ケイの読書日記

個人が書く書評

佐野洋子 「あれも嫌い これも好き」

2016-02-27 09:28:40 | Weblog
 前半のエッセイは、朝日新聞の朝刊に2000年1月から7月まで連載されたもの。後半は、いろんな雑誌に書いた文章で、初出が付いていないので、いつごろの文章か分からないが、かない古いものも含まれていると思う。なんせ、佐野洋子は昭和ヒトケタの人だから。

 どの話を読んでも面白い。小説じゃなくてエッセイなので、基本は本当の話だろうが、うっそーーー!!と驚く話もある。例えば『1巻の半分』の中の一場面。

 X誌特別号に「この百年の文学」という特集がありまして、大変権威ある評論家が「まず、プルーストの『失われた時を求めて』は外せんだろうなあ」とか言い、それを受けて「ああ、これは外せませんなぁ」と受けたのも、大評論家でした。「○○さん、これ全部読みましたか?」「いや、読んでない」「僕も。アハハ」
 それでも『失われた時を求めて』は、20世紀を代表する文学の第2位だかにランクづけられていました。(本文より)

 うっそーーー!! ホントかよ?! 大長編ってことは知ってるけど、文芸評論家が、それも自称ではなく、文芸論でメシを食っている文芸評論家が、プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいないって? もちろん、私は読んでいません。


 でも、別の箇所で、昔の人は本を読んでいたんだなと感心する場面もある。

 『チボー家の人々』のジャックについて、『アンナ・カレーニナ』のウロンスキーについて、私たちは延々と、偉そうに議論したことは、思い出すだけで恥ずかしいのであるが、ちゃんと記憶にある。(本文より)

 『アンナ・カレーニナ』はともかく、『チボー家の人々』って、そんなに読まれていたんだろうか?私たち、という事は、美大生の集まりだと思う。この小説も有名な大長編だという事で名前だけは知っているけど、もちろん私は読んでいない。
 そういえば、北杜夫の小説だかエッセイに『チボー家の人々』って出てきたような…。戦後の混乱期に青春時代を過ごした人たちのバイブルだったんだろうか?

 戦後の混乱期と言えば、こんな記述もある。

 18才で上京したら、予備校に徳川さんという女の子がいて、その人は家康の直系だったそうで、家康の子孫に私たちは「アンタ、そのバケツのデッサン狂っとるよ」などと平気で言ってました。(本文より)

 織田信成の事もあるし、いやはや、いい時代になったもんです。
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雑種です。今はミックスっていうのかな?

2016-02-22 10:54:35 | Weblog
 今、我が家にいるみぃ太郎を、三男が拾ってきた時、次男が「そんな野良猫の赤ちゃん、飼うのイヤだ! 血統書付きの良い猫ならともかく」と言った時、すごく腹が立ちました。「雑種を差別するな! 野良猫が一番かわいいんだ!!」
 今では、ごはんを食べてももっと欲しがるみぃ太郎に、次男がこっそりおやつをあげています。可愛がっていますよ。
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有栖川有栖 「山伏地蔵坊の放浪」

2016-02-22 10:28:24 | Weblog
 ど本格!! 有栖川有栖のごく初期の作品らしく、すごく鮎川哲也っぽい。
 日本全国をさすらっている山伏・地蔵坊が、各地で難事件に出会い、その真相をことごとく看破する。

 土曜の夜、とあるスナックの片隅で、推理好きが集まり、地蔵坊先生から、その体験談を聴いて、ああでもないこうでもないと、推理談議に花を咲かせる。問題出題編と解答編がハッキリ分かれているので、読んでいる私たちも推理しやすい。 
 自分なりに仮説を立てて「よし!これで間違いなし」と心に秘めて解答編を読むと、推理談議に花を咲かせているスナックの客の仮説と同じ。心強く思っていると、それはハズレで、地蔵坊先生が最後に真相をあかす。

 うーん、私やスナックの客の仮説の方が理にかなっているような…という気がすることもあるが、だいたいが見事な推理。
 特に、第4話「毒の晩餐会」と第6話「割れたガラス窓」が良いなぁ。
 いろいろ仮説を立ててみても、どうも1か所ピースが上手くはまらない。やっぱり、もっと整合性のある解答があるんだなと、地蔵坊先生の話を伺うと、本当にきれいに全てのピースがあるべき所に収まる。そんな感じ。

 もちろん、スナックの客たちの見当ハズレの推理も、可能性をつぶしていく事に役に立っている訳で、こういうところが『火村&アリス』コンビのディスカッションによく似ていると思う。アリスが頭に浮かんだアイデアを、どんどん言葉に出して、火村がそれを却下していく過程。

 これは、初出の月刊誌が廃刊になってしまったそうなので、この山伏地蔵坊シリーズは、この1冊のみで、とても残念。
 また何かの機会に、このシリーズを登場させてもらいたいが、有栖川先生に一つお願いがある。スナックの客の顔ぶれを一新してもらいたい。紳士服店の若旦那、ヤブ歯医者、写真館のオーナー夫婦、レンタルビデオ屋のおにいちゃんじゃ、あまりにも魅力がなさすぎる。ハンサムなバーテンダーはそのままでね。
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津村記久子 「八番筋カウンシル」

2016-02-16 16:46:37 | 津村記久子
 小説の新人賞を受賞したのを機に、会社を辞めたタケヤス。東京で勤めていたが、そこを辞め、家業の文房具屋を継ごうと考え始めるヨシズミ。地元の会社に就職するも、家族との折り合いが悪く、マンションを買って家を出たいと思っているホカリ。
 幼馴染の3人が、30歳を目前に、自分たちが育った町・八番筋商店街で再開する。カウンシルとは、青年団のこと。
 そこに、15年前、無実の罪をきせられ町を追われたカジオや、地域一番の美少女だったカヤノが現れ…。


 作者の津村さんも、10歳の時ご両親が離婚し、こういった大阪のさびれた商店街で商売をやっている祖父母の元で大きくなった。だから、この小説は、彼女の自伝的な色合いが濃く出ている。

 30歳目前のタケヤス、ヨシズミ、ホカリの日常と、中学校・高校時代の思い出とが、交互に書かれている。
 いつも思うことだが、津村記久子は、一見まったく目立たない普通の中学生・高校生を書くのが、本当にうまい。
 目立たないといっても、タケヤス、ヨシズミ、ホカリは、それぞれ父親と死別したり離別したりして、母子家庭で母方の祖父母と同居しているという共通項がある。学校内で問題をおこさず、良い意味でも悪い意味でも注目されない。
 でも、彼ら彼女らの心の中は、進学の事、家庭の事、友人の事、異性の事、いろんな思いが渦巻いている。


1)男子は、自分たちと仲良くしたがっている女子を、すぐに嗅ぎつけるものだ。それは女子も同じで、それぞれの仲良し希望者をそれぞれが選別して、そのエリミネーションに残った者が晴れて異性と仲良くする権利を得る。

2)「夜遊びとか、わからんなぁ。おれやったら、休みの前の日の夜から朝は、絶対家におりたいわ(中略)だいたい人とおりすぎんのも疲れへんか?」タケヤスの言葉。

3)ほとんど顔見知りもいないつまらないクラスに配属され(中略)クラスに友達がいないのは一緒なので、力なく笑うだけだった。4月は、そういうところがいやだ。自分が安寧に所属できるグループを探して、不安を抱えたまま、好きでもないやつに、上手くもない愛想笑いをしなければいけないなんて。

4)塾へは異常に真面目に通っていたのは(高校受験のため)14才のこの時の努力で人生が決まってしまうような恐怖を、講師たちに叩き込まれていたからだった。

5)校則違反までして化粧をしている、そこそこ小奇麗な女たちが、煙草を買いに来る男たちの隣で笑っていたが、あらゆることを早く済ませてしまうが為に早く疲れてしまう彼女たちの未来が、タケヤスには見えるようだった。


 この小説を読んで、久々に自分の中学時代を思い出した。楽しかったことも、つまらなかったことも。今まで、記憶の下に埋もれていたのに。私を含め、大多数の人にとって、中学生時代というのは、なかなか過酷な時代なんだろうね。
 もし神様が「若い時に戻りたいって? 中学生に戻してあげよう」と言っても、私はキッパリ断るね。
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益田ミリ 「ほしいものは なんですか?」

2016-02-11 14:16:51 | Weblog
 「すーちゃん」で人気の益田ミリのマンガ。
 主要な登場人物は3人。40歳既婚のママと、その一人娘の小学生、そしてママの義理の妹(ダンナの妹)のタエちゃん。お話は、この小学生の女の子の目を通して描かれている。

 ママは、実母が入院しているので、お見舞いに出掛けるときに、タエちゃんに娘を預ける。タエちゃんは35歳独身で、最近自分でマンションを買ったので、もう結婚する気はないと、周りから思われている。
 会議の資料を作ったり、パソコンで計算したりする一般事務の仕事だが、きちんとした会社らしく、ちゃんと有休も取れる。だいたい35歳でマンションを買うためのローンを組めるんだもの、そこそこの給料をもらっているんだ。
 このタエちゃんが、素敵な大人なんだよね。
 姪っ子から「タエちゃんは、なりたいものになれなかったの?」と質問されると、「なりたいものに なりたいわけでもないんだよ~」「なりたいものになってる人ばかりじゃ、世の中てんやわんやになっちゃうしね」と答える。
 次に姪っ子から「タエちゃんも若くなりたい?」と聞かれると「若い方がお得」「いろいろ大目にみてもらえたり、おごってもらえたり、そこにいるだけで値打ちがあるっていうのかな」「でもね、そんな値打ちって たくさんはいらないと思う」「(値打ちがある若い期間は)短くてちょうどいい」  ね、至言でしょ?!
 
 若くて可愛い女の子は、どんどん入ってくる。だから座り心地のいい、若くて可愛い子向けの椅子に、いつまでもしがみつかず、そこから降りてキチンと仕事しよう!!って事が言いたいんだよね。


 それに比べると、このママの方が揺れているなぁ。家のローンももうすぐ終わるし、旦那の給料もまあまあで、子供は可愛いし、みんなに幸せって羨ましがられるのに、現状に不満たらたら。それを打破するため再就職しようとするが、そうそう希望する職が見つかるわけでもない。
「家事に支障が出ない範囲」「家族に迷惑がかからない範囲」といった制約にもイライラ。
 だったら、旦那が「リストラされそう。僕が家事をするから、君が働いて給料もらってきてくれ」と言い出したら、ママは大喜びでせっせと働くだろうか?

 家庭があるなら、男も女も制約があるのが当り前。むしろ男の方の制約の方が多いと思うけど。文句ばかり言わず、置かれた場所で咲いてください。
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