ケイの読書日記

個人が書く書評

有栖川有栖 「濱地健三郎の霊なる事件簿」 角川書店

2019-01-26 16:55:34 | 有栖川有栖
 驚きました!! 心霊探偵とあったけど、作者が有栖川有栖なので、パッと見は心霊現象でも実はバリバリの科学的犯罪で、それを名探偵が暴いて解決するんだと思って借りた。東野圭吾ガリレオシリーズの湯川先生みたいに。
 しかし、最初から最後まで、心霊探偵と心霊現象じゃないか、なんだこれ?!

 でも、実は有栖川有栖は、怪談もよく書いているそうで、これは3冊目の怪談集になるそうです。意外です。私が知らないだけか…。

 うーーん、どうなんだろうね。私としては、火村+アリスコンビが活躍する話や、江神二郎+推理小説研究会メンバーが登場する話の方を読みたかったというのが本音。でも、本格推理ってそんなに書けないんだろうね。アイデアが難しいから。だから、こういった変則的な作品も出てくるんだろう。

 厳しい事を書くが、だいたい、名探偵役の濱地健三郎、その助手でワトソン役の志摩ユリエの両方のキャラがつまらない。
 年のころは30歳~50歳の年齢不詳の紳士然とした濱地と、年齢が20歳代半ばで以前マンガ家志望だったので似顔絵の得意なユリエの間に、何も起こりそうもないし、2人の会話も本当につまらない。どうしてかな? 濱地のプライベートが全く明らかになっていないので、読者が妄想を膨らませる余地が少ないからだろうか?

 ユリエが自信を無くして「わたしに先生の助手が務まるでしょうか?」と言った時、「そうしてくれると助かるんだが、嫌になったらいつ辞めてもかまわない。きみには選択の自由がある。」なんて、濱地の答えは無味乾燥、ぱっさぱさ。
 こんな紳士じゃなくて、もっとオレ様キャラというか、サドっぽい人の方が、話は面白くなると思う。

 キャラに愛着を感じられないというのは、致命的なような気がする。それとも何作も読み続けていくと、愛着を感じるようになるんだろうか?
 火村+アリスコンビや、江神二郎+推理研メンバーの間には、精神的な同性愛のような固い結びつきがあるが、濱地とユリエの間には何もない。

 文句ばっかり書いてしまったが、普通に楽しく読めます。有栖川有栖だから期待していたので、ついつい辛口評になる。幽霊話が好きな人には、お勧めかも。
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群ようこ 「ついに、来た?」 幻冬舎

2019-01-21 15:20:50 | 群ようこ
 先回のブログも高齢者問題の本、今回のブログも高齢者の認知症の話と、続きますねぇ。今現在、私が直面している問題だから、どうしても書架で目につくんだろうか?

 認知症になった高齢者と、その家族の悲喜劇を書いた8編が収められている。考えるだけで気が滅入るが、そこは群ようこ。カラッと明るく書いていて、悲劇色より喜劇色の方が強い。
 群さんのお母様も、群さんの弟さんと同居なさっていて、体調を崩してからは施設にお世話になっているようなので、群さん自身が認知症で振り回されることはあまりないと思う。しかし、私や群さんの年代は、親がちょうど認知症適齢期で、親戚・友人・知人から、そういった話をたくさん聞くんだろうね。
 色んな認知症のパターンが書かれている。

 1日中、引き出しを引っ掻き回して探し物をしたり(何を探しているのか本人も分かっていない)、以前は料理上手な人だったのに、作った味噌汁が激マズだったり、同じ話を何十回何百回と繰り返したり(これはよくある話)、「ネックレスがない。あんた盗んだでしょ!」と娘に詰め寄ったり…ああ、もう本当に大変!!

