ケイの読書日記

個人が書く書評

岸本葉子 「捨てきらなくても いいじゃない?」

2017-11-30 14:11:47 | 岸本葉子
 だいたい2015年から2016年の、あちこちに書いたエッセイを集めたもの。すごく変わったタイトル。岸本さんも収納には本当に苦労しているようです。独身だけど、ファミリータイプのマンションに住んでいるので、収納スペースはたっぷりあるはずだが、広ければ広いだけ、モノが集まってくる。
 以前は、少々無理してでも、自分が決めた期限内に捨てたり整理したりしたけど、最近は寄る年波には勝てず(失礼!)まあ「捨てきらなくても いいじゃない?」と思うようになったとか。

 そういえば、私の友人にも、極めつけの“モノが捨てられない女”がいるなぁ。
 広い庭付きの一軒家で、離れまである。夫婦二人は公務員なので所得多し。子どもは一人。お金はあるから、そして買い物が趣味なのでドンドン買う。で、新しいモノを買ったら古いモノを捨てるか買取ショップに持って行けばいいのに、それをしない。
 離れは物置と化し、庭にどんどん物置を建てて、そこに保管。
 自分でも自覚している。10年前のスキーウェアとスキー板、もう二度と使う事はないだろう。新しいの、買ったし。でも、やっぱり捨てられない。

 廃品のために、大枚はたいて物置を建てるというのも、バカげているような。
 ちなみに、彼女の家は、とても裕福に見えるので、今まで2回、泥棒に入られたそうです。

 私の義姉(ダンナの姉)も“モノが捨てられない女”。だいぶ前の話だが、義実家で大掃除していたら、義姉の学生時代や勤め人だった時の洋服がどっさり出てきた。廃品回収に出せばいいのに、義姉に連絡したら取りに来た。義姉は、タンスを新しく購入し、その大量の洋服をしまったらしい。どう考えても二度と着ない服なのにね。

 ああ、私も人の事を言えないなぁ。でも整理整頓大嫌いだけど、私はそんなに買わないからなぁ。結局、片付けるといっても、絶対量を減らさないと、どうしようもない。整理すると意気込んで棚を買っても、不用品が床から棚に移動するだけ。捨てなきゃ!!!!!!!!


 それから、このエッセイ集を読んで本当に驚いたのは、岸本さん、夏場の生ごみのすえた匂いがイヤで、生ごみを冷凍庫でゴミの日まで保管してるんだって! これは、料理研究家がやってるのを真似したらしいけど、でもビックリ!
 しかし…たしかに野菜の皮や茎、魚の頭や骨など、もともとは食品だったもの。切り取ってすぐに冷凍すれば、全然汚くはないが、ゴミの保存にわざわざ電気を使うのもね。
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桐野夏生 「夜の谷を行く」 文藝春秋社

2017-11-24 18:03:58 | 桐野夏生
 連合赤軍事件は1971年、私が中学生の時におきた。新聞もろくに読まず、ニュース番組も見ない中学生だったが、それでもハッキリテレビの映像を覚えている。過激派が立てこもった雪のあさま山荘を、ものすごく大きな鉄の球で打ち壊し、放水したり催涙弾を打ち込んでいる様子を。

 連合赤軍事件は、大きく分けて二つある。『山岳ベース事件』と『あさま山荘事件』と。興味のある人は自分で調べて。私なりに大雑把に言うと、追い詰められた過激派が、山中に拠点を移し軍事訓練をするが、そこで総括という名のリンチがまかり通り、わずか2か月の間に12人が殺される。
 逮捕者も脱走者も相次ぎ、山岳ベースのことが警察にもれると恐れた過激派は、その拠点を捨て、長野県に逃げようとし、あさま山荘の管理人を人質に取り、立てこもる。

 山岳ベースの当初の参加者は29人いたそうだが、あさま山荘に逃げ込んだときは、わずか5人。その間2か月。いかにハイピッチでリンチが行われていたか分かる。山岳ベースの参加者の中には事実婚の夫婦も多く、妊娠している人もいた。妊婦もリンチの対象になり殺される。夫は妻も子も守らない。自分が総括要求をされるのを恐れて、かえってリンチを主導する。
 社会正義を実現しようと集まった人たちが…どうしてこうなるんだろうね。

 総括というのは処刑ではなく、反革命的な言動をした本人の自覚反省をうながす、という意味らしいが、実際はリンチ。食事を与えず、縛り付けて雪の中に放置する。暴力をふるう。自分の顔を殴るよう強要するなど。
 この総括の名を借りたリンチを主導するのが森(拘置所で自殺)永田洋子(死刑判決が出たが、脳腫瘍で死亡)。


