ケイの読書日記

個人が書く書評

群ようこ「ぬるい生活」

2014-07-27 18:09:32 | Weblog
 最近、仕事が忙しくてなかなか読めないので、サクサク読める群ようこのエッセイでも読もうと借りてきたが…やっちまったね。

 読み始めて、妙に既読感がある話だなぁ、と思って読んでいたが、群ようこの友達がパニック障害をおこしたという話を読んで、疑惑が確信に変わる。このエッセイ集、私、読んだ事ある!!
 そこで調べてみると、2010年8月24日に、ちゃんとブログにUPしてあるのだ!
 ああ、やっちまったね。


 言い訳させてもらうと、エッセイというのは、同じ題材を使いまわして、色んな雑誌に違うエッセイとして載せることが多いので、似た話が多いのも事実なのだ。
 それにしても…たった4年前の事なのに、こうキレイさっぱり忘れるとは…。こういう事にならないように、読書感想ブログを始めることにしたのに…。
 老化というのは、怖ろしいです。

 
 そうそう、村上春樹のエッセイ集でも、同じことがあった。「やがて悲しき外国語」というエッセイ集だったかな。読み進めていって、1/3ほどの所で、華麗なるギャッピー作者の孫娘と会談する話が載っていて、やっと気が付く。これ、読んだ事ある!
 村上春樹なんて、めったに読まないのに、この有様だものね。

 しかし、考え方を変えれば、同じ本を何度も新鮮な気持ちで読めるという事は、おトクな事かも。
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内田百 「彼ハ猫デアル」

2014-07-21 13:57:48 | Weblog
 内田百(1889-1971、夏目漱石門下の小説家・随筆家)が飼っていた、ノラという子猫の事を書いた短編エッセイ。
 わずか12ページだが、これが結構、面白いのだ。猫の生態って、いつでもどこでも同じなんだなぁと感心する。

 百先生の庭に野良猫が住み着き、赤ちゃんを生んだ。その中の一匹が、えらく百先生夫婦を気に入りじゃれつくので、ご飯をあげるようになったのがきっかけ。
 親猫の方は「どうか何分共、よろしくお願ひ申します」という素振りをして、どこかへ行ってしまったらしい。
 ノラとは女っぽい名前だが、れっきとしたオス猫。



 それにしても、百先生夫婦のノラの可愛がり方といったら、本当に「猫っ可愛がり」!
 ノラが風邪をひいて食欲がなくなったら、「コンビーフとバタをこね廻したのに玉子を掛けてやって見ると少し食べた」と喜んでいる。こんな脂っこいものを体調の悪い子猫にやれば、もっと具合が悪くなりそうな気がするけど…。だいたい明治か大正の時代だよ。すごく高級品のはずだけど。

 ノラは、寒い日には、風呂場に入って風呂桶のふたの上に寝るようになる。これは、我が家のミィ太郎も同じで、床下暖房になっているから、気持ち良いんだろう。
 しかし、百先生のところは、その風呂桶のふたの上に、ノラ専用の座布団が置いてあるのだ! 過保護ですよ。百先生。


 また、百先生は、猫が寝てばかりいるのにも驚いている。これ、同感。 1日24時間のうち、22時間ぐらい寝てるんじゃないかな。
 外飼いの猫だったら、トカゲやバッタを捕まえようと草叢で遊ぶだろうし、避妊手術や去勢手術をしてない野良猫だったら、発情期に何日も寝ないで飛び回っているので、平時に寝てばかりでもいいだろうが、室内飼いの猫が、こう寝てばかりでは、メタボになるのも当然だよね。(もちろんノラは、昔のことだから、外に遊びに出かけるし、去勢してない)

 夏だったら、開いた窓からカナブンやバッタ、セミが飛び込んできて、それを大喜びで追いかけまわしているけど、冬は窓を閉め切っているので、日向ぼっこばかりしている。
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佐藤賢一「黒王妃」

2014-07-15 15:00:28 | Weblog
 黒王妃とは、カトリーヌ・ド・メディシスのこと。ほら、世界史の教科書に載っていたでしょう? 夫のフランス国王・アンリ2世よりも、よっぽど有名。アンリ2世の死後、喪が明けても黒衣をまとうようになる。
 なぜ、この人、こんなに有名なのかな? メディチ家自体がルネサンスの芸術家たちのパトロンとして有名なのだ。
 特にカトリーヌは、イタリアのメディチ家からフランス王家へ輿入れする時、当時最先端だったイタリアの文化を、フランスに伝えた。だって、当時(16世紀ごろ)フランス宮廷では、食事は手づかみで食べていた。ナイフやフォークを持ち込んで、テーブルマナーを教えたのが、カトリーナだったらしい。

 フランス宮廷と言えば、寵姫。(ルイ14世のポンパドール夫人が特に有名)もちろん、アンリ2世にもいた。王妃としては、本当に目障りだろうね。
 嫁いだ先に、えらくチヤホヤされ皆から一目置かれる存在の女がいる。自分は王妃だから、最高位の女性なのに、自分以上に敬意を払われる女がいる。あの女はいったり誰?
 愛人というと、ちょっと日陰者のイメージがあるが、フランス宮廷では、華やかさの中心なのだ。国王の寵愛が深ければ、王妃をも、はるかに凌ぐ権力を持つ。