 幸い、私はバアさんから泥棒扱いをされたことはないが、バアさんが自分で煮物を食べたのに、泥棒が寝ている間に侵入して煮物を食べたと言い張り、防犯カメラを取り付けた事がある。当然、そのカメラには、バアさんが煮物を食べている所がバッチリ写っていたけどね。

 でも、どうしてあんなに自分の無謬性を信じられるんだろうね。「お酒も飲むし睡眠薬も飲むので、自分が寝ぼけて煮物を食べたかもしれない」と疑う事が無いのはなぜ? 謙虚さが足りない。家の中はしっかり戸締りして、内側からカギがかかっているんだよ。そんな事でお巡りさんを呼ぶな!!
 ああ、書きながらも、思い出すと腹が立つ。

 少しは救いがある話もある。例えば第6話『伯母たち、仲よく?』心が軽くなるエピソードがある。
 認知症の人たち同士の会話って、かみ合っていないのに不思議につながるのよね。つまり、相手の言う事、聞いてない。耳が悪いせいかもしれない。お互い、相手が自分の言ってほしい事を喋ってるとカン違いしてるんだ。幸せなことに。
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「母の家がごみ屋敷」 毎日新聞記者 工藤哲

2019-01-16 10:08:12 | その他
 このタイトルにドキッとした人、多いんじゃないだろうか? 身に覚えのある人が。実は、私もその一人。
 実家のゴミ屋敷ぶりを騒ぐなら、自分の住んでいる家をちゃんと片付けろ!という声が、どこからか飛んできそうだが、この際、自分ちの汚さは棚に上げて、言う。本当に困っていると。

 実家の母は、もともとキレイ好きな人ではなかったが、それでも足の踏み場がないほどではなかった。家族4人が、それなりに生活し、兄が結婚し家を出、私が結婚して家を出、父が亡くなり母一人になって20年ちょっと。
 いったい、どこからこんなに物が湧き出してきたんだろうと不思議に思うほど、大量に物がある。
 特に2階は、完全に物置になっていて、1階で邪魔になったものは、2階に上げていた。今では母は2階に上がれないので、片付けたり捨てたりするのは私の役目。どーんと捨てたいのだが、母が見つけるとゴチャゴチャ言うのよね。
 「まだ使える」「後で片付ける」「おまえは物を大切にしない」「おまえの家に持って行って使え」などなど。
 冗談じゃない!!!! 私の家でも、どうやって物を減らすか困っているのに、他の家の物など引き取れないよ。


 この本の中にも書いてあったけど、今は「買うのは簡単だけど、捨てるのは難しい時代」なんだよね。お金さえあれば、毎日でも通販で物が買える。けど、捨てるのには制約がある。可燃ごみ、不燃ごみ、資源ごみ、粗大ごみ、などルールがあり、捨てることができる日にちと時間が決まっている。
 高齢になると、曜日が分からなくなるので捨てられない事もあるが、そもそもゴミの分別ができなくなっちゃう。
 だから(私もやっているが)子どもが実家のゴミを自宅に持ち帰り、自宅の地域のゴミルールにのっとって捨てる。なかなか大変。

 そもそも高齢者って、ごみ(失礼!)モノに囲まれている方が落ち着くという人が多いのかもしれない。片付けた部屋だと、寂しいと感じるのかな。
 いや、そんな仏心を出しては身の破滅。母の入院中にどんどん捨てていこう。
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恩田陸 「木漏れ日に泳ぐ魚」 中央公論新社

2019-01-10 10:02:29 | 恩田陸
 一組の男女が別れることになり、迎えた最後の夜。翌朝には、男は新しい女のもとに行き、女は友人の所で居候してから新しいスタートを始めるつもりだ。
 ただ2人には、どうしても解決しておかなければならない問題があった。
 1年前、旅行先で依頼したガイドの謎の転落死。男は女を疑い、女は男に不信の眼を向ける。男の死の真相は…?

