ケイの読書日記

個人が書く書評

益田ミリ 「言えないコトバ」

2016-03-29 13:00:16 | Weblog
 言えないコトバ…こだわりがあって言えない、恥ずかしくて言えない、本当は何のことだかよく分からないので言えないetc あるなぁ、私にも言えないコトバがいっぱい。

 例えば「ガウチョ」。あれって「キュロット」とどう違うわけ? 「キュロット」という言葉をそもそも知らない若い人が「ガウチョ」と言うのはいいが、私と同年配いやそれ以上の年代の人が「ガウチョ」と発音するのは、心の中ですごーーーーく抵抗がある。若ぶっているみたいで。(ちなみにキュロットって40年位前に少し流行った)

 ファッションの言葉ってこういう事、多い。
 ミリさんも書いているけど、昔「トックリセーター」 今「タートルネックセーター」。トックリなんて言ったら、店員さんに笑われちゃうよね。トックリが徳利(日本酒を入れる器)ってこと知らない若い人も、多いんだろう。
 そもそも、洋服を売っているお店の店員さんって、なんて呼べばいいの?ブッティックの店員さん? ショップ店員さん? もっと素敵なカタカナの名前があるんでしょうね。
 そうそう、店のノルマがきつくて、目標額に達しない場合、自分で洋服を目標額まで買わなくちゃならないという話も聞いたことある。厳しい世界なんだ。

 それに「耳飾り」「首飾り」「腕飾り」も、死語ですね。「イヤリング」「ネックレス」「ブレスレット」と言い換えることができるが、この「イヤリング」が曲者。今、イヤリングなんて売ってない、ピアスしか売ってない。
 「イヤリング」と発音する自分に年齢を感じます。

 それから食品。ミリさんも書いているけど、世間ではいつから「フランスパン」じゃなく「バゲット」と言うようになったんだろう。本家のフランスでは、バゲットと呼んでいるんだろうか?バゲットと発音するのは、そんなに恥ずかしくないね。
 バゲットは美味しいけど、食べきらず、うっかり放置すると、凶器になるほど硬くなる。そういえば、昔読んだ社会派推理小説で、夫をフランスパンで殴り殺した若い妻が、凶器を消そうと、フランスパンを水分に浸して食べつくした、という話があった。なるほどね。
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有川浩 「旅猫リポート」

2016-03-24 10:55:13 | Weblog
 子供の頃飼っていた猫と、そっくりな猫を駐車場で見つけたサトルは、その猫が交通事故にあったのをきっかけに、ナナと名付け自分で飼うことにする。
 それから5年。やむをえない事情があって、ナナを手放すことになったサトルは、動物好きな旧友たちに連絡を取り、新しい飼い主を探そうとするが…。

 しみじみ泣いちゃった。我が家にも今、茶トラのオスが1匹いるけど、子供の頃かった猫って、本当に特別。今でも思い出す。ミーコっていった。
 私の小学校低学年の頃と言ったら、昭和40年代の前半。猫を室内で飼うという発想がなく、飼い猫でもごはんだけ飼われている家で食べて、あとは自由に外で遊び放題。避妊や去勢手術もまだ一般的じゃなくて、発情期になると何日も家に帰って来ないこと、ザラだった。
 ねこ砂なんて、もちろんなくて、道路も未舗装の部分が多かったので、猫ちゃんたちはササッと用を足し、パパッと砂をかけて、素知らぬ顔で戻って来ていた。

 ミーコは、子猫の時に拾われたんじゃなくて、大人猫になってから、猫好きな母がご飯をあげたら居ついてしまった猫。あまり器量が良くないと、母は不満なようだったが、おとなしくて優しくて頭が良い猫だった。ウチに来る前にも、どこかで飼われていたんだろう、人懐こい猫だった。
 高校の頃、ニャンというシャムネコっぽい猫がいたが、こちらはすごく気性が荒くて、引っかいたり噛みついたりしたので、やっぱり猫でも性格がすごく違うんだと、驚いた覚えがある。

 小学校の頃、分団登校の集合場所に行くまでの短い時間、ミーコを膝に乗せ、ひっくり返して(お腹の毛が白っぽく薄くなっているので、猫のノミが動くのがよく見えた)ノミをプチンプチンとつぶすのが好きだったなぁ。
 これを自分の子どもたちに話すと、「うえっ、汚いっ!!」て蔑むが、昭和40年代前半、猫にノミがいるのは当たり前だったんだ。飼い猫でも。

 ああ、いい時代だったなぁ。今みたいに、20歳以上生きる猫なんて皆無だった。皆、短命だったが、楽しい猫生を送れたと思う。
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津村記久子 「ウエスト ウイング」

2016-03-19 16:07:40 | 津村記久子
 『ウエスト ウイング』というタイトルからしても、西洋のお城や馬車、吟遊詩人、裾の長いドレスを着た女の人が描かれている表紙絵からしても、これって西洋のお話?って思ったが、全く違う。現代日本の、ちょっと疲れた成人男女や子どもを優しく書いている。

 ウエストウイングとは、古びた4階建ての雑居ビルの西館のこと。東館もあったが、西館以上に古びていたので取り壊された。西館も、近いうちに解体されるという噂はあるが、ターミナル駅の近くという立地にしては家賃が安いので、いろんな店や小規模な会社や小学生向けの塾などが入居している。
 そこの4階の廊下の一画に、転居した事務所が置いていったスチール棚・机・椅子などが無造作に置きっぱなしになっている場所がある。そこを、近くの会社の社員や塾の小5の男の子が、サボリ場として利用している。

 小5の男の子・ヒロシの通ってる塾は、同じビルの中でも、サボリ場とは離れた場所にあり、塾の他の子たちはここまで来ない。
 ヒロシは、塾につくとすぐ教室をでて、一人でぶらぶらと時間をつぶす。教室内にいて、他の子たちが楽しそうに話しているのを見るのが嫌なのだ。だから、トイレもできるだけ遠くの、塾の子たちが利用しないトイレに行く。
 学校では地味グループに属しているが、塾には友達はいない。この塾は地元の塾ではなく、私立中学を受験する生徒専用の進学塾なのだ。当然、授業料は高い。
 ヒロシのお母さんは、離婚後、実家に身を寄せ、懸命に働いて、ヒロシを名門校に入れ一流企業に就職させたいと思っている。それがヒロシの幸せだと信じて。
 でもヒロシは、絵を描くこと以外、興味を持てないでいる。本当は塾もやめたい。ただ、母親の気持ちを思うと、言い出せないでいる。

 この進学塾の講師がひどいんだ! 子どもたちに「こんなボロビルに入居しているような会社の社員になど、なっちゃいかん」と言ってるらしい。

 でも、当の社員さんたちは、結構楽しそうだ。4階のサボリ場を利用しているネゴロ(女)フカボリ(男)にしても、リーマンショック後の景気の悪い時の話なので、給料の減給とか遅配などがあり「こんな安い給料で、朝9時に人を集めるな!!」と怒りながらも、真面目に仕事をこなす。
 
 特にネゴロは、設計会社の支所で一般事務をやってるOLだが、その仕事を、筆者・津村記久子は本当にきちんと描写している。こういう所から、津村記久子が専業作家になる前、小規模な会社の契約社員として、まじめに働いていたんだなぁと、うかがい知ることができる。
 やっぱり経験って大きいね。つまんない仕事と思っても、何かに役に立つんだな。
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石持浅海 「彼女が追って来る」

2016-03-14 10:54:33 | 石持浅海
 以前読んだ『扉は閉ざされたまま』に、すごく似ているので驚いた。探偵役は碓氷優佳だし、倒叙ミステリで犯人は最初から分かっているし、しかも動機が、そんなことで人を殺すか?!というもの。
 二番煎じ感は否めないが、しかし、それなりに面白い。


 昔からの知り合いの経営者たちが集まる親睦会が、箱根のコテージ村で開かれた。
 愛する男を間接的に殺したという憎悪で、夏子は、元同僚の女性を刺殺する。元の同僚なので疑われるだろうが、決定的な証拠を残さなければ、逃げ切れる。そう考えて、下手なアリバイ工作はせず、犯行現場を後にする。
 しかし、翌朝見つかった死体は、夏子がまったく身に覚えのないカフスボタンを握りしめていた。
 いったい、誰が何のために握らせた? それとも、被害者自ら、死の間際に、そのカフスボタンを握ったの? どうして?

 そう、そのカフスボタン、当然のことながら、そのカフスボタンの持ち主が犯人でないかと疑われ、夏子にとっては願ってもない展開だが、自分が握らせたわけでもないカフスボタンがどうしてそこにあるのか、あらゆる可能性を考え、夏子の頭は混乱していた。


 それにしても、疑いの目が夏子に全く向けられないのは、ヘン。
 確かに、順当に考えれば(犯人を除いて)被害者が最後まで一緒にいたのが夏子なのだから、彼女が第一の容疑者であるはずなのに。

 それに、夏子は不審をいだかせる行動をとっている。メンバーは、1~7番までのコテージを各々割り当てられ、夏子は被害者のとなりのコテージになる。昔の同僚で仲が良かった二人だから、パーティがお開きとなり、それぞれコテージに帰る時に一緒に帰るのは、ごく自然なことで、腕を組みながら二人で一緒に帰って行った。
 だったら翌朝、集合場所に行くとき、連れだって来るのが普通じゃないかな?
 支度に手間取って一緒に来れなくても、一言ぐらい声をかけるよね。そして、他のメンバーに「彼女、少し遅れるそうです」と伝えるのが自然。
 まったく声をかけず、スタスタ自分だけで来るのは、女同士だとケンカしたのかしら?と勘ぐってしまう。

 実際は、死んでいるから声掛けしなかったんだし、自分が第一発見者になりたくなかったんでしょう。
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東野圭吾 「犯人のいない殺人の夜」

2016-03-08 13:16:31 | Weblog
 東野圭吾がデビューしたての頃の7つの中編を集めた作品集。
 表題作の『犯人のいない殺人の夜』は、そんなに出来がいいとは思えない。最初、誰の視点から書いてあるのか、わかりづらかった。ミスリードするために必要だったんだろう。トリッキーな作品で、評価が分かれるところ。

 一番出来が良いのは、やっぱり『小さな故意の物語』かな? 確実に殺人に結び付くわけじゃない。確率は低いけど、嫌がらせ程度の殺意が重なって、高3男子生徒を屋上から転落させた。それよりも、この作品は動機が秀逸。私も以前から、学年公認の美男美女カップルって、最終的にどうなるんだろうと興味があった。

 東野圭吾が人気あるのは、トリックが優れているというより、男女間のドロドロがきちんと書かれているからだと思う。
 『さよなら コーチ』は、実業団チームの女子選手と、コーチの恋愛関係の終わりを書いている。女子選手とコーチの恋愛なんて、あって当たり前だと思うが、この30歳のアーチェリー実業団チームの女子選手が、オリンピック選考から漏れて、打ちのめされている様子は、本当にかわいそうだ。
 普通の女性がしてきたような事、何もしていない。仕事だって、籍を会社に置いているだけで、まともに実務をした事が無い。恋人もいない。すべてを犠牲にしてアーチェリーに打ち込んできた。それなのに…。
 この女子選手は、途中でコーチと恋仲になり、精神的に安定して好成績を収め、引退した後、コーチと結婚という事になったら素敵なハッピーエンドだった。でも、コーチには妻子が…。
 ああ、スポーツ選手の現役引退後の闇は、暗くて深い。

 それに比べると『踊り子』は、中学2年生の男子生徒の淡い初恋を描いてすがすがしい。塾帰りに垣間見た高校生らしい女の子。体育館で一人、懸命に新体操の練習をしている。自分が応援していることを何とか彼女に伝えたくて、スポーツドリンクと手紙を、体育館の出入り口の所に置いておく。ところが…。
 自分が良かれと思ってやったことが、とんでもない悲劇を引き起こす事ってあるんだよね。
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