ケイの読書日記

個人が書く書評

群ようこ 「財布のつぶやき」

2016-07-24 15:27:49 | 群ようこ
 他人の経済状態を知るのは、本当に楽しい。ましてや著名人なら、なおさら。売れっ子作家・群ようこさんのお財布の中身はいかに?

 群さんは、私より4歳年上。この本は10年ほど前が初出だから、彼女が50歳を少し過ぎたあたりのエッセイ。
 群さんは結構、親孝行な人で、お父さんとはずいぶん前に生き別れて、まったく交流はないが、お母さんには指輪やら着物を、ねだられて買ってあげていることは知っていた。
 しかし、もっとスゴイ事になっていたんだ!!! 彼女、この本を書いた時から7年前に、お母さんに大きな庭付きの一戸建てをプレゼントしていたのだ。(2000年ごろの話だと思う)群さんの弟さんが、お母さんと一緒に住むことになり、その時、弟さんは1/3、お姉さんの群さんは2/3の割合で、ローンを組んで家を建てたらしい。
 群さんの年間のローンの支払い額はなんと!400万円!(という事は、弟さんは200万円? 二人合わせて、年間600万円! つまり月に50万円の支払い? 信じられない。宮殿でも買ったのか?! そのローンを10年以上も払い続けるなんて。)
 
 だいたい群さんは、自分の住む賃貸マンションンの家賃も払っているのに。弟さんは、東証1部上場企業にお勤め、生涯賃金は3億円以上あるだろうというのに。いくらなんでも、お姉さんに頼りすぎじゃない?
 お母さんが家庭菜園をやりたいというので広い庭が欲しかったようだが、年齢から考え、長い年月、家庭菜園を楽しめるわけがない。それを考えると、近くの農協で畑を借りた方がほっぽど良いと思うけど。庭の管理って、本当に大変。夏草が生い茂る季節になると、つくづく思うよ。

 しっかしねぇ、いくら身内にとっては自慢の売れっ子作家でも、この出版不況の世の中、本が売れなくなることも十分考えられる。それを、お母さんや弟さんは考えないんだろうか? 何かあった時、頼れる夫や子供がいない、仕事は自由業だから安定しないし、退職金もない。年金だって多くないだろう。しかも、この先何年生きるか、わからないんだ。
 だったら、娘に「こっちの事はいいから、少しでも貯金しておいて」とは、思わないんだろうか?
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三浦しをん 「舟を編む」

2016-07-19 16:35:52 | 三浦しをん
 数年前に大変話題になったこの本をやっと読む。別に読みたくなかった訳じゃないが、話題の本って、なんか気恥ずかしいよね。

 馬締(まじめ)という、変わった名前の辞書編集部員は、新しい辞書『大渡海』を作る仕事を、定年間近のベテラン編集者から託される。
 日本語研究に人生を捧げる老学者や、辞書には興味ないが交渉能力に優れた同僚、愛想はないが仕事はキッチリやる年上の契約女性社員、そして後の妻になる女性とも出会う。
 個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭していく。

 辞書って、すごくお金と労力と時間がかかるから、大手の出版社しか作れないんだ。なるほど!確かにそうだ!
 つまり辞書を出版できるという事は、ステイタスなんだ。なにせ、この『大渡海』も、完成までに15年かかっている。
 ここまで時間が経過すると、15年前に使われていた言葉が、出版時には死語になっているケースも多々あるだろうね。だから、新しい言葉を採用すると同時に古い言葉を外していく。その選択が難しい。
 だいたい辞書を使うのは高齢者が多いだろうし。電子辞書といったって、ベースとなる辞書はちゃんとあるだろうし。


 「辞書は、言葉の海を渡る舟」。いいなあ、感動しちゃう。この小説を読むと、辞書を編纂するのに、いかに莫大な金と膨大な時間がかかるか分かるので、自宅にある辞書を粗末に扱えなくなるよね。書き込みや赤線がいっぱい付いている汚い辞書、逆に全く使ってないのでキレイだから、ブックオフに売りに行きたい辞書、処分に困っちゃう。


PS.馬締のチャラい同僚が、夏目漱石の「こころ」について疑問に思っている事、全く私と同じなので驚いた。いや、ほとんどの人がそう思っているよ。
 「こころ」は、先生の遺書という体裁になっているが、あんな長大な遺書があるか!あっても人に送るか!あんな大長編の遺書なんか書いてたら、死ぬ気がなくなるよ。
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酒井順子 「子の無い人生」

2016-07-14 10:51:33 | 酒井順子
 「負け犬の遠吠え」を書いた著者が、またまたセンセーショナルなタイトルの本を…と興味を持ち読んでみる。
 1966年生まれのバブル世代の著書も、50代に突入! (この本を書いていた時は40代後半)  両親を看取り、葬式を出し、墓に入れて法事を執り行うが…ハタと気づく。「で、私が死んだ時は、誰がこれをするわけ?」
 著者には、お兄さんの子どもがいるが、まだ幼稚園児。それに、姪にとって親でもないのに、血縁があるからという理由で、叔母である自分の看取りをさせるのも心苦しい。そうだよなぁ。姪御さんからしたら、気が滅入るだろうね。
 こういったケースが、これからの日本で続出するもよう。

 しかし、少子高齢化は待ったなし。政府がどんな政策を取ろうと、少子化は止まらないと思う。

 この本の中には、「出生率が日本のように下がっていない先進諸国は、男女の平等の徹底を目指すことによって、出生率低下を食い止めています。家事や育児を男性も担い、子育て中の女性も働き易い環境を整えることによって、男女ともに、仕事も家庭も、という事になっている」と、まるで教科書のようなことを書いている。
 でも、一つ重大なことを書いていない。それは、先進諸国の移民のこと。特にイスラム系の移民は、出生率が高く、3.0以上あるみたい。フランスなどは、イスラム系の人口は全人口の1割くらいだから、若い彼女たちがどんどん産めば、出生率が2.0くらいになっても、おかしくないよ。
 だから、近い将来、フランスはイスラム教国になるという人もいる。
 こういう話を、有識者と言われる人たちはしないけど、なぜなのかな? 意識して発言しないの?

 日本でも移民がOKになって、特にイスラム系の人たちウエルカム、となると出生率は爆発的に上昇するだろうね。(面倒な事が、後々おこってくるだろうけど)
 託児所や保育園をいっぱい作ったって、男性の育児休暇を充実させたってそんなに出生率は上がらないよ。
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林真理子 「本を読む女」

2016-07-09 18:10:09 | 林真理子
 林真理子の御母堂をモデルとして、一人の文学少女の半生を書いた作品。

 万亀(まき)は山梨の片田舎の和菓子屋の娘として、大正4年に生まれた。上は姉が3人、兄が一人。裕福な家で、当時としては珍しく、娘をみな東京の女専にやっている。
 成績はすごく良いが、器量はぱっとしない万亀は、日本女子大に入学する所を、左翼思想にかぶれるかもしれないという心配から、親が勝手に女専に入学手続きを取ってしまう。その学校はお金持ちや良家の子女ばかりで、あまりにも華やか。最初の頃は気おくれしていた万亀にも友人ができ、東京ライフを楽しむようになる。
 この頃が、万亀ちゃんの人生のピークだったような…。

 銀座、有楽町、トーキー、松屋百貨店、円タク、宝塚の小夜福子、SKDのターキー、資生堂パーラー etc おびただしい華やかな出来事。
 時代は昭和ヒトケタだから、大恐慌の真っただ中で、本当に不景気。東北では娘を売ってなんとか糊口をしのいでいるのに、なんという富の偏在、超格差社会。

 当時は、一旗揚げようと、日本人が大挙して大陸(満洲)に押し寄せ、現地で成功し贅沢な生活を送っていたようだ。(この辺の所は、佐野洋子のエッセイにもよく出てくる。彼女もお父さんが満鉄に勤めていて、満洲で生まれている)
 給料もよく、物資も豊富で、現地人を何人も使用人としてつかい、王侯貴族のような生活をしていた。
 
 そういう所の娘が、東京の女子大や女専に入学してくるわけ。万亀にも、親が満洲で手広く弁護士事務所を経営している同級生と仲良くなり、こっち(満洲)に来ないか?と何度も誘われている。
 ああ、でもこういう人たち、敗戦後どうなったんだろうか? 日本に帰国するのは本当に大変だったみたい。先見の明がある人は、日本の敗戦をみこして、さっさと財産をまとめ、早めに帰国したんだろうか?

 とにかく万亀は国内で教師として働いたり、実家へ戻って祖母を看取ったりしている。昔の知り合いのつてをたどって、東京の出版社で働いていた時、見合いし、夫について満洲に渡ることになる。 
 戦局はどんどん悪くなる。ギャンブル好きなので疎ましく思っていた夫にも赤紙が来て…。本当に大変。子供の頃はあんなに幸せだったのに、どこをどう間違えて不幸になってしまったんだろうと万亀は嘆くが、彼女だけが大変なのではない。日本人みんなが大変だったのだ。
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佐野洋子 「ふつうがえらい」

2016-07-02 10:55:52 | 佐野洋子
 前回のブログ更新から、すごく間隔が開いてしまって申し訳ないです。
 自分のめまいが良い方向に向かいつつあるので喜んでいたら、実家の母が腰を圧迫骨折して入院。あああ、人生色々あります。病院と自宅と実家を、あたふた駆け回っています。こう忙しいと「お菓子を食べながら本を読む」生活がいかに贅沢だったかという事が、よくわかりますね。

 更新の間隔が開くとは思いますが、これからも続けていきますので、皆さん、見捨てないで遊びに来てくださいね。


 さて、佐野洋子の本業は絵本作家だが、エッセイストとしても有名で、あちこちに書き散らかした雑文(失礼!)を1冊にまとめたのが、このエッセイ集。本業で無い無責任さからか、本当に面白い。それに売れている。この文庫は、平成7年3月発行だが、平成19年3月で13刷。すごいなぁ。

 どのエッセイも楽しいが、印象に残ったのは『グラント・キャニオン』というエッセイ。その中で佐野洋子は、「名所・旧跡・名画などというものを実際に目の前にすると(中略)たいがいは、私が勝手に想像しているよりもみすぼらしい。(中略)モナリザもミロのヴィーナスも『へぇ、こういうもんだったの、ふーん』と、どっと感激できないのである。(中略)感激しない自分が恥ずかしいと、やたら気持ちが忙しいのである。」と書いてある。
 佐野洋子でもそうなのか!と私は少し安心する。
 以前、益田ミリの自伝的エッセイで、ミリが高校生の時、ゴッホの『ひまわり』を観て美大に行こうと決めた、と書いてあった。美大に進もうという人は、皆こういった原体験を持っているのかと驚いたことがある。

 私は、世界的な名画を観ても感動しない自分がいると、やっぱり私って芸術的感性が低いんだなと少し悲しくなったが、佐野洋子でも、そういう事あるんだ、と知ると少し救われた気になります。
 地元の美術館で見た『草間弥生』? 世界的に有名な芸術家らしいが…わからないです。どこがいいのか。

 そうだなぁ、私は歌川国芳の猫の浮世絵だったら、魂を揺さぶられますね。
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