ケイの読書日記

個人が書く書評

太宰治 「女生徒」

2020-09-25 14:40:31 | その他
 私が中学生になったばかりの頃、読んだ小説。ということは、かれこれ50年前に読んだのか…。でも、初めて読んだときの瑞々しい感動を覚えている。例えばこんな箇所。「パチッと目がさめるなんて あれは嘘だ。濁って濁って そのうちにだんだん澱粉が下にしずみ、少しずつ上澄みができて やっと疲れて目がさめる。朝は、なんだかしらじらしい。」

 この作品は、昭和14年(1939)太宰治29歳の時に発表された。彼の作品は「斜陽」「人間失格」が超メジャーで有名だけど、こういった初期の短編も清々しくてよい作品だと思う。

 昭和初期、御茶ノ水の女学校に通う文学少女が主人公。生活に苦労はないが、数年前にお父さんが病死し、大きなお屋敷からこじんまりした家にお引っ越し。お姉さんはすでに嫁いでいて、少女はお母さんと二人暮らし。お母さんは明るく社交的な人なので、家にはよく来客がある。夕食時には、お母さんの手を借りなくてもお客様にささっと夕食をふるまう。偉い、偉い。さすが戦前の女生徒。
 でも心の中では、嫌いなお客にも愛想を言う自分がイヤでイヤでたまらない。なにせ、永井荷風の「墨東奇譚」やケッセルの「昼顔」を読んでるんだから、「良い娘さん」だけじゃないんだ。
 彼女は常にイライラしている。こんなことも考えている。「その大人になりきるまでの、この長いいやな期間を、どうして暮らしていったらいいのだろう。誰も教えてくれないのだ。」
 ああ、50年後も、100年後も、どの時代の少女も、同じようなことを感じているだろうね。特に生活に不安がない女の子は。つまり働く必要のない女の子は。

 ただ、時代がこの文学少女の憂鬱を吹き飛ばすだろう。小説の中にも「いまの戦争が終わったら、こんな夢を持ったような古風なアンブレラが流行するだろう」という箇所がある。「いまの戦争」とは日華事変の事だろうが、この戦争は終わるどころか第二次世界大戦に発展し、昭和20年8月に原爆が落とされるまで続いたのだ。
 少女も勉強どころではなくなり、どこかの軍需工場に動員されただろうか? 空襲が激しくなったら、お姉さんの嫁ぎ先の北海道へ疎開しただろうか?

 だぶん大正末の生まれだろうこの文学少女の未来は、残念ながら暗い。その後の激動の時代を彼女は生き抜くことができただろうか? 架空の人物だけど、肩入れしてしまいます。
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山田孝明 「親の『死体』と生きる若者たち」 青林堂

2020-09-18 15:59:16 | その他
 著者の山田孝明氏は「40代50代ひきこもり家庭支援組織」の代表をやっている人らしい。

 そういえば、ちょっと前まではNHKなどで「7040問題」「8050問題」として、特集が組まれていたような気がするが、最近はコロナの影響か、そういう番組を見なくなった。50代ひきこもりと80代の親が社会的に孤立し、困窮する問題が無くなった訳じゃないのに。
 親の年金で生活していた子ども世代が、親が亡くなったら年金がストップし生活できなくなるので、葬式を出さず親の遺体をそのまま放置し、年金をもらい続けていた、なんて記事が新聞の社会面にちらほら出ている。私もたびたびそういう記事を読む。

 著者に言わせると、年金がもらいたくて、親の遺体を放置しておくのではなく、どうすれば良いのか分からなくて、放置してしまうとのこと。そういうものなんだろうか?

 腐敗臭もすごいだろうし、蛆がわいてハエがたかる。ハエが窓ガラスにびっちり貼りついて、たくさんのゴキブリが床をぞろぞろ。うげぇ!!!! 想像するだに恐ろしい。
 そんな場所で生活するより、警察に電話したり、交番に行ったり、救急車を呼んだりして、遺体を片付け、あらたに福祉のお世話になろうとは思わないんだろうか? 思考がストップしている。というか思考が切断されている。
 でも、コンビニに行って食料品を買ってくるという、社会的な行動をとる事は出来るんだからなぁ…。

 いろんな事例が紹介されているが、精神科医の父親70歳代半ば+大学を中退して自宅に引きこもる親子 が印象的だった。
 そうだよ。親が精神科医でも心理学者でも教育学の権威でも、子どもが引きこもりになる時はなるんだよ。かえって親に社会的地位があったりすると、子どもの事を隠すから、余計に引きこもりになるかもしれない。
 どうすれば良いんだろうね。私自身、もともと引きこもり気質の人間だから、こういう本を読むと真剣に悩みます。
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宮沢賢治 「雪渡り」

2020-09-11 13:54:15 | その他
 これも有名な童話。私は絵本で読んだ覚えがある。
 雪国の幼い兄妹・四郎とかん子が、雪がすっかり凍って大理石よりも固くなったお昼間、雪原の野原を歌いながら歩いていると、狐の紺三郎に会う。紺三郎は、幻灯会のチケットを四郎とかん子に渡し、この次の雪の凍った月夜の晩に上映するから、ぜひ来るようにと勧める。そして…。

 雪国の情景描写の素晴らしい事!!!
「青白い大きな十五夜のお月さまが しずかに氷の上山からのぼりました」 「雪はチカチカ青白く光り、そしてきょうも寒水石のように固く凍りました」 「お月さまは空に高くのぼり森は青白いけむりに包まれています」 「林の中には 月の光が青い棒を何本も斜めに投げ込んだようさしておりました」 fantastic!

 ああ、なんて幻想的! なんてウットリしてるけど、いくら吹雪では無いといって、寒い夜に子どもたちだけで森の狐がやってる幻灯会に行くって童話、良いんだろうか? しかし、昔のTVがある訳ではない東北の長い雪の夜、幻灯会って大きな楽しみなんだろうね。
 それが証拠に、四郎とかん子のお兄ちゃんたちも行きたがっていたが、12歳以上は入場お断りとチケットに書いてあるので行けなかったんだ。
 でも、お兄ちゃんは、お土産として狐に渡すようにと鏡餅を2人に持たせた。偉いなあ。すごく友好的。

 この童話を絵本で読んだ子どもの頃、白い雪の上に、サクサク自分の足跡を付けて、大人がいない子どもたちだけで幻灯会に行けたら、なんて素晴らしいんだろう夢想していたが、大人になった今なら分かる! 危険と隣り合わせ!! 昔、雪国では、大人になれず小さい頃事故死した子どもが沢山いただろうね。
 現代だったら、寒い雪の日に、小さい子たちだけで外出させたら、親が虐待で捕まっちゃうよ。それに現代だったら、いくら雪国生まれ雪国育ちでも、室内ゲームやってる方が面白いだろう。こういう雪の夜を美しいと感じる感性を持てる理由は、何も娯楽の無い寒く長い雪の夜を、過ごすしかなかったからかもしれないね。
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宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」

2020-09-04 14:34:43 | その他
 こんな有名な童話なのに、私は初めて読んだ。あまりにも有名なので、だいたいのストーリーは分かってるから、読んだような気になってたけど、こんな切ないお話なんだ。

 ジョバンニは(イタリア風の名前だが、イタリアが舞台という訳ではない。どこか架空の町。西洋と東洋がごちゃ混ぜになっている。宮沢賢治はそういう作品が多いと思う)子どもだが、父親が漁に出て帰って来ず生死が分からないので、家計を助けるために、活版所で働いている。だから友達と遊べなくなってしまったし、意地悪なクラスメート・ザネリはジョバンニに嫌がらせをしてくる。
 幼馴染のカムパネルラは、それを見ると悲しそうな顔をして決して同調しないけど、たしなめることもしない。
 でもジョバンニは、そんなカムパネルラが心の支えになっている。
 現代の教育現場では、カムパネルラみたいにイジメに同調しなくても、積極的に注意しない子は、イジメの同調者と言われるみたいだが、注意なんてなかなかできないよ。そのザネリとも付き合いがあるんだもの。

 このジョバンニが、本当に道徳の教科書に載るくらい健気な子なんだ。父親が不在、母親は病気、お姉ちゃんはお母さんの代わりに料理を作ったり家事全般をやっている。ジョバンニはお給料をもらうと、パンと角砂糖を買う。病気のお母さんに飲ませる牛乳に角砂糖を入れて甘くする。ほんの少しの贅沢。

 星祭りの日、ジョバンニは学校が終わってから働きに行ったが、他のクラスメートは川へ灯火を流しに行った。そこで水難事故が起こり、カムパネルラはザネリを助けようとして自分が溺れてしまう。
 その話を後から聞いたジョバンニは、どうにも悲しくて、おっかさんの待っている家には帰らず丘の頂に来てしまう。そこでジョバンニは死んだはずのカンパネルラと小さな列車に乗っていたのだ。いつの間にか。そして…。

 宮沢賢治の宗教観や生死感が色濃く反映されている話だと思うが、私はそれよりも、この幼馴染の2人の間柄というか関係性に強く心を惹かれる。後から列車に込んできた女の子とカンパネルラが仲良く話していると、ジョバンニは拗ねちゃうのだ。かわいいね。
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