ケイの読書日記

個人が書く書評

東野圭吾「おれは非情勤」

2014-12-27 11:36:39 | Weblog
 東野圭吾の作品だけど、小学生高学年向けの学習雑誌に掲載されていたようなので、さほど期待せずに読んだが…面白い!!!
 
 なんといっても小学生向けなので、大した事件がおこる訳じゃないが(初回だけは殺人事件だったが、PTAから抗議されたらしい。二回目からは窃盗、事故死、謎の手紙etc…になっている)驚くほど、きちんとした本格ミステリ。
 小学生相手に、犯人の屈折した社会への恨みとか、愛欲まみれの動機などを書く訳にもいかないから、どうしても謎解き部分がしっかりするのだろう)


 主人公は25歳の男性。ミステリ作家になりたくて、執筆時間を確保するため、小学校の非常勤講師をしている。「校門を出たら、あとはプライベート」という考えで、子どもたちに対してもドライ。
 その彼は、非常勤なので、あちこちの小学校に短期間現れては、そこで起こった事件を解決し去って行く…という西部劇のようなパターン。だから「非常勤」ではなく「非情勤」なのか。

 小学生といえども、スクールカースト、クラス内政治で、いろいろ悩む。主人公の非常勤講師は、いじめにあって辛い思いをしている子どもの背中をそっと押してあげるが、必要以上の介入はしない。感情移入もしない。そういう所が、良いなぁと思う。
 流れ者に助けてもらっても、一時的には良いかもしれないが、流れ者がどこかへ行ってしまったら、どうするの? 結局は自分でやるしかないんだ。

 
 上で書いた「クラス内政治」という言葉。前回の津村記久子さんのエッセイの中にあった。なるほどね。よく状況を表していると思って使わせてもらった。
 津村記久子さんも、そんなリーダーシップをとれるような人じゃないだろう。だから、小・中・高高生の時、いろいろ周囲に気を配りながら(つまり、クラス内政治に配慮しながら)クラスの中のポジション取りをしていたんだろう。
 自分にも心当たりある。
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津村記久子「やりたいことは二度寝だけ」

2014-12-22 13:35:31 | 津村記久子
 表紙の装画があまりにもかわいいので手に取る。作者がモデルらしいぽーっとした女性が、ヨガのポーズをとっている。タイトルがまた、すごい!『やりたいことは二度寝だけ』 なんというテンションの低さ、低体温、低血圧気質。
 先回のブログが野心満々の林真理子のエッセイだったので、よけい感じる。でも、それがいいなぁ。

 津村記久子は小説もいいが、エッセイも好みだな、と読み進めていくと、意外な一面もある。この人、結構、スポーツ好きなんだ! 大阪の人だから野球好きは分かるが、欧州サッカーもかなり詳しいらしい。
 それに英語だけじゃなく、スペイン語も熱心に勉強しているようだ。
 この人の小説に、よく「語学が堪能で、インターネットの外国語スポーツニュースをさっさと読める女性」が出てくる。私は今まで、同僚でそういったモデルになる人がいるんだろう、と思っていたが、自分がモデルなんだ。へーえぇぇ!!!


 前半のエッセイは、日本経済新聞のエッセイ欄「プロムナード」というビッグネーム紙の連載で、やっぱり芥川賞の威力はすごいなぁと思った。原稿料もいいんじゃない?
 でも、考えるに、津村さんの作風が、日本経済新聞に合っているからの依頼だよね。

 女流小説家って、ちゃんと会社勤めをした人って少ないように感じる。
 もちろん、出版社勤務から作家になった人は多いが、出版社は高学歴の人が高収入を得ている特殊な業界で、一般的な会社とはいえない。他には…学生時代から文章で収入を得ていて、そのまま専業作家になったり。
 だから、普通の事務職やってるOLを、ちゃんと書ける人って少ないんだ。
 その点、津村記久子さんは、新卒で入った会社はすぐ辞めたものの、その後に入社した会社は、ずーっと勤めている。

 唯川恵なども、地方銀行に10年勤めていたから、一般事務職OLの日常を書くのがすごく上手い。
 やっぱり、自分で経験したことのない事柄を書くのは難しいよ。
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林真理子「野心のすすめ」

2014-12-15 14:02:51 | Weblog
 林真理子という名前は、私の年代(1958年生まれ)では知らない人はいないと思うが、若い人は知らないかもしれない。
 1954年・山梨県生まれ。最初は、糸井重里に引き立てられ、コピーライターとして活躍し、TVでMCをやったりもした。後に小説に転向、売れっ子女流小説家に。直木賞も受賞。最初の頃は、小説家というより、芸能人っぽい文化人という感じだったなぁ。バブル期にもてはやされていたが、バブルが消えても林真理子は消えなかった。
 それだけ実力があったという事だろう。
 
 そうそう、『アグネス論争』って知ってます?
 1988年に「文藝春秋」で林真理子が、子連れ出勤するアグネス・チャンについて「いい加減にしてよアグネス」という記事を書いて、大論争になりました。
 働く女性が、子どもを連れて出勤することを、否定的に書いたのだけど、旗色は林真理子の方が少し悪かったかな?バッシングされることも多かったと思う。
 でも、そんなことで怯む林真理子ではない。

 そもそも、この本『野心のすすめ』を林真理子が書いたのは「今、低め安定を望む人々が、いくらなんでも多すぎるのでは?」という危機感らしい。「いつまでもユニクロと松屋でいいの?ブランド物を身に着け、帝国ホテルでシャリアピンステーキを食べたいと思わないの?」と若者を叱咤激励している。

 林真理子を、厚かましいと嫌っている人も多いだろうが、この人は、本当に健全な野心家だと思う。努力家で、欲望をストレートに口に出し、変に屈折していない。もちろん、隣にいたら迷惑するだろうが、離れて見たり、聞いたり、読んでいる分には、とても素晴らしい。
 そうだよ、こういう人がいないと、世の中は発展しない。

 不遇な時代、たとえ根拠が薄い自信でも、自分を信じる気持ちが、辛い局面にいる人を救ってくれることは、よくある。
 彼女は、大学時代に一番キレイに写った写真を、アルバムの1ページ目に貼り、「何十年後かの真理子さんへ。19歳の貴女を見て、いまの貴女はどう思いますか?」と自分にあてて手紙を書いていたそうです。
 自分の成功を夢見て…というか、信じていたんだろう。立派だと思うよ。
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江國香織「思いわずらうことなく愉しく生きよ」

2014-12-09 14:20:24 | Weblog
 犬山家の三姉妹、長女は結婚7年目の専業主婦、次女は仕事にも恋にも全力投球の外資系企業キャリア、三女は余計な幻想を抱かず「去る者は追わず、来るものは拒まず」という西部劇に出てくる娼婦のような生活をしている。

 この「思いわずらうことなく愉しく生きよ」は、離婚して出て行った彼女たちの父親のモットー。犬山家の家訓らしい。
 三姉妹の生家は、とても裕福で、彼女たちは本当にのびのび育った。私立の女子高の馬術部で活躍し、夕食にはワインが欠かせない。
 生家ではそれでよかったが、家を出て現実に直面すると、そうもいかない。特に長女の麻子は、夫のDVに苦しんでいる。

 もともと粗暴な人が、あちこちで暴力沙汰を起こすのと違い、麻子の夫は、外では大変大人しく、紳士的で優しい。ただ、家庭内で、ちょっとでも気に入らないことがあると(例えば妹たちと長電話する)暴君になる。激しく暴れまわり、妻を殴り、髪をつかんで引きずり回し、倒れこんだ妻の頭を足で踏みつけ、唾を吐く。
 それも、洋服に隠れ、見えない所を殴る。(児童虐待の親もそうらしい)ろっ骨などが折れると、次は折れないように殴る。
 完全に激高し、我を忘れる訳じゃない。ちゃんと計算する冷静さを持っている。

 夫は妻を失いたくないと思っている。愛しているからではなく、心置きなく殴る相手を失いたくないから。殴っても訴えられない相手を失いたくないから。
 もちろん、全く愛情がない訳じゃない。殴った翌日は、妻にプレゼントを買ってきて、極力、優しくしようと努力している。

 しかし、夫の思考はこうだ。「オレに暴力をふるわせる、愚かな行為をしている妻が悪い」そして、妻の思考も、長年暴力にさらされていると、こうなる。「夫に暴力をふるわれる原因をつくった私が悪いのだから、殴られて当然」

 こういう思考回路に夫婦が陥ってしまったら、もう妻が殴り殺されるまで暴力は続くだろう。
 とにかく、一刻も早く逃げる事! 小説内ではそうした。それが妻だけでなく、夫をも救う道なんだろう。
 すごーく重い小説でした。
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森博嗣「幻惑の死と使途」

2014-12-04 10:40:48 | Weblog
 ページをめくって、あれっと思うのは、奇数の章しかないこと(第1章、第3章、第5章…) これは、どうも次の作品『夏のレプリカ』が偶数章(第2章、第4章、第6章…)で構成されていて、時系列で言えば、ほぼ同時期らしい。
 そして、もっと意外に感じるのは、登場人物の紹介ページが無い事!! これは、手抜きとか忘れてたとかではなく、意図的にされたという事が、最後まで読むとよく分かる。これが一番の伏線じゃないかな? 皆さん、なぜ登場人物の紹介がないのか、その理由を考えながら読むと、犯人にたどり着けるかも。


 いかなる状況からも奇跡の脱出を果たす、天才奇術師・有里匠幻が、ショーの最中に殺された。しかも遺体は霊柩車から消失。これは、匠幻最後のミラクルエスケープか?


 とにかく派手!!! 森博嗣は奇術が好きで、いろいろ勉強しているんだろうね。本書中、萌絵に、この奇術はこういったトリックで、あの奇術はああいったトリックで、とまるでマジシャンを失業させることに情熱を燃やしているように、ネタばらしをさせている。
 きっと、理系頭の人は、奇術の不思議な所を不思議なまま、見ていられないんだろう。こういう観客ばっかりだと、マジシャンも苦労するだろうなぁ。

 解説は、プリンセス・テンコー。そうでしょ。この作品の解説は、彼女しかいないでしょう。


 このS&Mシリーズの、もう一つの魅力というか気掛かり、犀川先生と萌絵の仲だが、全然進展しないのでイライラする。
 『封印再度』では、かなりいいところまでいったのに。
 金魚すくいを言葉では知っていても、見た事がないという萌絵を、犀川先生は、自分の実家近くの盆踊り会場に連れて行く。萌絵ちゃん、浴衣を着て気合入ってる!!
 実家近くの盆踊りだよ?! その後、実家に寄ればいいのに。ったく! 犀川先生、何考えてるのか。

 でもまあ、犀川先生の部屋で、犀川先生が作った料理(萌絵ちゃん、料理できない)を二人で一緒に食べるんだから、かなり前進したか…。
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