ケイの読書日記

個人が書く書評

林芙美子 「水仙」

2021-06-04 14:26:14 | 林芙美子
 水仙という題名だから、ギリシャ神話を彷彿とさせる美少年が登場するのかな?と期待していたが、全く違った。

 これも戦後まもなくの話。(なにせ林芙美子は戦後間もなくの昭和26年1951年に亡くなったのだ) たまえという女と、彼女の22歳になる息子の話。たまえが女学校を卒業してすぐ男と駆け落ちして生まれた息子なので、たまえは40歳くらいだろうか?
 その男とは別れたが、次々と別の男ができたし、それに彼女は生活力がある人なので、戦中戦後なんとか母子家庭でやってきた。ところが、息子はサッパリなのだ。
 今、8050問題とか7040問題とか騒いでいるが、成人した子どもが働かなくて、親が困っている問題って、昔からあったんだ。

 20歳になる作男は、母親のたまえから、何とかして勤めを持って自立してくれと要求されている。母親は顔の広い女なので、彼女のツテで色んな会社に面接に行くが、どこも不採用。そりゃそうだ、就職を頼みに来てふんぞり返って煙草をふかしているんじゃ、採用されるわけない。(話はそれるが、この時代、喫煙率がすごく高い。特に林芙美子の作品の登場人物は、大人だとほぼ全員)

 作男は集団生活するには気が弱く、勉強も好きではないし、身体も弱いので、戦争中も勤労動員には出なくて、母親と暮らしていた。戦後になり、母親の方は上手く立ち回り、闇屋のようなことをやって小金を貯めていたが、それを作男が持ち出して散財してしまう。絵にかいたような放蕩息子。
 母親のハンドバックの中を、お金がないかとゴソゴソしたり、亭主もちの女と仲良くなって食べさせてもらおうとするが、手切れ金をもらって放り出される。

 結局、作男は友人のツテで北海道・美幌の炭鉱の事務所で働くことになる。「美幌に行けば死にに行くようなものだ」と作男はこぼすが、実際、肺の悪い人間が寒い季節に行けば、死ぬんじゃないかと思う。肺が悪いって、たぶん結核なんだろうね。

 母子といっても、お互い重荷にすぎないんだ。
 
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林芙美子 「晩菊」 

2021-05-28 16:28:32 | 林芙美子
 この作品は林芙美子の晩年の代表作という事で、私もずいぶん前に読んだことがある。再読してみた。

 戦後まもなく昭和20年代前半。きんという女が女中さんを1人置いて静かに暮らしていた。(作中では56歳。昔の男から心の中で老女と呼ばれる。ちょっと酷くない?でも当時の感覚では老女なのかも)
 きんという名前から、双子のおばあちゃん・きんさんぎんさんを思い出す人も多いだろう。昔ではよくある名前なんだろうね。ただ、このきんという女は、若い頃はずいぶん美しい芸者さんで、絵葉書にもなったほどなのだ。東洋見物に来ていた高齢のフランス人紳士が彼女を座敷に呼んで、その美しさを「日本のマルグリット・ゴォチェ」と讃え愛した。彼女自身も、椿姫気取りでいた事もある。オパールとダイヤを散りばめたブレスレットを贈られ、それだけは戦争中でも手放さなかった。
 関係した男たちは皆、出世していったが、終戦後は没落したのであろう、消息が分からない人がほとんどである。
 でも、きんはもともと賢い女であって、それなりに蓄えたお金を無駄遣いせず、つつましく暮らしていた。

 そんな折、昔の男が訪ねてくる。昔の男といっても、親子ほど年の離れたうんと年下の男。でも熱烈に愛し合った。彼はなんのために来るのだろう?なんにせよ、幻滅させてはならない。きんはいつまでも美しい女だと相手に思わせなければ、と彼女は周到に準備し美しく装う。

