ケイの読書日記

個人が書く書評

皆川博子 「死の泉」 早川書房

2019-12-08 15:41:43 | 皆川博子
 これは…皆川博子の真骨頂。混沌と官能の物語だよね。私の好みどストライク! もっと早く読めばよかった。

 1943年、第2次大戦下のドイツ。マルガレーテは私生児を身ごもり、ナチの施設【レーベンスボルン(生命の泉)】という産院に身を寄せていた。そこの施設長クラウスは音楽を偏愛し、ボーイソプラノの美しい2人の孤児フランツとエーリヒを養子にするため、母親が必要だと、マルガレーテと結婚する。

 このレーベンスボルン(生命の泉)という施設は、私もNHKのドキュメンタリーで見て知っていた。戦争は大量の若い男を消費する。私生児でもいいので、どんどん子どもを産ませようというのだ。もちろんアーリア人種の子どもを!
 そのアーリア人種というのは、私はDNA鑑定でもしているのだろうと思っていたら、金髪で青い目だとアーリア人種とみなされるのだ。ビックリ! だってアーリア人種でなくても金髪碧眼っているじゃん! なんと非科学的な!
 だから、占領地の、例えばポーランドはスラブ系だけど、子どもが金髪で青い目だったら、このレーベンスボルンに連れてきて、ドイツ人として教育し、ナチスの家庭に引き取られていく。
 クラウスが養子にした2人の子供も、もとはポーランド人なのだ。10歳くらいのフランツは自分の出自を覚えていられるが、5歳くらいのエーリヒは自分のポーランドの名前も忘れてしまう。そうなるだろうね。

 だから、この小説では、男も女も金髪で青い目がどっさり出てくる。キレイなのは分かるが、正真正銘のプラチナブロンドって、そんなにいないと思うけど。かのマリリン・モンローも元々の髪は茶色で、ブロンドに染めてたっていうじゃない。
 だいたいヒトラー総統自身、金髪碧眼じゃないよ。それに、ヒトラーもユダヤ人の血が1/8か1/4混じってるって話も聞いたことあるなぁ。
 ご大層なスローガンを掲げて、でたらめな事、やってるなぁ。

 1944年6月には、連合軍はノルマンディーに上陸し、ドイツの敗戦が濃厚になってくる。レーベンスボルンは田舎なので空襲の被害は受けてないが、ベルリンやミュンヘンやハンブルグといった都市部は壊滅的な被害を受けている。
 こういう時、ドイツ国民は本当に「一発逆転の新型爆弾を今、作っている」なんて戯言を信じていたんだろうか?第1次大戦も負けているのに。敗戦を現実に知っている人も多いだろうに。

 1945年4月下旬、ヒトラーは自決し、5月上旬、ドイツは無条件降伏する。

 クラウスはSS幹部だったので、戦争犯罪人として処刑されるはずだったが、貴重な医学的研究をしていたので、その情報を提供することで、こっそりアメリカに渡る。打ち捨てられたフランツとエーリヒは…。

 この戦後の物語も興味深い。ネオナチのカッコいいお兄さんも出てくる。彼らにも言い分があるんだ。
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皆川博子 「夜のアポロン」 早川書房

2019-09-23 08:54:31 | 皆川博子
 皆川博子の単行本未収録短編集。この人は、デビューは遅いがキャリアは長い(1930年生まれ、つまり89歳?)ので雑誌に掲載されたが、単行本には収録されてない短編がどっさりあるのだ。
 だけど、編者の日下三蔵が解説に書いているように、驚異のクオリティ!! どの作品も驚くほど面白い!

 初期作品を中心に16編収められている。表題作『夜のアポロン』が一番、皆川博子の危険な香り濃厚だが、私は『死化粧』が一番好きだな。

 開国まもない明治初期の東京。立身出世を望み上京した信州高遠出身の若者・矢田真楯は、湯屋でみすぼらしいなりの父娘を見かけた。旅役者らしく真っ白に顔を塗っているので、湯屋の親父に湯が汚れるからと、追い返されている。とりなそうとする人もいるが、警官を見ると父娘はそそくさと立ち去る。

 数日後、真楯は湯屋で見た父親と牛鍋屋で偶然再会する。娘はいなかった。父親は客の入りがサッパリなので一座を解散し、昔の知り合いの嵐仙十郎一座に娘ともども入れてもらうが、ここも不景気でいい役がつかないと嘆いている。

 その芝居を見た後、湯屋に寄ったら、仙十郎の女房もいて、挨拶される。そこに以前湯屋であった娘のお千代が駆け込んできた。彼女の手ぬぐいには血が付いていて…。

 話の急展開には驚かされるが、それ以上に江戸情緒が色濃く残った明治初期の雰囲気がすごく出ていて、素晴らしい。もちろん明治初期に皆川博子が生きている訳はないのだが、彼女の祖父母やお父さんお母さんに当時の事を色々聴いていたんだろうね。風俗の描写が生き生きしている。


 あとがきに皆川博子が書いている。「大人の小説をおぼつかなく書き始めた頃、単行本の担当編集者に、自分の中を掘り下げろ、と言われました。掘り下げたら、ろくなものは出てこなかったな」これには笑った。そう、彼女は私小説タイプの人じゃない。思いっきりストーリーテラー。
 早川書房で『死の泉』を上梓してから、楽しく書くことが出来たそうです。さっそく『死の泉』を読まなくては。
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皆川博子 「冬の旅人」 講談社

2018-09-21 14:01:01 | 皆川博子
 以前、ネットでラスプーチンのことを調べていた時、皆川博子の『冬の旅人』はラスプーチンを題材にしていると書いてあった。皆川博子は大好きな作家さんなので、さっそく読んでみたが、最初に、1880年17歳でイコン画(ロシア正教の肖像画)の技術を学ぶため、ロシアに渡った日本人女性・川江環という人が出てきてガックリ。
 いったいこの女性が、ラスプーチンとどう関係するんだろかと、怪訝な気持ちだったが…これが、物語後半に結び付くんだ。さすが皆川博子。

 主人公・川江環(ロシア人からはタマーラと呼ばれる)は、実在した明治のイコン画家・山下りんをモデルとしているらしい。ただ、山下りんは、2年ほどでロシアから日本に戻って、各地でイコン画を描いている。だから、川江環(タマーラ)の話は、全くのフィクション。波乱万丈というか荒唐無稽な話というか…。でも素晴らしく面白い。


 タマーラは最初、女子修道院でイコン画を学ぶが、エルミタージュ美術館で観た洋画に感動し、イコン画に興味を失う。修道院の規律を破るので、タマーラは日本に送還されることになる。それを救ったのは、画学生のヴォロージャと下働きのソーニャ。彼らと同居し、絵に打ち込むが、ヴォロージャが無実の罪で西シベリアに流刑になり、一緒について行くことにする。
 日本人には、流刑地シベリアは、どこでも同じ過酷な土地と思うが、東シベリアは地の果てで生きて帰れる望みは薄いが、西シベリアなら見込みはある。その西シベリアでタマーラは、子供の頃のラスプーチンに出会う。

 5年の刑期を終え、タマーラたちは首都のペテルブルグに戻り、生活を再スタートさせるが、ロシアという国は大揺れに揺れていた。
 タマーラがロシアに来た時も、「去れ!専制政治よ!」と声高に叫ぶ人たちはいたが、ただの言葉だけだった。でも、それがいよいよ現実味を帯びてきた。

 ロマノフ王朝末期が題材だろうこの本を、私が読みたかったのは、この頃のロシアって、どういう暮らしぶりなんだろうと興味があったから。ドフトエフスキーの『白痴』は1868年の作品で、その中でも帝政の揺らぎは感じたが、いかんせん『白痴』は、あまりにも観念的で、上流階級、地主階級のことしか書いてないから。それに日露戦争時や第1次世界大戦時の一般民衆の生活がどうだったか、読みたいと思っていた。
 でも、この小説中では、日露戦争時(1904年)タマーラは日本のスパイかもしれないと牢屋にぶち込まれていたので、庶民の生活はあまり書かれていない。

 その後タマーラは、(ものすごく無理な設定だと思うが)皇帝の子どもたちの絵の教師となり、宮殿に出入りするようになる。

 1905年の「血の日曜日」事件後、皇帝は国民の支持を失い、治安が急激に悪化。デモやストライキは日常のものとなる。
 1914年、第1次世界大戦がはじまり、皇帝ニコライ2世が戦地に赴いている間、政治は皇后がおこなうが、彼女は、皇太子の血友病を治療できるラスプーチンを重用し、有力な政治家を次々と罷免。国内はますます混乱する。恨みを買ったラスプーチンは暗殺され、ボリシェヴィキが政権を取り、皇帝一家は幽閉され…。

 いままで皇帝一家を守っていた兵士たちが、今度はソヴィエトに忠誠を誓い、皇帝一家に銃を向ける。卑猥な言葉を皇女達に投げつける。元皇太子のアレクセイに「オレの足元にひざまづいて靴にキスしろ」などと強要する。
 ああ、人間ってこうも変わってしまうものなのか。嫌だね。
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皆川博子 「倒立する塔の殺人」 理論社

2018-06-24 12:41:48 | 皆川博子
 戦時中の都立高等女学校と、それに隣接するミッションスクールが舞台。 戦時中でもミッションスクールって開校してたんだ。驚き!! でも、キリスト教会も、戦争中、潰されなかったようだから当然か! 
 もちろん、明治の開校時にはいただろう外国人宣教師も外国人教師も、開戦前には皆、帰国させられていたし、軍部のしめつけも強くなる一方。ミッションスクールの生徒といっても、クリスチャンはほとんどいなかったようだ。
 仏教徒だが、お金があって良家の親が、娘のハクをつけるために、ミッションスクールに入学させたらしい。

 そのミッションスクールの図書館の本棚の中に、美しいノートが紛れ込んでいた。誰かが小説を書くことを願ってか、真っ白い紙面のノートのタイトルは『倒立する塔の殺人』。偶然手に取った少女が、小説を書き始め…。

 作中小説の中にまた作中小説があって…と複雑な構成。そもそも『倒立する塔の殺人』というタイトルのノートは、誰が何の目的で図書館に置いたのか、そしてチャペルで空襲にあって死んだ上級生は、なぜ防空壕でなくチャペルにいたのか、という謎を解くミステリ小説でもある。

 意外かもしれないが、皆川博子は1984年に『壁 旅芝居殺人事件』で日本推理作家協会賞を受賞している。ヘタな推理作家よりよほどキチンとしたトリックを考えるんだ。
 でも、この小説の素晴らしい所は、トリックよりも戦時中の女学生たちの美しさ…かな。戦局はどんどん悪くなり、物資もますます手に入らなくなる。密かに慕っていた相手も学徒出陣で出征していった。学校に行っても授業はなく、軍需工場で作業に追われる日々。質素すぎる食事。
 でも女学生たちは、休み時間に「美しき青きドナウ」を合唱し、ワルツを踊る。古い日本映画を見ているようです。


 皆川博子は1930年生まれなので、この小説の女学生たちと同世代。この本が出版された時は2007年で77歳。創作意欲が全く衰えないよね。驚くばかりです。デビューが遅いせいかなぁ。
 
 朝の連続TV小説『半分、青い』で、すずめやユーコがアイデアが浮かばずスランプに陥ってるけど、彼女らはマンガを職業にするのが早すぎたのかもしれない。18歳で売れっ子漫画家に弟子入りして、ひたすら描いてきた。そりゃ、マンガの技術は上達するだろうが、どうしても実体験が乏しくなる。インプットが無ければアウトプットはできない。
 昔、ジョージ秋山が「僕が政治家になったら、25歳まで創作してはならないという法律を作りたい」といったそうだが、そういう意味もあるのかな?
 でも、少女マンガの場合、年齢が高くなると感覚が古くなるというデメリットもあるしねえ。難しいなぁ。
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皆川博子 「U ウー」 文藝春秋社

2018-04-26 13:46:06 | 皆川博子
 タイトルの「U ウー」とは、海のオオカミと言われたドイツの小型潜水艦Uボートから取ってるんだろう。ドイツ語ではユーじゃなくてウーと発音するのかな。

 大好きな皆川博子の作品だから借りてみたが、読み始めて後悔した。第1次大戦中の1915年・ドイツ海軍の事が書いてあって、ちっとも面白く感じられなかったから。
 しかしまあ、我慢して読み進めていくと…話が飛んでいきなり1613年。オスマン帝国に強制徴募されるマジャール人とドイツ人とルーマニア人の少年たちが登場する。当時の東ヨーロッパはキリスト教圏なのだが、強大なオスマン帝国にたびたび攻め込まれ、支配者層は、子供たちを貢ぎ物として、オスマン帝国に送ったのだ。
 キリスト教徒の子どもたちは、強制的にイスラムに改宗させられ、多くの者は強い兵隊になり、学問や容姿が優れているものは、スルタンの小姓に取り立てられる。考えようによっては、生まれ故郷で貧しい生活をするより、能力により出世の道が開かれるのだから、強制徴募された方が良かったかもしれない。

 でも、この主人公の少年たちは、そう考えなかった。
 特にヤーノシュというマジャール人の少年は、スルタンの目にとまり宮廷内で異例の出世をする。学問だけでなく馬術にも優れていたヤーノシュは、スルタンの前で素晴らしい技を披露し、たくさん褒美をもらう。その時出された飲み物の中にアヘンが混ぜてあり、目覚めた時には、宦官にされていた。
 寵愛が深いほど、そういう事があるらしい。男性としての機能が失われれば、妻や子供といった対象を持てなくなり、スルタンしか頼るものがなくなる、という意味なのかな。いくら金銀財宝に囲まれ、豪華な衣装を身に着けていても、しょせんは奴隷。スルタンの所有物なのだ。

 ただ、中国でもトルコでも、宦官は後宮に入ることを許されるから、皇帝の私生活に深く入り込み、年少の皇帝を操り、最大権力者になることも多いのだ。だから、貧しい家庭に生まれ、通常では絶対出世が望めないような身分の人間が、すすんで宦官になることもあったらしい。(司馬遼太郎が書いていた)
 貧しいと一生女性には縁遠い。女はみな、金持ちに集まる。一夫一妻制じゃない時代、当たり前のことだ。だったら宦官になり、栄華の可能性にかけようという男が出てきてもおかしくない。
もちろん宦官になっても、皆出世するわけじゃない。飛びぬけて目端が利く一握りの人たちだろうが。

 それから、スルタンの兄弟殺しも驚いた。先代皇帝が亡くなった時、皇子たちがモメるのは、どこの国でも同じ。特にオスマン帝国は、長子が相続と決まっていないので、なおさら。でも皇帝位につく時、他の皇子たちを殺すことが法制化されてるのは驚き!
 でもこの時代、乳幼児の死亡率は高かったし、暗殺や病死、戦死が当たり前だったので、皇位継承者がゼロになると困るんじゃない?

 ムスリムの世界は、今でこそキリスト教国に押されっぱなしだけど、中世の時代、東ヨーロッパの多くのキリスト教国を属国や属州にしていたんだ。(ウィーン包囲も2度やっている)
 現代では、TVで知識人と言われる人たちが「欧米はイスラム教の国々を蹂躙している」みたいな発言をしているが、どっちもどっちだね。


 そうそう、Uボートと、オスマン帝国に強制徴募された少年たちが何の関係がある?と不思議がっているアナタ。強い関係があるんです。読んでくださいね。
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