ケイの読書日記

個人が書く書評

夏目漱石 「文鳥」

2020-06-26 15:57:34 | その他
 漱石が自宅で執筆をしていると、門下生の鈴木三重吉から「文鳥を飼ったら?」と勧められる。
 読んでいる最中、そういえば私の母も、私が子供の頃、小鳥を飼っていたなと思い出した。母は猫も大好きで飼っていたのに、どうして小鳥も飼うんだろうかと怪訝に思うが、生き物の好きな人だったんだろう。
 こういう所は、群ようこさんのお母さんに似てるね。中年女って皆、似てくるんだろうか?

 ただ、我が家のこの小鳥は、猫ではなく蛇に殺された。丸のみにされて。軒下に鳥籠をつるしてあったので、猫からの攻撃は防げたが、蛇は柱を伝ってにじり寄ってくるから。

 話を戻そう。漱石の文鳥は、三重吉の肝いりということもあり、手厚く迎えられた。鳥籠は特注品で、籠の名人が作ったもの。その台が漆塗りの立派な鳥籠の他、粗末な鳥籠もある。粗末なものは、鳥を行水させる時、使うらしい。小鳥って行水するんだね。(ずいぶん昔、私が中学生の時に、校庭の水飲み場でカラスが行水するのを目撃したことがあるけど)
 その他、特注の箱もある。夜、冷えるから小鳥が凍えないように、この箱に入れて寒さをしのぐらしい。

 こうやって文鳥は大切にされていた。漱石先生が世話をしたりしなかったりなので、家の人が気をきかせて、箱から出して縁側に置いて、餌も水も新しくすることもあった。 
 ある時、漱石先生は三重吉に呼び出され、長話をする。次の日の約束もしてしまい、帰ったのは次の日の午後3時ごろ。縁側の鳥籠をのぞいてみると文鳥は死んでいた。籠の底にそっくり返って。餌つぼには粟のカラばかりがたまって、実のある粟は1粒もない。水入れにも水はなし。餓死したらしい。
 小さな身体の小鳥は、1日食べないと、人間が10日間絶食したのと同じなんだってね。以前、知人から聞いた事がある。

 しかし、この後がいただけない。漱石先生、悲しみに打ちひしがれるが、自分の事は棚に上げて「家の者が餌をやらないから文鳥はとうとう死んでしまった」と文句たらたら。三重吉にもハガキで愚痴る。
 だいだい、アンタが悪いんじゃない?! アンタが世話ができないなら、ちゃんとお世話係を決めておきなさいよ!! こういう所が、漱石先生なんだよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目漱石 「二百十日」(にひゃくとおか)

2020-06-19 10:45:34 | その他
 二百十日とは、立春から数えて210日目の日の事で、毎年9月1日頃に当たる。台風が多い、あるいは風が強くて、農家には厄日といわれているらしい。

 阿蘇見物に来た若い男の二人連れが、山が荒れているのに噴火口を見ようとして山に登り、天候が悪くて大変な思いをする話。
 このラブリーな二人組がとてもユーモラスで、まるで『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんみたい。1人は圭さんといって、体格が良く大ぼら吹きで天下国家を意見し、華族とか金持ちを非難し、公正な世の中にしたいと息巻いている。小型の西郷隆盛のようなイメージ?
 もう1人は碌さんといって、男としては小柄で、ちょっと金持ちで良家の軟弱なお坊ちゃんみたい。圭さんの天下国家論を横合いから茶化す。つまり2人はウマがあうんだ。

 その2人が阿蘇の山のふもとの宿に泊まって、宿の中居さんをからかい、お喋りしたり温泉に入ったり地元の料理を食べたりして、明日は阿蘇の噴火口を見ようと計画している。乗り気なのは圭さんの方で、碌さんは「もっとご馳走が食べたい、足が痛い、マメができた、もう歩くのはイヤダ」などなど文句を言っている。
 そうそう、明治のお宿なので襖1枚で仕切ってあるだけなので、隣の部屋の話が筒抜け。(ということは自分たちの話も隣に筒抜け)この時も、圭さん碌さんの隣の部屋では「竹刀を落とした」だの「小手を取られた」だの剣道の話でもちきりで、その話を聞いた圭さん碌さんも「竹刀」「小手」で盛り上がった。

 そういった生活騒音で揉め事が起きる訳でもなく、お互いこんなもんだと思ってる。平和なものだ。こういう所を現代人は見習わなければ…ね。

 夏目漱石の他の作品も、初期の作品は全体的にユーモラス。「吾輩は猫である」も「坊っちゃん」も声を出して笑えるほど面白い。でも、漱石本人は、そんなに愉快な人ではなかったようで…。人間って難しいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介 「鼻」