 ここらへんの準備が、なかなか芸者時代のテクニックというか、気合が入っている。男と会う前は、ふろに入り、その後くだいた氷をガーゼに包んでほてった顔をマッサージ。冷酒を半合ほどあおり、歯を磨いて酒臭い息を消しておく。そうするとうっすら目元が紅く染まり、大きい目が潤んでくる。洋服は今まで着た事が無い。着物を玄人っぽい地味な作りで着付ける。

 男はやって来る。昔の青年らしい面影はまったく無い。思い出話もそこそこに、男は借金を申し込む。がっかりするきん。そうだよね。よりを戻そうなんて話になる訳ない。だいたい男には家庭があり、どうも他に女の人がいて、そこに子どもが生まれるのでお金がいるらしい。百年の恋もさめる。お互い心がまったく燃えてこない。「会うんじゃなかった」互いがそう考えているのがよく分かる。

 男はあまりに酔っ払ったので、きんの家に泊まる。きんさん、男に殺されないように気を付けてね。
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林芙美子 「牛肉」

2021-05-21 14:28:48 | 林芙美子
 またまた林芙美子の中編。あらすじはちょっと知っていて、勝手に『椿姫』(前途有望な青年と高級娼婦の悲恋)みたいな話なんだろうかと思っていたが…林芙美子らしい男女の現実が書いてある。

 新聞記者の佐々木は1年前に別れた満喜江から連絡をもらった。ちょうど漢口陥落(昭和13年1938年10月)の翌日で、街は戦勝ムードで沸き返っていた。満喜江はメエゾン・ビオレという娼館の売れっ子で、佐々木の初めての相手だった。
 佐々木はのぼせ上ったが、満喜江はエストニア人の裕福な商人に身請けされて行った。でも、やはり肌合いが合わなかったらしい。家出して佐々木の所に転がり込んだのだ。この時の満喜江は、わがまま放題で、佐々木のベッドに寝ころび、佐々木に用意させたバターとチーズをたっぷり塗ったパンを食べながら、佐々木が爺むさくなったと心の中で悪態をついているのだ。ちょっと厚かましくない?
 でも佐々木の家でも長続きせず、借金を作って出て行った。(借金はもちろん佐々木が払った)

 その後も佐々木と満喜江は、たびたび出会うが、そのたびに満喜江は惨めな様子になっていく。悪い病気にかかり働けないので、みすぼらしい姿で佐々木の前に現れる。知人の世話でなんとか生活しているらしい。知人からは、病気が治ったら吉原で働くように言われている。
 メエゾン・ビオレの売れっ子マキィとの再会に胸をときめかせていた佐々木も、だんだんウンザリし、美しい思い出は色あせてくる。

 戦争が終わり、戦地から戻ってきた佐々木は、前に勤めていた新聞社に復職し、細君を貰って子どもも生まれた。

 ある日、佐々木は電車をホームで待っていた時、満喜江の知人の婆さんに出会う。満喜江もこの戦争を生き延びたが、空襲にあって気がふれてしまい、周囲が持てあましているという。
 佐々木は気の毒に思い、ポケットの中の3枚のお札を「満喜江さんに渡して」と差し出そうとしたが、正直なところ少し惜しい気がして出さなかった。そしてそのお金で牛肉でも買って久しぶりに栄養を取ろうと思うのだ。ああ、なんて正直な人間だろう。そんなもんだよ。
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林芙美子 「泣虫小僧」

2021-05-07 13:33:27 | 林芙美子
 この中編は、昭和9年(1934年)朝日新聞夕刊に連載された。芙美子にしては珍しく、主人公は小学生の男の子・啓吉(10歳くらい?)
 啓吉には、お母さんと小さな妹がいる。お父さんは数年前に亡くなった。最近、お母さんには親しい男の人ができたらしく、頻繁に男は家に来て、啓吉を「坊主、坊主」と呼ぶが、啓吉はその男が大嫌いで、早く帰らないかなと思っている。でも小さな妹は男に懐いて、可愛がってもらっている。

