ケイの読書日記

個人が書く書評

西原理恵子X月乃光司の「おサケについての まじめな話」

2017-12-26 10:55:06 | その他
 「アルコール依存症という病気」というサブタイトルがついている。ご存知のように、西原は元ダンナが依存症だったし、月乃光司という人は元依存症患者。(今はアルコールを断っています) その二人の対談集。


 どうも実家の母が、アルコール依存症のようだ。いままで何度もその疑いを持ち口に出していたが、うやむやになって別の話にすり替わっていた。本人も認めないし、私だって自分の母親がアル中なんて思いたくないよ。これはただお酒が少し過ぎるだけだって思いたい。
 ただ、どうにも無視できない出来事が立て続けに起こり、今週、専門家に相談に行く。その前に、少しアルコール依存症についての知識を得ようと、この本を読む。


 いやぁ、西原さん、苦労したんだね。鴨志田氏(故人)と結婚して2児に恵まれたが、楽しかったのは最初の半年だけで、あとは悪魔のような人だったらしい。それでも子供が二人いるし一緒の仕事もあるから、なんとか頑張ろうとしたが、どうにもならず6年で離婚。
 その後、鴨志田氏は治療を受け、アルコール依存症を克服し、家族のもとに戻ってきた。結局、腎臓がんで亡くなるが、最後は穏やかに亡くなったらしい。子どもたちも、お父さんの良い所だけしか覚えていないようだ。

 この感動的な話にケチをつけて申し訳ないが、でも、私は引っかかる。そのアルコール依存症や腎臓がんの治療費は誰が出したの? 散々迷惑をかけた奥さんじゃないの?

 確かに、奥さんに対しての罵詈雑言は、アルコール依存症という病気が起こしたものかもしれない。でも、アルコール依存症という病気がこの世に存在することを知っていながら、どうしてアルコールに取り込まれたの? そっちの方に行くの? 自分の責任を転嫁しないで!!!

 月乃さんについても、恵まれた家庭に生まれたのに、残念なことだなぁと思う。この人にも、それなりの言い分があると思うし、今現在はアルコールを克服して、この病気についての啓蒙活動を行っているようなので、素晴らしい事だとは思うが…それでも今までやったことは消えない。

 そうそう、彼らの話から、イネーブラー(enabler=助力者)という言葉を知る。イネーブラーとは、アルコール依存者が酒を飲むのを可能にさせる人の事。依存者に振り回されて世話を焼いたり面倒をみたりすることで、結果的に酒を飲める環境を与えてしまう人の事。
 あーーーーー、私って母のイネーブラーになってるのかな?! 怖いね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桐生操 「美しき殺人鬼の本」 角川ホラー文庫

2017-12-21 14:23:10 | その他
 ブックオフをぶらぶら歩いていたら、目についたのがこの本。日本の話じゃなくて欧米の(主に中世ヨーロッパ)殺人鬼の話だから、読みやすかった。さすがに日本の話だと、怖くて怖気づくと思う。

 イワン雷帝とか、カトリーヌ・ド・メディチ、切り裂きジャック、則天武后、チカチーロなどなど、殺人鬼界のオールスターが勢ぞろい。本の後ろに主要資料が載っているが、個々の話はどうも信憑性が薄いような…。まあいい。ホラー読み物として読めばいいのだ。


 毒殺と言うと、男に比べ非力な女が用いる殺害方法と思われるが、結構、男も利用しているんだ! それに、毒殺は中国の伝統的な方法だろうと思っていたが、古代ローマや中世ヨーロッパまで、幅広く使われている。
 そうだよね。首が胴からちょん切られていたら病死とは言いにくい。でも毒殺だったら病気で死んだと言いやすい。衛生状態も悪いし伝染病もはびこってる。病気で死ぬ人の割合は、今よりうんと高かっただろう。
 高貴な女性が他国へお嫁入するとき、毒薬の専門家が一緒について行ったんだって。政敵を毒殺したり、毒を盛られた時、解毒させるために。

 そんなちまちました毒殺じゃなく、豪快な大量殺人が、カトリーヌ・ド・メディチの起こした聖バルテルミー大虐殺。これは、絵画の題材にもなってるから知ってるが、すざましい。宗教が絡むと、人間はここまで残虐になれるのか。

 1572年8月23日、カトリーヌ派(カトリック)が、新教徒の貴族達を襲い、それが市民にも伝播して、パリのカトリック教徒らは武器を取って新教徒の殺りくに参加した。3日3晩の間、パリの市門が閉ざされ、殺人や略奪がほしいままにされた。
 この大虐殺の挿絵が載っているが…描いた人は眠れなくなったんじゃないだろうか? 本当に怖い。
 それにしても、これだけの大量の死体(2万人~10万人)をいったいどうしたんだろう? この時代、火葬はありえないし、土葬では間に合わないでしょ。夏だからものすごい悪臭の中、野良犬が死体をむさぼっていたのかな? ひょっとしたら、異端の神を信じた輩という事で、燃やしたんだろうか?

 フランス人って怖いよね。フランス革命後半の恐怖政治の時も、人間をギロチンにかけるのは、豚を豚肉にするより簡単だった。イギリスも清教徒革命とか、色々あったけどもっと理性的だったような気がする。
 アングロ・サクソンとラテンの違いなんだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群ようこ 「ぎっちょんちょん」 新潮社

2017-12-15 16:22:11 | 群ようこ
 表紙絵が、鶴・亀・浴衣姿の女の子・鳥居・三味線・三味線を抱えたお姐さん・猫・うさぎ・椿 などなど可愛らしいイラスト一杯だったので、思わず手に取る。
 群ようこが、近年着物や三味線に凝っているのは知っていたので、そういった話かな、と思って読み進めたが、そういった話だった。

 エリコは、短大卒業後、結婚式場に勤め、そこで知り合った男性と結婚、1人娘を授かるが離婚する。夢中で家事・育児・仕事と駆け回るが、子どもが大きくなり手がかからなくなると、三味線と小唄を習う事にする。祖母が時おりくちずさんでいたから馴染みがあったのだ。
 なんといっても30代半ばでのお稽古事なので、なかなか覚えられず、初めは本当に苦労するが、エリコは三味線が向いているのが、めきめき上達する。

 ここら辺になると読むほうもダレてきて「で、最終的に三味線や小唄の名取になってめでたしめでたし、で終わるのかしら? 退屈な小説だな」と思っていたら、話はあらぬ方向に。
 このエリコさん、39歳で会社を辞め、芸者になっちゃうのである!!!!!
 えええ!!! 39歳で芸者になれるの?!

 どうも、なれるらしい。もちろんお座敷がかからなければ収入はなく、置屋に払う5万円の登録料も自腹を切らなければならないが。このエリコさんも、今のところ会社員時代の貯金を取り崩して生活している。
 でも、全国から入門希望者が集まる京都の花柳界ならともかく、東京の花柳界は人手不足が顕著らしい。特に、地方といってエリコさんがやりたがっている三味線専門の芸者さんは、風前の灯みたい。
 踊りは華やかだから、憧れる人は多いだろうけど、三味線だけだと地味だものね。
 お稽古代、美容院代、着物代etc かかるしね。

 あーーーーー、エリコさん、騙されてるんじゃない? 言葉は悪いが、金づるになっているような…。

 作品中に、端唄も色々紹介されていて、面白いものが多い。この本のタイトル『ぎっちょんちょん』も、〔丸い卵も切りようで四角、ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん 物も言いよで角が立つ おやまかどっこい どっこい どっこい よーいやな ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん〕から取ったようだ。
 他にも〔猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが、猫が猫が足駄はいて 絞りの浴衣でくるものか オッチョコチョイノチョイ チョコチョイノチョイ〕など、聴いてみたいです。猫好き必聴の唄。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カズオ・イシグロ 飛田茂雄訳 「浮世の画家」 早川書房

2017-12-10 16:39:31 | 翻訳もの
 先日、義姉と「日の名残り」の事をおしゃべりしていた時、「浮世の画家」の文庫を買ったと言ってたので、お借りした。
 文庫の表紙が浮世絵っぽいので、浮世絵師の話かなと思ったが、そうではない。戦前に油絵の大家として、戦争を賛美するような画風でときめいていた小野という画家が、戦後になって自分の行動を恥じ、引退して自己弁護に終始する話…といえばいいのかな?
 なんとなく「日の名残り」に出てくるダーリントン卿に似ている。

 職業軍人や政治家とは違い、なんといっても画家なので、戦争責任を問われる訳ではない。
 弟子や娘婿が彼をなじったり、世間一般が冷たくなるが、それも、いままでやってきた事を考えれば納得せざるをえない。しかし、末娘の縁談が何度も不調に終わり、これは父親である自分のせいなのか…と小野は考え始める。
 そのため、古い友人・知人をまわって、娘の縁談で興信所が聞き合わせ(結婚相手を調査すること)にきたら、良い情報だけを伝えてくれと頼んで回る。
 快く引き受けてくれる旧友もいるが、小野の密告のため逮捕された、かつての一番弟子の態度は、激しい拒絶だった。


 しかし…あの時代、牢屋に入らず生活していた大多数の人は、多かれ少なかれ軍国主義を支持してきたんじゃないかな? 戦後、世の中がひっくり返って、プロレタリア系の画家や作家の作品が評価された時期もあったろうが、いつまでも続かない。時の勢いの価値と、作品そのものの価値は違うんだもの。

 例えば、藤田嗣治の「アッツ島の玉砕」?は、戦時中に描かれ、国内の藤田の名声を高めたけど、戦後それが彼の命取りとなった。画家仲間からも、フジタは戦争を礼賛していたと、激しい非難を浴びたらしい。
 私も現物を観た事ある。素晴らしい迫力だった。

 絵画の価値が時流によって左右されるのは仕方ないと思うが、それだけじゃないはずだよね。絵を、石を投げつける道具にするな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦しをん「三四郎はそれから門を出た」 ポプラ文庫

2017-12-05 16:18:50 | 三浦しをん
 みっしり詰まった読書エッセイ。三浦しをんが読書家だという事は知っていたが、そうとう重度の活字中毒者だ。
 彼女が1日のうちにする事といったら「起きる。何か読む。食べる。何か読む。食べる。仕事をしてみる。食べる。何か読む。食べる。何か読む。寝る。」らしい。
 あとがきにも記述がある。「オシャレの追及に励むのは来世にまわし、今生では思う存分、読書しようと思う。…世の中にこんなに本があるのに、顔なんか洗ってる場合じゃない。」そうだ。すごいなぁ。


 本を文章を文字を読みたい、というだけでなく、本を手元に置いておきたい人らしいので、本がどんどん増殖する。夜中にこっそり本のヤツ、子どもでも産んでるんじゃないか?!と疑いたくなるほど。
 文筆業だから本の増殖は宿命で、あとは古本屋に売るなり、廃品回収に出すなり、背の高い機能的な本棚を買うなりするのが正解だろうが、三浦さんはしない。本で家具をつくるらしい。同じ幅や厚みの本をキュッと縛り、並べてベッドにしたりテーブルにしたりするらしい。ホントかよ!!!!!
 彼女は本棚ではなく、押し入れの中に、束ねた本を重ねて収納する。この方がたくさん本が入るそうだ。しかし…読みたい本を取り出す時が一苦労だろうね。


 もちろん本の収納という番外編よりも、本の読書エッセイの方に、うんとページはさかれている。さすが、三浦しをん、エッセイを読んで、ああ、この本を読んでみたいと思わされる率が高い。
 特にこの本、ヘルガ・シュナイダー著『黙って行かせて』は絶対に読みたい!これは自伝的小説らしく、ヘルガは第2次大戦が終わった時、10歳にもなってなかった。でも彼女は、戦争は大人たちがやったことで私には関係ないといえなかった。彼女の母親はナチで、かってアウシュヴィッツの看守としてユダヤ人を殺しまくっていたから。
 ユダヤ人側から見たアウシュヴィッツはよくあるが、旧ナチ党員からみたアウシュヴィッツってどうなんだろうか?自己弁護一色なんだろうか?

 青木富貴子「731」も紹介されている。これは…日本人として読まなきゃいけないとは思うが、度胸が無い。731部隊が満洲でいったい何をしたのか? 戦争が終結した後、彼らは戦犯になるのを避けようと何をしたのか? あと10年くらいしたら読めるかもしれない。


 他にも、三浦さんの身辺雑記エッセイも多数。彼女の家族って仲が良いんだ。ご両親と三浦さんと弟さん。特に弟さんはエッセイや小説のネタによくなってくれてるみたいで、ありがたいだろう。そうだ、群ようこさんも、弟ネタで稼いでいたなぁ。独身の弟って、イジりやすいんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする