ケイの読書日記

個人が書く書評

林芙美子 「晩菊」 

2021-05-28 16:28:32 | 林芙美子
 この作品は林芙美子の晩年の代表作という事で、私もずいぶん前に読んだことがある。再読してみた。

 戦後まもなく昭和20年代前半。きんという女が女中さんを1人置いて静かに暮らしていた。(作中では56歳。昔の男から心の中で老女と呼ばれる。ちょっと酷くない?でも当時の感覚では老女なのかも)
 きんという名前から、双子のおばあちゃん・きんさんぎんさんを思い出す人も多いだろう。昔ではよくある名前なんだろうね。ただ、このきんという女は、若い頃はずいぶん美しい芸者さんで、絵葉書にもなったほどなのだ。東洋見物に来ていた高齢のフランス人紳士が彼女を座敷に呼んで、その美しさを「日本のマルグリット・ゴォチェ」と讃え愛した。彼女自身も、椿姫気取りでいた事もある。オパールとダイヤを散りばめたブレスレットを贈られ、それだけは戦争中でも手放さなかった。
 関係した男たちは皆、出世していったが、終戦後は没落したのであろう、消息が分からない人がほとんどである。
 でも、きんはもともと賢い女であって、それなりに蓄えたお金を無駄遣いせず、つつましく暮らしていた。

 そんな折、昔の男が訪ねてくる。昔の男といっても、親子ほど年の離れたうんと年下の男。でも熱烈に愛し合った。彼はなんのために来るのだろう?なんにせよ、幻滅させてはならない。きんはいつまでも美しい女だと相手に思わせなければ、と彼女は周到に準備し美しく装う。

 ここらへんの準備が、なかなか芸者時代のテクニックというか、気合が入っている。男と会う前は、ふろに入り、その後くだいた氷をガーゼに包んでほてった顔をマッサージ。冷酒を半合ほどあおり、歯を磨いて酒臭い息を消しておく。そうするとうっすら目元が紅く染まり、大きい目が潤んでくる。洋服は今まで着た事が無い。着物を玄人っぽい地味な作りで着付ける。

 男はやって来る。昔の青年らしい面影はまったく無い。思い出話もそこそこに、男は借金を申し込む。がっかりするきん。そうだよね。よりを戻そうなんて話になる訳ない。だいたい男には家庭があり、どうも他に女の人がいて、そこに子どもが生まれるのでお金がいるらしい。百年の恋もさめる。お互い心がまったく燃えてこない。「会うんじゃなかった」互いがそう考えているのがよく分かる。

 男はあまりに酔っ払ったので、きんの家に泊まる。きんさん、男に殺されないように気を付けてね。
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林芙美子 「牛肉」

2021-05-21 14:28:48 | 林芙美子
 またまた林芙美子の中編。あらすじはちょっと知っていて、勝手に『椿姫』(前途有望な青年と高級娼婦の悲恋)みたいな話なんだろうかと思っていたが…林芙美子らしい男女の現実が書いてある。

 新聞記者の佐々木は1年前に別れた満喜江から連絡をもらった。ちょうど漢口陥落(昭和13年1938年10月)の翌日で、街は戦勝ムードで沸き返っていた。満喜江はメエゾン・ビオレという娼館の売れっ子で、佐々木の初めての相手だった。
 佐々木はのぼせ上ったが、満喜江はエストニア人の裕福な商人に身請けされて行った。でも、やはり肌合いが合わなかったらしい。家出して佐々木の所に転がり込んだのだ。この時の満喜江は、わがまま放題で、佐々木のベッドに寝ころび、佐々木に用意させたバターとチーズをたっぷり塗ったパンを食べながら、佐々木が爺むさくなったと心の中で悪態をついているのだ。ちょっと厚かましくない?
 でも佐々木の家でも長続きせず、借金を作って出て行った。(借金はもちろん佐々木が払った)

 その後も佐々木と満喜江は、たびたび出会うが、そのたびに満喜江は惨めな様子になっていく。悪い病気にかかり働けないので、みすぼらしい姿で佐々木の前に現れる。知人の世話でなんとか生活しているらしい。知人からは、病気が治ったら吉原で働くように言われている。
 メエゾン・ビオレの売れっ子マキィとの再会に胸をときめかせていた佐々木も、だんだんウンザリし、美しい思い出は色あせてくる。

 戦争が終わり、戦地から戻ってきた佐々木は、前に勤めていた新聞社に復職し、細君を貰って子どもも生まれた。

 ある日、佐々木は電車をホームで待っていた時、満喜江の知人の婆さんに出会う。満喜江もこの戦争を生き延びたが、空襲にあって気がふれてしまい、周囲が持てあましているという。
 佐々木は気の毒に思い、ポケットの中の3枚のお札を「満喜江さんに渡して」と差し出そうとしたが、正直なところ少し惜しい気がして出さなかった。そしてそのお金で牛肉でも買って久しぶりに栄養を取ろうと思うのだ。ああ、なんて正直な人間だろう。そんなもんだよ。
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益田ミリ 「痛い靴のはき方」 幻冬舎文庫

