ケイの読書日記

個人が書く書評

東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」

2009-05-29 13:51:09 | Weblog
 東野圭吾って私と同い年なんだ。厳密に言うと東野先生は2月生まれなので、学年は1つ上という事になるが。
 驚きました。もう少し若いかと思っていた。でも容姿の良い方ですね。銀座でもモテモテだろうな。

 これは小説ではなく、先生の子どもの頃から大学卒業までの回想エッセイ。先生は大阪生まれの大阪育ち、大学も大阪。就職で初めて大阪を離れたらしい。

 同世代なので懐かしい固有名詞がいっぱい。例えば『ウルトラQ』という番組。1966年から始まった円谷プロ製作の特撮テレビ番組。
 怪獣物の元祖だった。ペギラ、カネゴン、ガラモン…いたいた。そういう名前の怪獣が。
 テレビで大人気で、夏休み用に劇場公開映画も作られ、見に行った覚えがある。小学校低学年の私達は、男も女も関係なく、みな夢中になったっけ。
 次の『ウルトラマン』も毎週楽しみに見ていた。さすがにその次の『ウルトラセブン』になると、女の子達は別のものに夢中になってウルトラ物は卒業していた。私は少女マンガに熱中していた。
 そうか…東野少年は怪獣少年だったんだ。

 学校給食のまずくて悲惨な思い出も書かれている。あの悪名高い脱脂粉乳。うーん、たしかに美味しいものではなかったが、私は自分ちの食事が貧しかったせいか
残さず食べたけれどなぁ。
 というか、給食は残さず食べる、という指導が今より徹底していた。今は、アレルギーの問題や、給食嫌いで不登校がおこる、といった問題があり、残すのは自由でしょう?

 当時の東野少年の小学校の給食は、マズイというより不衛生なのだ。なんせ、野菜スープにミミズが入っていたらしい。食器を載せるトレイにもカビがビッシリ生えていたとか。
 いくら40年前とはいえ、よく問題にならなかったなぁ。大阪だったら父兄が学校に怒鳴り込んで行きそうだけど。
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島田荘司「リベルタスの寓話」

2009-05-24 16:42:46 | Weblog
 表題作の他「クロアチア人の手」が収められている。2作品ともボスニア紛争時のセルビア人・クロアチア人・ムスリム(イスラム教徒)の三つ巴の争いが元になっている作品。

 ボスニア紛争の時はNATO軍がセルビアを空爆したりして、その映像がニュースで放映されたりしていたが、日本ではそれほど大きく取り上げられなかったんじゃないだろうか?
 なんにせよ、もうじき21世紀になろうとする、しかもヨーロッパでこんな武力衝突が起こるなんて…ちょっと信じられなかったですね。

 「民族浄化」怖ろしい言葉です。いままで仲良くしてきた隣人が「おまえはクロアチア人(セルビア人・ムスリム)だから抹殺しなければならない」と叫んで襲ってきたら…さぞ怖ろしいと思う。
 民族を根絶やしにしようと殺戮するだけでなく、他民族の女性達を集団レイプして自民族の子どもを産ませようとするのも…歴史的に見てよくある話だが…怖ろしい。

 しかし人種としては同じでしょう? 宗教や言語が違うだけで。でもその宗教が違うというのが大きいのよね。


  推理小説としては「リベルタスの寓話」のトリックは医学的なものだが納得できるなかなか良いトリック。
 「クロアチア人の手」は…あまりにも無理がある。それを御手洗が電話だけで解決しちゃうからもっと無理がある。神がかっているね。こんなことができるなら世の中に迷宮入りの事件なんて無くなっちゃうね!


 余談だが、読み始めて1行目で「NATO」の文字が目に飛び込んできた。エーベルバッハ少佐を思い出してしまったよ。
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角田光代「空中庭園」

2009-05-19 10:18:37 | 角田光代
 東京近郊のニュータウンに住む京橋家とその周辺の人々。その夫妻・娘・息子・夫の愛人・妻の母6人のモノローグ6編で作品が構成されている。

 その京橋家のモットーは「何事もつつみかくさず」。娘マナを受精したのは高速道路のインター近くにある「ホテル野猿」だし、夢精おめでとうという弟コウの性の目覚め晩餐会も開かれるほどなのだ。

 だが、当然ながら、それぞれが秘密を持ってそれを知られないよう苦心している。


 解説を書いている石田衣良は、それを「家族は実際には完全に壊れてしまっている。それなのに表面は平凡に明るく続いていくのだ」と書いているが、私はそうは思わない。
 この程度の破綻がなんだ!!

 ダンナには新旧2人の愛人がいる。彼女らに『チョロQ』『コップ男』と罵倒され続けている。へらへら近づき関係を結び、しかし彼なりに家庭を大切に思っている。
 子ども2人は高校生と中学生。ボーイフレンドに無視されたり、学年単位のいじめにあってたりしても、それを親に知られないよう気丈に振舞っている。
 家庭内では家族のバースディパーティがちゃんと行なわれる。ティッシュで作った貧乏くさい花を部屋にきゃあきゃあ騒ぎながら飾り付ける中高生の子供達がけなげ。
 母親は不登校の過去を押し隠し、昔はヤンキーだったなんて話を捏造して子供達に語っているし。

 この家庭だけじゃない。どんな家庭にも語られない秘密がある。空中分解しないだけ立派だと思うよ。
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角田光代「愛がなんだ」

2009-05-14 11:18:51 | 角田光代
 後の表紙に「全力疾走・片想い小説」と紹介してあるが、片想いなんてかわいいものじゃない。「全力疾走・ストーカー小説」ですな。これは。
 作者の角田光代が上手いから、またよけいキモチ悪い。

 OLのテルコは、マモちゃんが大好き。彼から電話があれば仕事中でもケータイで長電話。食事に誘われれば終業前に退社。
 すべてがマモちゃん最優先で、会社もクビになる。
 だが、マモちゃんはテルコが好きじゃないのだ。他にも誰も相手が見つからない時、仕方なしに誘うだけだ。
 そりゃそうでしょ。オトコは追いかければ逃げ出す性質を持っているもの。


 テルコのは愛情というより執着。もともと執着気質なのだ。たいしたオトコでもないのに、今まで費やした時間とお金を考えると手放せない。ぺったりと張り付いている。

 そんなテルコの友達は、みな勇ましい。オトコにどれだけ金を遣わせるかで自分の価値が決まると考えている。
 彼女達の周りには、「アッシー君」「メッシー君」「ミツグ君」が、ひしめいている。懐かしい言葉だなぁ。そうでしょう。彼女達はバブル世代の女だから。
 テルコみたいな女はこの時代、異端者だよ。
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島田荘司「UFO大通り」

2009-05-09 14:22:00 | Weblog
 「UFO大通り」と「傘を折る女」の2作品が収められている。最近の作品だが、石岡君が過去の事件を回想して執筆したと言う形式をとっている。

 「UFO大通り」は1981年、まだ石岡君が御手洗と知り合って1年ほど後の事件。
 その頃、御手洗はまだそれほど忙しくなく、昼食後はお茶を飲み、つまらない冗談を言い合って過ごし、夕刻が近づけば2人でふらりと散歩に出た、という2人の蜜月のような時代だったのだ。

 鎌倉の極楽寺に住むバアさんの見たUFOが事件の発端。それが嘘でない事を証明して欲しいと依頼された御手洗は、現場近くで数日前に変死事件が起きていることに注目した。
 なんとその変死体は、ヘルメットをかぶり、マフラーを巻きつけ、ゴム手袋をして、シーツに身体を巻きつけて死んでいたのだ。

 色んな偶然が重なれば、こんな事も起こるかもしれない。それなりに整合性がある作品。


 「傘を折る女」は1993年、御手洗が出国するちょっと前の事件。この頃の御手洗は「退屈だ退屈だ。こんな事をしていては、ぼくの脳細胞は腐ってしまう」とイラついていたらしい。なるほど、だから彼はこの後、彼本来の世界へ戻って行ったのだろう。
 だから、私としてはこの作品を読み進めれば、御手洗が日本を出る細かいいきさつが判るのではないか、と期待して読んだが、そういった意味では期待はずれ。

 でも、小説としては面白い。彼の超人的な推理力が迷宮入りになりそうな事件を、電話と新聞とラジオの情報だけで、わずか2時間で解決してしまったのだ。

 本文中にも書かれているが、本当に「ぼくにジェット・ヘリを一機くれたら、日本中から迷宮入りの事件なんて無くなるのにね!」である。
コメント (4)
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