 実は、男と女は3歳の頃、生き別れた二卵性双生児。お互いに相手の存在を知らされず成長したが、大学で出会い、強く惹かれあった。家族や親せきの話から、お互いが双子だという事が分かり、兄妹として失われた時間を取り戻そうと同居。恋愛感情を持ちながらも、一線を超えないよう努めている。
 こういう所が、すごく気持ち悪い。ごめんね。私、近親相姦の話って本当にイヤなんだ。たぶん、実際に兄がいたからだと思う。
 
 でも、小さい時ならともかく、大学生になって異性の兄妹・姉弟がアパートで同居を始めるなんて、クレージーだと思う。実家ならともかく。
 私など、中学生くらいから、兄が入ったあとの風呂に入るの、本当にイヤだったもの。それどころか廊下や階段ですれ違う時、肩なんか接触したらゲッとなり1日中気分が悪かった。私たちが特別仲が悪かったわけじゃない。兄や弟がいる友人からも、同じような話を聞いた。こういう人、多いと思う。

 それに子供の頃の記憶って、そんな残ってるものなのかな?作中では、男が3歳ころ、双子の女の子の履物のキュッキュという音を覚えていたり、母方の祖母の家にあった大きな古時計の彫刻を鮮明に覚えていたりするけど、記憶力が良い人はそうなのかなぁ。私など、小学校低学年の記憶もあまり無い。
 記憶って、後から作られることも多いと思う。古いアルバムなど見ていて、それを自分の記憶の中に刷り込ませるというか…。


 この小説では、その記憶を手繰り寄せて、自分たちの関係やガイドと自分たちの関係、ガイドの転落死の真相に迫っていく。
 真相?! 本当に真相だろうか? 特に最大の謎『なぜ、山に慣れているはずの山岳ガイドが、あの見晴らしのいい崖から落ちたのか?』 男女が辿り着いた真相は、単なる仮説にすぎない。すごく説得力あるけど。
 そう、ガイドの死は事故死として片づけられた。それ以上でもそれ以下でもない。不幸な事故だったのだ。

 
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伊坂幸太郎・文 マヌエーレ・フィオール・絵 「クリスマスを探偵と」  河出書房新社

2019-01-05 10:26:14 | 伊坂幸太郎
 言い訳させてください!! もちろん、この絵本を借りたのはクリスマスのちょっと前です。でも読めなくて、年が明けてしまいました。
 新年早々のブログが『クリスマスを探偵と』なんて、あまりにも季節感なさすぎじゃない?と自分でも思うのですが…この絵本、なかなかしゃれている! 今年のクリスマスプレゼントに誰か(もちろん大人)にあげたいなと思わせる絵本ですよ。

 あとがきに書いてあるのですが、この小説のあらすじは、伊坂幸太郎が大学1年生の時に書いた短編が元になっているそうです。やっぱり、豊かな才能がうかがえますね。2010年、河出書房新社から『文藝別冊 伊坂幸太郎』という特集ムック本を出した時に、書き直して発表。
 その直後から「せっかくのクリスマスの話なので、プレゼントできるものにしたい」という話が持ち上がり、この美しい絵本になったそうです。絵を描いたマヌエーレ・フィオールさんは、有名な方らしいですが、私は今まで存じ上げなかった。でも、柔らかく優しい画風です。


 サンタクロースを何歳まで信じていたか、よくおしゃべりのテーマになるけど、昭和33年生まれの私は、親からクリスマスプレゼントをもらった覚えがない。もちろん、親の経済状態や宗教観、住んでる所の地域性などもあるだろうが、学校でもクリスマスプレゼントに何を貰ったかという話題は、あまりなかったと思う。昭和40年代の初めころまで、そんなに一般的な風習でもなかった。ケーキは食べた記憶があるなぁ。
 それよりも子どもの関心は、お年玉だった。おじさんに〇円貰った。おばあちゃんに□円貰った。合計〇〇円あった。いつまでお年玉って貰えるんだろう。親戚のお兄さんは大学生だけど貰ってるよ。などなど、教室内でお年玉の話が飛び交っていた。
 昔は今と比べて、親戚が多く、1人1人が少額でも結構な金額になったのだ。


 いつも思うが、クリスマスやハロウィーンと言った外国の風習は、日本ですぐ広まるのに、どうして日本古来の風習って消えていく一方なんだろうね。『お月見どろぼう』なんてハロウィーンに似てると思うけど。


 新年のご挨拶がおくれました。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
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