 この本『夜の谷を行く』の主人公・西田啓子は約40年前、この山岳ベースにいた元女性兵士。彼女は永田洋子に気に入られていたので、自分がリンチにかけられることはなかったが、11人目が死んだ後、脱走。山を下りたところで捕まった。刑期を終え、出所し、できるだけ目立たず生きて行こうとする。
 親は心労で早くに他界。実の妹は姉の事件のおかげで離婚においこまれた。他の親せきからは縁を切られている。
 そんな時、妹の娘が結婚することになり、かつて自分が関係していた山岳ベース事件の事を、姪に伝えなければならなくなる…

 この西田啓子さんは、モデルはいるだろうが架空の人物だろう。この本は、連合赤軍事件を題材にしたフィクションなのだ。
 でも、この本を読むと、本当の当事者たちの書いたものを読みたくなるね。

 永田洋子の『16の墓標』を読んでみようかと思っている。
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「日の名残り」  カズオ・イシグロ  土屋政雄訳 ハヤカワ文庫

2017-11-19 15:30:56 | 翻訳もの
 この本は、佐野洋子がすごく褒めていたので以前から読んでみたかったが、のびのびになっていた。カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したおかげで、本屋の店頭に平積みになっていたので、さっそく買う。

 1956年、ダーリントンホールの執事であるスティーブンスは、現在の雇用主のアメリカ人・ファラディ氏から「自分がアメリカに帰国している間、旅行でもしたら?」と勧められ、短い旅に出る。ファラディ氏の車を借りて、イギリスの美しい田園風景を眺めながら、様々な思い出が胸をよぎる。
 長年仕えてきたダーリントン卿への敬慕、女中頭への淡い恋心。二つの大戦の間に、邸内で催された外交的に重要なパーティの数々。

 ダーリントン卿は、第1次大戦後、敗戦国となったドイツのあまりの窮状に心を痛め、賠償金の支払いを少しでも軽減しようと、自分の屋敷に各国の要人を集め、パーティを開きながら根回ししていた。
 そうだよね。国際会議当日ですべてが決まる訳じゃない。前段階で決まるんだ。社交の名目で、あちこちで意見交換されるんだろう。こういったダーリントン卿の紳士的な気質にナチスはつけこみ、利用していった。結局、第2次大戦後、卿は対独協力者として、社会的に葬られることに…。
 そして1953年、廃人同様になった卿は亡くなり、屋敷は売りに出され、使用人と一緒にアメリカ人の手に渡る。

 ファラディ氏はとても気前の良い人で、執事であるスティーブンスの旅行中、フォード車を使っていいし、ガソリン代もファラディ氏が持つという。アメリカ人だから大雑把で細かい事を言わないし、理想的な雇用主。でも、スティーブンスの心の中には、過ぎ去りし華やかな思い出が、輝きを増して生き続ける。


 ダーリントン・ホールで華やかな社交行事が頻繁に行われていた時には、執事スティーブンスのもとで17人の雇人が働いていたし、その前は28人もの召使が雇われていたこともあったそうだ。
 1人の貴族が28人もの人を雇用できるという、財政的な基盤を持っているのがすごい。だってその28人は、屋敷内でサービスを提供するだけで、対外的に働いてお金を稼いでくるわけじゃないんだもの。

 お客様がたくさんいらっしゃる時の執事の仕事も、24時間勤務。夜更けまでお酒を欲しがる客もいるし、体調不良を訴える客もいる。もちろん現代では、ブラックすぎて問題になるし、ありえない話だろうが。
 そして女中頭も激務。多人数を泊めるのは本当に大変。この時代、セルフサービスでお願いします、とは言えないんだろう。

 この女中頭に、スティーブンスは淡い想いを抱いていた。彼女の方も好意を持っていたが、スティーブンスがあまりにも石頭なので、他の人と結婚し、お屋敷を辞めてしまう。
 このへんの感情の行き違いをスティーブンスは「もしもあの時、ああしていたら…」と絶えず自問するが、今更どうしようもない。
 しかし、お互いに好意を持っている事がハッキリしても、職場結婚というのは、彼の職業観からでは、できなかったと思う。

 スティーブンス、1日は夕方が一番美しい。人生もまた夕暮れが一番いい時間なんだ。楽しんで!!
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「猫は神さまの贈り物」エッセイ編  有楽出版社

2017-11-11 19:51:02 | その他
 作家・画家・評論家・学者といった様々な職業人17人が書いた、猫についてのエッセイを集めたアンソロジー。初出はバラバラで、古いものは戦前に植民地下のソウルで書かれたエッセイもある。多くは戦後しばらくたって1970年代ぐらいのエッセイが多いかなぁ。

 夏目漱石のエッセイもあるし、漱石と猫について書いてある山本容朗という人のエッセイもある。
 夏目漱石は『吾輩は猫である』で有名になったので、猫派と思われるかもしれないが、実は犬の方が好きなんだってね。ただ、世間の人はそう思ってくれず、猫の名付け親になってくれと頼まれたり、猫の骸骨が送られてくることもあったそうだ。すごい人だなぁ。

