ケイの読書日記

個人が書く書評

米澤穂信 「可燃物」 文藝春秋社

2024-04-28 13:07:10 | 米澤穂信
 新聞の書評ですごく褒めていたので、期待して読む。その通り本当に面白い。本格ミステリと警察って、あまり相性が良くないイメージだが、これはキャラの立った名探偵ではない、群馬県警捜査第一課の葛警部が主人公。地味だが鋭い推理力の持ち主だ。

 「崖の下」「ねむけ」「命の恩」「可燃物」「本物か」の5編が収められている。ね?タイトルからして地味でしょう? 表題作は「可燃物」で、確かに素晴らしい作品だ。こういう動機で放火する人っているだろうな。ちょっと犯人に同情しちゃうな。

 私の一番の推しは「ねむけ」。 「ねむけ」ってなんだよ。もっと読む気にさせる華のあるタイトルをつけろよ!よく担当編集者が通したな、なんんて私も内心毒づきながら読み進めていったが…見事でした!!

 24時間の監視がつけられていた強盗事件の容疑者が、交通事故を起こして病院に運ばれる。特に事故が多い交差点でもないが、近くで道路工事をしていて、工事用信号が設置されていた。容疑者の車と、軽自動車が交差点で出合い頭に衝突。お互いに自分の方が青だったと主張するので、目撃者を探し、事情を尋ねる。

 真夜中にもかかわらず、目撃者は比較的簡単に見つかった。あわせて4人。
 下水道工事の誘導員。現場に面したコンビニの店員。帰宅途中の医師。ゲームで遊んでいた大学生。彼らの証言はみな一致している。身元を調べてもつながりは全くない。4人が口裏を合わせて偽証しているとは考えられない。
 それにもかかわらず、葛警部は不自然さ違和感を感じていた。夜中の3時に起きた交通事故で目撃者が4人も見つかるなんて、おかしくないか?
 そのとおり、多すぎるのだ。人間の観察力と記憶力はあいまいなものだ。2人の目撃者の証言が一致しても疑問ではない。3人の言う事が同じなら少し疑う。4人が全く同じだったら、頭から信じることはできない。

 どうしてこんなことになったのか? その過程が見事に解き明かされていく。
 
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米澤穂信 「氷菓」 角川文庫

2020-03-18 09:22:28 | 米澤穂信
 諸事情がありまして、ブログの更新が遅れています。もし、楽しみにしている方がいらっしゃいましたら申し訳ないです。

 この『氷菓』は、米澤穂信のデビュー作であり出世作で有名なので、読みたいと前から思っていたが、期待を裏切らない秀作。古典部シリーズと銘打っているが、古典部って何する所? 日本の古典を読む会なの? その疑問に、この本は最後まで答えていない。

 何事にも積極的にかかわろうとしない省エネ少年・折木奉太郎(おりきほうたろう)は、なりゆきで入部した古典部の仲間に依頼され、日常の謎を次々と解決していく。本当に些細な事件とも言えない事件がほとんどだが、33年前に古典部で起きた事件の推理はなかなか見事なもの。1967年だったら、こういう事もあっただろうよ。

 ただ、この小説の魅力って推理部分以上に、青春ミステリって所にあると思う。古典部の面々は、主人公の折木奉太郎、部長の千反田える、奉太郎の友人の福部里志、そして里志に言い寄っている伊原麻耶花の4人。全部1年生。男女比2対2。青春しちゃってるんだ。
 こういった爽やかでちょっぴりほろ苦い青春小説を読むと、私はどうにも落ち着かなくなる。自分のあまりにも灰色の高校生活を思い出して。過去は美化されるというが…私の場合、ならないね。ああ、恥の多い高校生活だった。身もだえするほど。

 『氷菓』というのは、古典部の文集の名称。文集の名前にしては変わってるでしょ? 氷菓って、アイスキャンディみたいな氷のお菓子の事だよね。これにも、ちゃんと意味があるんだ。33年前に古典部の部長が名付けた。
 その第2号の表紙を開くと序文が記されている。その最後に…
 「いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう」  いい言葉だ。
 遠い未来、今、私の住んでいる町が廃墟になって砂の下に埋もれてしまっても、誰か探検家がやって来て、わたしが付けている家計簿を掘り出し、西暦2020年にこの極東の島国で卵1パック188円だったのかと、調べる人がいるかもしれないね。
コメント (2)
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米澤穂信 「満願」 新潮文庫

2018-07-13 10:43:13 | 米澤穂信
 この作品は「このミステリーがすごい」「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」の国内部門ランキングで1位に輝き、史上初の3冠を達成したと聞いているので、とっても期待して読んだが…期待通りだった。
 全部で6短編収録されているが、すべてが傑作。特に、表題作の『満願』は本当に素晴らしい。

 夫が遊興費として借りたお金の返済に苦しみ、高利貸しを殺した女が、量刑を不服として控訴する。その遊び人の夫が病死し、いくばくかの死亡保険金が入って、金融会社に借金を完済するめどが立った所で、女は控訴を取り下げ刑に服す。

 高利貸しを殺したところで、借金が棒引きになる訳でもない。なぜ、女は殺人を犯したのか、その真の動機が最後に明らかになる。見事。ただ、私には『夜警』の方が印象に残った。

 この『夜警』を読んだとき、今年の4月に滋賀県で起きたある事件を思い出した。交番で新人警官が、上司である警官を背後から射殺して逃走した事件。思い出した人、多いんじゃないかな?
 新人警官はすぐに捕まった。容疑を認めたし、未成年という事もあり、報道もすぐ沈静化したが、「パワハラをうけた」「両親を悪く言われた」という動機には、納得がいかなかった。
 だって、交番勤務に就いたの、2週間前なんでしょ? それに、どうして射殺なの? カッとした時、拳で殴る、あるいは手近にあった物で殴るなら理解できるけど、カッとしたからと言って、背後から拳銃で2発うつだろうか?日本人が? これが日常生活に銃があるアメリカならいざ知らず。
 この人は本当は「拳銃で人を殺してみたかった」人なんじゃないだろうか?

 小説の『夜警』でも、新人警官が登場する。大学卒業して警官になったのだから20歳以上だが、教育係である上司は、彼を一瞬でモノにならないと見抜く。スナックでのケンカの仲裁で、拳銃に手を伸ばしたのだ。小心者だが、虚勢を張りたがるタイプ。
 彼らの管内で、男が刃物を振り回して暴れる事件があり、上司と新人警察官は現場にかけつける。新人は発砲し、暴力男は射殺されるが、新人も切り付けられ殉職する。新人は勇敢な警察官という美談になるが、発砲には歪んだ動機があった。それは…。

 銃が大好き。合法的に人を撃ってみたい。そういう若い人って、結構いるんじゃないの?
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米澤穂信 「王とサーカス」 東京創元社

2018-05-27 13:01:12 | 米澤穂信
 すごく評判の良い作品なので楽しみに読んだが…正直なところ前半は退屈だった。舞台になったネパールの首都カトマンズのイメージが掴みにくいのと、主人公で探偵役の太刀洗万智にまだ馴染みが薄いせいだろう。
 でも後半になると、期待を裏切らない面白さで一気に読んだ。

 2001年、新聞社を辞めフリーになったばかりの太刀洗万智は、ある雑誌から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。
 しかし思わぬ非常事態が発生する。王宮で王族殺害事件が勃発。(これは本当にあった事件) 皇太子が、父王、母、弟妹、叔父叔母たちを射殺したのだ。しかし、王族の事なので、真相はヴェールの中。万智はジャーナリストとして、さっそく取材を開始した。が、インタビューしようとした男には断られる。後にその男は死体となって発見される。背中にimformer(密告者)という文字を刻まれて。

 ネパールってイギリスと関係が深いので、英語が通じるんだ。万智は、現地の人と英語でコミュニケーションを取る。しかし、母語ではないし、異邦の地で限られた時間内にどれだけ真実に近づけるか、ちょっと荒唐無稽な気もするな。


 この小説の魅力って、謎解きだけじゃなくて、別の所にあると思う。民主化をすすめた国王を敬愛する群衆が、王宮を取り囲む。真相究明を求め、王宮を守っている軍と数日にらみ合いがつづくが、とうとう弾圧が始まる。治安部隊が群衆に向け催涙弾を発射。逃げ惑う群衆。その中に万智もいる。夢中でデジタルカメラのシャッターを切る。逃げ遅れた人たちを警官は容赦なく棍棒で殴りつける。隣の人が倒れた。万智は必死に逃げ、ビルとビルの間の狭い隙間に身を隠す。こういった描写が本当にリアル。

 そして、この小説内で万智はジャーナリストとしての意味を自分自身に問う。取材相手は言う「自分に降りかかる事のない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ。恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ」

 万智は考える。「何を書くか決めることは、何を書かないかを決めることでもある。どんな小さな出来事でさえ、真実は常に複雑で、複数の立場がそれぞれ言い分を主張する。全ての主張を併記することは公平なことではない。ほぼ間違いがないとみられている定説と1人2人が言い張る新説とに同じ紙面を割くことを、公平とは言わない。」
 「記者は中立であれと言われる。しかしそれは不可能だ。自分は中立だと主張する時、記者は罠に落ちる。すべての事件について全員の言い分を際限なく取り上げることはできないし、するべきでもないからだ。記者は常に取捨選択をする。主観で選択をしているのに、どうして中立などと言えるだろう。」
 これは、そっくり米澤穂信の主張でもあるんだろう。
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