぶんだろうか…? 確かに、男の側から見れば、この沙希ちゃんは女神のような女性だけど。 いやいや、自分の身を削って男に尽くす、おつうさんみたいだ。おつうさんは最後に、鶴の姿に戻って男の元から去っていく。こういった一方の自己犠牲によって成り立つ恋愛は、最後にそうならざるをえない。

 売れない演出家・永田と青森から上京して服飾専門学校に通っている沙希は、偶然出会い一緒に暮らし始める、というとロマンチックだが、本当の所は、永田の収入があまりにも少なく、沙希のアパートに転がり込んだというのが正しい。
 永田は家賃どころか、食費も払おうとしない(払えない)。沙希の青森の実家から送られてくる米や野菜を、沙希の親の悪口を言いながらムシャムシャ食べる。

 この沙希の両親も、人が良すぎるんだよね。両親が家賃を払っている娘のアパートに、無職男が居候していれば、親が上京し別れさせようとするか「娘をどうするつもりだ」と男に詰め寄るような気がするけど、沙希の両親は何もアクションをおこさない。たまに娘に電話するだけ。

 沙希ちゃんは、服飾専門学校を卒業し、昼間はブティック、夜は居酒屋で働き始める。ダブルワーク、今は若いから良いかもしれないが、身体を壊しちゃうよ。永田も…なぁ…。もちろん、頭の中は演劇でいっぱいだとしても、一日中ぶらぶらしていて、果たして良い脚本が書けるんだろうか? 村田沙耶香が、コンビニに勤めながら名作『コンビニ人間』を書いたように、どこかでアルバイトして労働者として社会と繋がっていないと、ピント外れの作品しか書けないような気がするなぁ。
 それに働いていた方が知り合いが増える。知人が増えた方が自分の演劇のチケットがさばけるしね。

 光陰矢の如し。地元・青森の友達はみな結婚し、子どもも生まれている。東京での生活に疲れ果てていく沙希。そして避けられない別れが…。

 
 永田のクズ台詞はいろいろあるが、その中でも極めつけを一つ。
 沙希ちゃんが卒業し、親からの仕送りがなくなったタイミングで、光熱費だけでも払ってもらえないかと永田に相談したが…人の家の光熱費を払う理由がわからないと言われた。人の家って、あんた、自分の家がどこにあるの?人の家で毎日寝起きして、人の家でゴハンを食べて、人の家の風呂に入って、トイレで水を流して…早く自分ちに帰りなよ。
 私だったら、相手から「人の家の光熱費を払う理由が分からない」と言われた時点でアウト。もう、この人とは暮らせないね。
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