 母親は、再婚相手と考えている男に啓吉がちっとも懐かないので、妹夫婦に啓吉を預ける。啓吉にとっては、叔母さん夫婦。実は、啓吉の母親は4人姉妹の長女で妹が3人いて、みな生活は苦しい。すぐ下の妹とは折り合いが悪いが、よくそこに預ける。そこから次の妹へ、と啓吉は親戚をたらい回しされる。

 邪険にされても、啓吉はお母さんが大好き。家に戻るが、そこには、あの大嫌いな男がいる。そうしているうちに、お母さんは妹と再婚相手の男と九州に行くことになる。男の商売が失敗したらしい。啓吉は九州に連れて行ってもらえず、再び叔母さん夫婦に預けられる。そして…

 昭和9年の作品だが、現代の作品と言っても差し支えない。こういった何処にも居場所が無い子どもって、いつの時代にもたくさんいるのだ。この作品は映画化もされたらしく、その当時でも話題をよんだ。

 昭和ヒトケタといえば、不況で、その上女性の職業も少なかった時代なので、啓吉のお母さんのように、ダンナと死別すると困って、別の男を頼る女も多かったと思う。でも戦争未亡人となっても、子供の手を離さず、シャカリキに働いて立派に育て上げた人も多いから、やっぱり性格の問題だろうか?

 啓吉が預けられる先の叔母さん夫婦も、叔母さんは姉(啓吉の母)の事を、男にだらしない人と悪く言っているし、自分の夫は小説家志望の定職なしの男で、その上ちいさな子ども(啓吉のいとこ)もいる。生活するのに精一杯で、とてもじゃないが他所の子を預かれないのだ。そうだろうな。

 なんにせよ、彼のこの先の事を考えると、胸が潰れる思いだ。もうじき太平洋戦争が始まる。啓吉の少年時代・青年時代は、戦時色で塗りつぶされていくだろう。啓吉は年代的に、赤紙がくるんじゃないか?(大正15年生まれの私の父も召集されている)


 
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林芙美子 「思い出の記」

2021-04-30 13:55:19 | 林芙美子
 林芙美子は、こういった自伝的な思い出話をよく書いて、あちこちの雑誌に掲載してきた。なんといっても、彼女の、行商人の娘として西日本各地を流浪したという生い立ちに関心を持つ人が多いからだろう。
 彼女の代表作『放浪記』の一節「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」に強く惹きつけられる人は少なくないと思う。

 日本人は、弥生時代から農耕民族として定住して稲作するのが一般的で多数派だった。だから、旅芸人や行商人のような定住しない人たちを疎んじる。(でも、流浪の民の方も、百姓をバカにするような所があるのだ。林芙美子の小説内にも出てくる)
 しかし、疎んじる一方で、自分にできない生き方をしている彼らに憧れるんだ。俳人の山頭火の人気が高いのも、そういう事なんだと思う。

 でも、頭の中で空想するのと現実の生活は違う。先日、ブログで紹介した『風琴と魚の町』の中にも、流れ着いた尾道でしばらく落ち着いた生活をする芙美子たち家族を書いているが、流れ着くまでが大変。娘を連れた行商人夫婦が、行き先を決めず汽車に乗る。祭りがあり景気が良さそうな町を見つけると、そこで降りて街角で商品を売り弁当代を稼ぐ。まずまずのお金になると、その地にしばらく滞在するつもりで、木賃宿に泊まる。でも、その木賃宿の宿代を稼げない日もあるだろう。そういう時はどうするの? 娘を連れて野宿?

 林芙美子の自伝的小説を楽しんで読めるのも、彼女が小説家として人気が出て成功するのを知っているから。『ゲゲゲの女房』の水木夫妻と同じ。あのお話も、すごく貧乏だが気が滅入らないで読んだり見たりできるのは、水木しげるがマンガ家として大成功することが分かっているから。彼らのように成功できず、自滅していった人たちも多いんだろう。

 私は観てないけど、「ノマドランド」って映画が人気あるんだってね。仕事を求めキャンピングカーで移動し、その社内で生活する。アメリカの格差社会の犠牲者という人もいるらしいが…でも、ちょっとやってみたいような気もするなぁ。
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