2021-05-14 11:03:21 | 益田ミリ
 このエッセイは、幻冬舎Plus連載の「前進する日も しない日も」(2013年10月~2016年5月)をまとめた文庫オリジナル。肩ひじ張らず気楽に読めるエッセイで楽しい。ミリさん、いろんな所に出掛けているし、美味しそうなおやつをあちこちで食べている。彼女も書いているが「旅とおやつで、自分の世界がまわっている」 いいじゃない。それで生活できてるんだから。というか、旅とおやつでエッセイがどんどん書けてお金を稼ぐことができ、それで次の旅とおやつを買う事が出来るんだから、なんて素晴らしいんだろう。羨ましいと思ってる人、大勢いると思う。

 旅も、一人旅もあるけど、同居しているカレと一緒に行くことも多いようだ。旅だけじゃなく、映画や芝居にも。これって、すごく羨ましい。同居してるとかえって一緒に出掛けることがなくなる。カレはとても控えめな人らしく、主導権はミリさんが握っている。だから一緒に外出するのかな。

 「札幌ひとり旅」というエッセイがある。3月末に東京の花粉から逃げ出して、3泊4日の札幌一人旅。(そういえば売れっ子作家は避暑のため北海道に仕事場を借りている人も多いと聞く。花粉を避けるために花粉シーズンに北海道で仕事する人もいるだろうね)
 なんの予定もなし、という所がすごい。さすがミリさん。旅慣れている。新千歳空港に到着して空港内のラーメンエリアで味噌バターラーメンを食べる。そのあとお土産エリアを散策。その後、札幌市内に向かう。
 翌朝、円山動物園まで歩いて行こうと思い立ち、歩いていく途中で美味しそうなパン屋があったので買って、途中の近代美術館の休憩スペースで食べる。円山動物園でオオカミを見た後、夕食としておいしいスープカレーの店に。
 3日目の朝、昨日のパン屋でおやつのパンを買い、再び別のスープカレーの店で朝食兼昼食を食べる。その後、散歩し感じの良いカフェでコーヒーを注文、新聞を読む。
 最終日の朝、おいしいサンドイッチの店があると聞いて、早起きして出掛ける。
 一つの街だけで完結する旅には、日常のエキスが入っているとミリさんは言う。ちょっとだけ「ここに住んでいる自分」になり、もうひとつの人生を生きている感覚を味わえる、と。

 さすが、旅の上級者。旅慣れない人だったら「札幌に出掛け円山動物園しか行ってないって、もったいないじゃん!」と怒り出すかもしれないね。
 3月末の札幌は、冬のパリに似てるらしい。今、私が熱心にやってるスマホゲームで最押しのキャラが、パリに留学中なので、パリに行った事ないのにすごく懐かしい気がする。ああ、私も1か月くらい札幌で観光というより生活してみたいね。
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林芙美子 「泣虫小僧」

2021-05-07 13:33:27 | 林芙美子
 この中編は、昭和9年(1934年)朝日新聞夕刊に連載された。芙美子にしては珍しく、主人公は小学生の男の子・啓吉(10歳くらい?)
 啓吉には、お母さんと小さな妹がいる。お父さんは数年前に亡くなった。最近、お母さんには親しい男の人ができたらしく、頻繁に男は家に来て、啓吉を「坊主、坊主」と呼ぶが、啓吉はその男が大嫌いで、早く帰らないかなと思っている。でも小さな妹は男に懐いて、可愛がってもらっている。

 母親は、再婚相手と考えている男に啓吉がちっとも懐かないので、妹夫婦に啓吉を預ける。啓吉にとっては、叔母さん夫婦。実は、啓吉の母親は4人姉妹の長女で妹が3人いて、みな生活は苦しい。すぐ下の妹とは折り合いが悪いが、よくそこに預ける。そこから次の妹へ、と啓吉は親戚をたらい回しされる。

 邪険にされても、啓吉はお母さんが大好き。家に戻るが、そこには、あの大嫌いな男がいる。そうしているうちに、お母さんは妹と再婚相手の男と九州に行くことになる。男の商売が失敗したらしい。啓吉は九州に連れて行ってもらえず、再び叔母さん夫婦に預けられる。そして…

 昭和9年の作品だが、現代の作品と言っても差し支えない。こういった何処にも居場所が無い子どもって、いつの時代にもたくさんいるのだ。この作品は映画化もされたらしく、その当時でも話題をよんだ。

 昭和ヒトケタといえば、不況で、その上女性の職業も少なかった時代なので、啓吉のお母さんのように、ダンナと死別すると困って、別の男を頼る女も多かったと思う。でも戦争未亡人となっても、子供の手を離さず、シャカリキに働いて立派に育て上げた人も多いから、やっぱり性格の問題だろうか?

 啓吉が預けられる先の叔母さん夫婦も、叔母さんは姉(啓吉の母)の事を、男にだらしない人と悪く言っているし、自分の夫は小説家志望の定職なしの男で、その上ちいさな子ども(啓吉のいとこ)もいる。生活するのに精一杯で、とてもじゃないが他所の子を預かれないのだ。そうだろうな。

 なんにせよ、彼のこの先の事を考えると、胸が潰れる思いだ。もうじき太平洋戦争が始まる。啓吉の少年時代・青年時代は、戦時色で塗りつぶされていくだろう。啓吉は年代的に、赤紙がくるんじゃないか?(大正15年生まれの私の父も召集されている)


 
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