2020-06-12 16:03:06 | その他
 この短編も、すごく有名な話だから、読んだ人も多いだろう。

 昔々、ある偉いお坊さんが、自分の鼻が長い事をとても苦にしていた。もちろん、高位のお坊さんなので、容姿などといった俗っぽい事柄に関心はありません、というふうを装っていたけど、本当に気にしていた。
 なんせ、少々の長さではない。食事する時、自分の鼻がお椀の中に入ってしまうので、小僧の1人に棒を持たせ、食事の間じゅう、鼻を持ち上げてもらうのである。その小僧がくしゃみをした時には、鼻がお粥の中に落ち、近所の人々はその話でもちきりだったそうだ。

 とにかく、なんとか鼻を短くできないかと悩んでいた時に、弟子の1人が京にのぼったついでに知り合いの医者から、鼻を短くする方法を教わってきた。
 その方法というのは、お湯で鼻をゆで、その鼻を人に踏ませ、出てきた鼻の脂の角栓を毛抜きで抜いて、再び茹でるというもの。ふむふむ、なかなか理にかなっているよね。
 実は私、ここで話を少し間違って覚えていたのだ。記憶間違い。毛穴から皮脂と一緒に小さな虫が出てくる、うわーーー!気持ち悪い!と覚えていたのだ。それもかなりハッキリと!
 なんで、そんな記憶の書き換えが起こったのかな?
 想像するに、かなり前、顔ダニが話題になったでしょ? 顔ダニ石鹸っていう専門石鹸がすごく良く売れた。皆さん、覚えてません? 顔ダニなんて気持ち悪いモノ、私にいるわけがない!と考えている人が大半だろうが、生まれたての赤ちゃんでもないかぎり誰にでも顔ダニっているんだってね。ホラーだね。

 とにかく、この偉いお坊さんは、鼻が短くなった当初はホクホクと喜んでいたけど、どうも周囲の反応がビミョー。かえって消極的な敵意みたいなものを感じてしまい、前の方が良かったかも…と後悔しだす。
 結局、1週間ほどで鼻は元に戻ってしまったが、お坊さんはかえって晴れ晴れした心持になった。

 美容整形した人なんかも、最初は消極的な敵意を感じたりするのかな? 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川龍之介 「芋粥」

2020-06-05 13:33:50 | その他
 子供の頃に読んだ時に、なんだか日本史の副読本みたいな話だな、と思った覚えがある。

 平安初期、京に下っ端の侍がいた。下っ端といっても正五位または従五位という位の侍で、一応最下位とはいえ昇殿を許される。だから庶民からいえば、偉い人なんだろうけど、はなはだ風采が上がらないので、同僚や上司から軽んじられて冷淡に扱われていた。
 なにせ、犬を打ったり叩いたりしている子どもたちに「もう堪忍してやりなされ」と注意すると、その子たちから「なんじゃ?この鼻赤めが」と言い返されるのだ。もちろん、その後『犬の恩返し』なんて話にはならない。
 また、5、6年前にこの侍と別れた女房は、酒飲みの法師と関係があって家を出て行ったらしい。それも上司や同僚のかっこうの噂話になった。

 つまり、この五位の侍は、職場でも家庭でもイジメられていた。もちろんイジメが、この『芋粥』という短編の主題ではないが、こういう描写を読むと、いつの時代にもイジメというものはあるんだと、暗澹とした気になる。
 この時代の方が、イジメは深刻ではないのかな? だって、簡単に転職できないでしょ? ほぼ世襲でしょ? それに現代以上に階層のコミュニティがカッチリしていて、どんな嫌な相手でも狭いコミュニティの中では繋がらなければならないだろう。

 とにかく、この内面も外面も情けない侍が、ある時、芋粥を飽きるまで食べてみたいと酒席でポロっとこぼすと、それを聞いていた利仁という恰幅の良い同僚が、食べさせてあげると申し出る。
 この芋粥って今のお粥にサツマイモが2~3片混じってるというのでなくて、山芋を薄くスライスして甘葛の汁で煮たもの。つまり甘い飲み物で、当時としては天皇の食卓にも上る高級品だった。
 この利仁という男は、敦賀(今の福井県の)豪族の娘婿になっていて、地位は高くないが、しっかりした領地があり裕福なんだろう。その敦賀に五位の侍を連れていき、どっさり芋粥を食べさせた。

 この短編の主題は、五位の侍がバケツのような器にどっさり入った芋粥を見て、うんざりして食欲がなくなり、昔、芋粥を飽きるほど食べてみたいと熱望していた自分自身を懐かしく思うという部分だろうが、私の印象に残ったのはそこではない。
 貴族たちの間で、遠方の国司は敬遠され、もし任命されても代理の者を派遣して自分は京都にいて、領地から上がった利益だけを受け取る人が大多数だったようだ。地方に行けばそれなりに豊かに暮らせるのに、京都にいたいんだよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする