ケイの読書日記

個人が書く書評

益田ミリ 「大阪人の胸のうち」

2016-05-23 14:12:55 | 益田ミリ
 めまいが未だに治まらない。ずーっと横になっていると、背中や腰が痛くなるしツマラナイので、簡単に読めそうなこれをチョイス。

 益田ミリさんは、1969年大阪生まれ大阪育ち。短大の2年間は京都だったが、勤め先も大阪。この大阪生まれ大阪育ちだけど、大学は京都っていう人、多いと思う。大阪から通えるし、それに京都という文化都市に憧れみたいなものがあるんじゃないかな?
 26歳の時、広い世の中で自分の力を試してみたいと上京した。このマンガ付きエッセイ集は、2007年に出版されたから、このとき38歳。その彼女が、東京で暮らす大阪人の目から見た、故郷を書いてみた1冊。

 私の好きな津村記久子も、生粋の大阪人なので(彼女は、大阪生まれ・大阪育ち、大学だけは京都だけど、現在も大阪在住で執筆している)小説の中に、生粋の大阪弁が出てくる。大阪弁はメジャーなので意味は分かるけど、私の住んでいる地域では使われていない言葉がいっぱい。例えば「超」を表す言葉「めっさ」。この言葉、先日読んだ『エヴリシング・フロウズ』の中で中学生たちが頻繁に使っていた。 
 この「めっさ」を益田ミリも解説している。

 それから あだ名。「ますだ」って苗字は「まっすん」と呼ぶことが多いらしい。益田ミリさんも子供時代、呼ばれていたとか。
 これも、『エヴリシング・フロウズ』の中に登場する、超・絵が上手い女の子・増田さんを「まっすん」と呼んでいたことを思い出す。
 私の好きな作家さん二人の共通項がいっぱい出てきて、面白いです。


 大阪のオバちゃんたちの3大アイドルといったら、明石家さんま、西川きよし一家、桂三枝らしい。特に西川きよしは一家で有名人で、大晦日やお正月、西川きよし一家の団欒風景をTVで見るのが、大阪人の楽しみとか。
 また三枝は(最近は愛人騒動で、えらく評判を落としたが)寄席や舞台でも、別格な人気で、独特の雰囲気があるそうです。登場するだけで、観客が笑いっぱなし。

 そういえば私、中学の時、ペンフレンドが大阪にいて、吉本新喜劇を見に連れて行ってもらったような…。馴染みのない芸人さんばかりなので、そんなおもろなかったような…(失礼!)


*** 動かないもの、例えば、机の上の新聞やら本を読むのはOKだけど、動くもの、スクロールしているパソコンの画面など、読むのが辛い。文字入力も、私はタイピングが下手なので、目玉があちこち動くのだろう、疲れます。 ああ、はやく、このめまいが治ってほしいよお。
 誤字脱字が多いと思います。ゴメンしてね!
コメント (2)
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津村記久子「カソウスキの行方」 

2016-05-17 14:33:52 | 津村記久子
 「カソウスキ」って何だろう? 植物の名前かしら? などと不審に思いながら読みだす。津村記久子の小説って、そういう事がよくある。『アレグリアと仕事はできない』という彼女の小説があるが、アレグリアとはコピー機の型式の名前で、女の子の名前ではない)
 「カソウスキ」というのは、どうも仮想で好きになった相手、あるいはその状態をいうらしい。


 イリエは20代後半のOL。事務機器卸の会社で営業事務をしていて、女子社員の中心となって、せっせと働いていた。
 ある時、後輩と上司のもめ事に首をつっこんだせいで、僻地の倉庫勤務となる。つまり飛ばされた。すっかりヤル気をなくす。会社に行きたくなくて会社を辞めたくて仕方がないが、生活のため仕事を辞めるわけにはいかない。 
 なんとかモチベーションを上げようと、倉庫の商品管理をしている森川に自分は恋していると思い込もうとする。あまりうまくいかないが…。
 はたして、その恋の行方は?