 しかし、こういう人って、国王が死んでしまえば、その立場は難しい。財産や権力を没収されて、追放・幽閉なんてこともあったらしい。(黒王妃はそこまであくどい事はやってない)

 そういえば…、中国のいつの時代だったか、帝の死後、帝の愛人の手足を切り落とし、生きたまま大きな瓶に入れて眺めたっていう妃がいたような…。よくそこまで気持ち悪いことやるなぁ。逆の意味で、感心しちゃう。

 
 黒王妃は、夫が早く死んだので、まだ幼い新国王のかわりに、政治を執り行う。フランスは伝統的にカトリックの国だが、そのころプロテスタントの勢力が急拡大し、宗教戦争が勃発。大変だったようだ。
 国としての連帯よりも、宗派の連帯の方が強いので、簡単に外国に応援を要請する。現代のイラクやシリアの内戦のようだ。反米・反キリスト教で一致している時は団結するが、その脅威が薄れると、すぐに分裂する。
 シーア派でも、スンニ派でも、同じイスラム教徒なんでしょ?                                                                                                                                                                                   
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佐野洋子「死ぬ気まんまん」

2014-07-10 09:35:03 | Weblog
 ガンの告知を受けてから、72歳で死ぬまでの生活をつづったエッセイ。でも、通常の闘病記とは全く違う。佐野洋子らしい、わがまま全開のエッセイ。
 本文にも宣言してある。「私は闘病記が大嫌いだ。それから、ガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリに痩せて、現場で死ぬのが本望という人も大嫌いである。」このまんま、佐野洋子が言いたい事を言い、書きたい事を書いた。


 ガンが再発して骨に転移した時、お医者さんは、余命2年で、死ぬまでに治療費と終末介護代含めて、一千万円くらいだろうと言ったらしい。
 実際は、4年ほど生きたので、「わー、お金が足りなくなっちゃう、働かなきゃ」と書いていたが、そんな事はないだろう。この人、売れっ子だったものね。
 それに、自分の事だけじゃなく、お母さんの介護にかかる費用も大変だったと思う。お母さんは長生きして、佐野さんが亡くなる4年前に、93歳で亡くなった。最期の方は、とても良いホーム(つまり料金が高い)で世話になっていたようだ。
 天敵のように対立した母娘だったようだが、自分の死ぬ前に、母を看取ることができて、その点では心残りは無かったんじゃないか?



 佐野さんは、がん再発の告知を受けた日、その足で車屋へ行って、イングリッシュグリーンのジャガーを買った。イングリッシュグリーンって、どういう色か知らない。でも、絵描きが乗るなら、カッコイイ色なんだろう。
 本文には「私は国粋主義者だから、絶対、外車に乗らなかった。中古の外車を買う奴が、一番嫌いだ」とある。(中古の外車を買う奴が一番嫌い、というのは同感)
 でも、国粋主義者でも、イングリッシュグリーンのジャガーが、一番美しいって心の中では思ってたんだ。あっぱれではないか。死出のみやげに。

 ねぇ、ジャガーの新車って、いくらくらいするんだろう。
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種村季弘 「雨の日はソファで散歩」

2014-07-05 12:54:29 | Weblog
 作品は読んだ事ないけど、種村氏の名前だけは知っていた。この題名が、自分の気分にぴったりなので、借りてみる。
 本来は、この人、独文学者で評論家、エッセイストなんだって。 
 1933年(昭和8年)東京・池袋の生まれ。そうだろうなぁ。昭和ヒトケタの匂いがプンプンするもの。この時代の人って、本当にお酒が好きだなぁ。酒を飲まない奴なんかクズだという感覚。

 このエッセイ集の最後の方で「だけど、今の人たちは酒を飲まなくなったねぇ。ファーストフードと立ち飲みのコーヒーで、人間関係が作れるもんなのかねぇ。僕らの頃は、学校なんて行かないで、飲んでたんだよ。」という記述があるけど、そうだろうね。この人たちは、朝っぱらから飲んでる。下手すりゃ何日も飲んでる。しかも酒癖が悪い。文壇バーに行くのが、一種のステイタス。
 しかしねぇ、地方の滅多に手に入らない幻の地酒っていったって、ぐでんぐでんに酔っぱらっているんだもの。何を飲んでもわかりゃしないよ。
 それを、さも自慢げに書くから…ああ、嫌だ嫌だ。


 昭和7年生まれの実家の母も、お酒大好き。どうしても切れない。(父はとっくに亡くなっている)コップ1杯ほどの日本酒を毎晩飲んでいるが、本人に言わせると、「こんなの、飲んだうちにはいらない」そうだ。
 お医者さんから、止めるように言われている。私がしつこく「やめたら?」と言うと「人をアル中みたいに言うな!」と怒るが、立派なアル中ですよ。だって自分の意志では止められないんでしょ?
 この時代の人って、「酒を飲まない人は、つまんない人」という刷り込みがあるからね。お酒飲まなくても、十分楽しく暮らせます。


 そうそう、種村氏の都立大学助教授時代の同僚の英文学者が、大学を辞めてロンドンに行ったが、英語が通じなかったんだって。1970年ごろの話。40年以上前の話にしても…悲しいです。
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