 柳田國男の民俗学的エッセイもある。陸前の田代島は猫の島としてとても有名で、私もいつか行きたいと思っている場所。猫神社なるものがあり、ここは犬が上陸禁止なのだ。島民のほとんどが漁業に従事しているから、猫がいっぱいいるのは当然。その猫は犬と敵同士だから、犬を上陸させないようにした…というのは一見理屈が通っているように思うが、柳田國男は、別の説を唱える。犬の上陸禁止の方が先ではないか、と。(犬を入れてはならないという島は、昔は日本のあちこちにあったらしい)
 なぜか?それは、島を葬地とする習慣があったからではないかと彼は推測する。
 確かに、土を深く掘って死体を埋めることは、大昔にはやらないだろう。大昔は鳥葬や風葬みたいなのが一般的だったろう。海上にころあいの離れ小島があれば、それを葬りの場所にするのは自然のことで、そこに野犬がいれば遺体をメチャメチャに食い荒らすだろう。だから犬を上陸させなかった。
 時代が下って土葬が一般的になり、、そういった葬り島の言い伝えが消えていき、犬を上陸させないという習慣だけが残った。そこで、猫神さまの島という理由を後からつけた。なるほどね。あくまでも推測だけど。

 他には、黒田亮という動物学者が、猫とマタタビを研究していた。これ、戦前の京城(ソウル)で。暇ですなぁ。
 猫はマタタビにエクスタシーを感じるようで、我が家のみぃ太郎も、猫爪磨き板に添付されているマタタビパウダーを振りかけると、よだれをたらしてスリスリする。効果てきめん。ただ、黒田氏にいわせると、世界中のネコがマタタビを好きという訳ではなく、西洋のネコはアスパラガスが好きらしい。(本当か!?)

 猫好きで有名な大佛次郎のハートフルエッセイも。彼の家にはいつも10匹以上の猫がいて、ご飯時には、猫たちが1列に並んで一斉にご飯を食べている写真を見た事がある。壮観でした。
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角田光代 「世界は終わりそうにない」   中央公論新社

2017-11-05 14:52:04 | 角田光代
 角田光代のエッセイは好きだが、このエッセイ集は…どうもですねえぇ。たぶんこれは、依頼主の注文や制約が多いからだと思う。オレンジペーシなどに連載されているエッセイは、生き生きしているものね。

 その中で、三浦しをんとの対談『書評の愉しみ」はすごく面白かった。他にもよしもとばななとの対談も載っているが、どうも型にはまっているというか…三浦しおんとの対談の方が、うんと自由。三浦しをんもかなりの読書家らしい。『三四郎はそれから門を出た』という書評集を出版したのを宣伝するため、角田光代X三浦しをんの対談集が組まれたみたい。

 二人の対談は話があちこち飛ぶけど、これがまた本当に面白いんだ!!!
 面白い本より面白くない本の話をする方が好き、というのは二人とも共通している。たしかにそれは理解できる。素晴らしい作品というのは「本当に素晴らしかった」で終わり、それ以上何を書けば良いんだろうと思う。ダメな作品はダメ出しした時の自分の興奮具合を誰かに伝えたくなると、角田さんなど言っている。
 具体的には三浦しをんさんは『ダヴィンチコード』を「なんじゃこれ!」って思っているし、角田さんは『海辺のカフカ』を読んで、本当に分からない、どうしよう!!書評が書けない!と途方に暮れていたとか。
 良かった! 角田さんみたいな優れた読者家が分からないと白旗上げてくれて。そうやってホッとしている読者っていっぱいいると思うよ。

 今年もハルキストの皆さんは、神戸の有名なカフェに集まったんだろうね。村上春樹って、そんなに皆読んでるの?私はエッセイと短編を少々、それから翻訳ものを少し読んだことがあるが、長編は未読。どうしてあんなに売れるんだろうか?皆、読み終えてる?
 村上春樹の本を抱えていると、純文学的な人に見られるからなのかな?いや、失礼。

 また、角田さん、三浦しをんさん、2人とも、長い書評を書く時、エッセイのように自分の思い出から書き始め、後半で本の内容につなげることが多く、三浦さんはそれをダメとハッキリ書いているけど、ダメじゃないと思うけど。私は、そっちの方が好きだなぁ。
 書評専門の人は、最初から最後まで、本の内容について書く人が多いが、それってツマラナイ。
 だから私は、話題の新刊といったタイトルより、誰がその書評を書いているかの方が、興味ある。読む気をそそられる。
 
「自分語り→書評」のパターンは群ようこに多い。だから群さんのブックレビューはすごく面白い。岸本葉子さんなど、根が真面目で横道にそれてはいけないと思うんだろうなぁ。書評に自分語りの部分がほとんどなくて、読んでるうちに飽きてくる。

 でも、依頼主としては、その本を紹介してほしくて書評を依頼するんだろうから、岸本さんのような書評が誠実なんだろうね。
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