 津村記久子の小説を気に入って読んでいるが、時々、この人、うら若き乙女なのに、恋愛にこんな淡白でどうするんだよ!!! と思う時がある。
 女流作家って肉食系の人が多く、自分の恋愛体験を赤裸々に書いてあって、読んでるだけでお腹一杯になったりする事がある。
 非恋愛体質で、恋愛に対して低体温の津村さんだが、この「カソウスキの行方」を読んで、少しはそういった気持ちの揺れの経験があるんだな、と安心した。


 同時収録されている「Everyday I Write A Book」と「花婿のハムラビ法典」も少し恋愛テイストが入っている。彼女にしては珍しい。特に「Everyday~」は、主人公の野枝が、ほのかにあこがれていたデザイナーが他のミュージシャン兼絵本作家の女の子と結婚してしまい、理不尽にもその女の子に嫉妬する所が書かれている。
 別に野枝は、そのデザイナーと付き合っていた訳じゃない。友人の結婚式の二次会で一度見かけただけなのだ。
 しかしブログを開けば、彼と彼女の幸せそうな様子がUPされている。こういう所がブログって困る。「風の便りに小耳にはさんだ」が出来ない。ストレートに幸せな近況が分かっちゃうからつらいのだ。別に見なければいいけど、止めようと気にすればするほど見てしまう。とっても迷惑。そう思っている人、多いのでは?


***最近、体調が悪く、ブログの更新の間隔が開くかもしれません。でも、続けますので、今後もよろしくお願いします。
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津村記久子「この世に たやすい仕事は ない」

2016-05-10 10:59:31 | 津村記久子
 なんとも背筋がピンと伸びるようなタイトルですね。

 主人公は大学卒業後14年間、同じ職場で医療ソーシャルワーカーとして働いてきたが、あまりにも激務で、燃え尽き症候群のようになって辞めてしまう。いつまでも家でブラブラしている訳にもいかず、職安に行き仕事を探す。
 1年で5つの異なる仕事を遍歴することになるが、どの仕事もそれなりの難しさがあり、ちょっと不思議な未知な部分もある。

一つ目 ターゲットの部屋に隠しカメラを取り付け、モニター画面を見て不審な動きがないか見張る。うっそーーー! それって違法じゃあ? そうだ、これは「お仕事ファンタジー小説」だった。時給は良いが、目がパシパシして、長くは続けられないね。
 
二つ目 利用客が少ないバス路線で、停留所近くのお店の宣伝アナウンスをいれ、広告費で収益をUPさせようとする仕事。そのCMアナウンスの文章を作ったり、音声を収録する。

三つめ 二つ目の仕事ぶりを認められ、おかき会社にリクルートされる。おかきの裏袋に「ちょっと良い話」みたいな情報が印刷されていたりするが、その文章を企画して書く。この仕事は主人公にあっていたらしく成功するが、苦手な人が同僚になりそうだったので、あわてて退職する。

四つ目 お店や民家に貼ってあるポスターの貼り替え。ほら、よくある「水は大切に」「町の緑化にご協力を」とかのポスター。最初は、全くの単純労働で楽勝かと思われたが、ヘンテコな宗教がかったボランティア団体のポスターと鉢合わせすることが多くなり、険悪な雰囲気に。でも、主人公の活躍で、見事解決!!(その地域では)

五つ目 広大な自然公園内にある小さな小屋で、公園管理のお手伝い。個人的には、この仕事が一番気に入った。時給は安いが、すごくアバウトな雰囲気で、管理棟には上司が数人いるが、小屋には基本一人。小さなキッチンもついて、昼にはそこで自炊できる。森の中には、柿、いちじく、パンノキ しいたけ、栗 などが自生し、常識の範囲内なら、取って食べてもOK。この自然公園は、日本の食糧自給率を上げようとしているらしい。
 食糧が豊富なので、どうもホームレスの人が住み着いちゃったらしく…。そうだよねぇ。私も一人用テントを持って住み着きたいです。
 

 この自然の中の仕事で、エネルギーをチャージした主人公は、また元の医療ソーシャルワーカーの仕事に戻っていこうとする、そこでこの「お仕事ファンタジー小説」は終わっている。

 後ろの奥付を見ると、2015年10月15日、第1刷。 私が借りた本は2015年12月22日第4刷。 よし!! 売れてるね! やっぱり良い本は売れる。(私は図書館で借りたけど、ごめん)
 津村記久子さん、これからも良い作品をお願いします。

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コーネル・ウールリッチ 宇野利泰訳「聖アンセルム923号室」 

2016-05-04 09:13:16 | Weblog
 以前、読んだ有栖川有栖の「鍵のかかった男」の中に、この小説が紹介されていた。どうしても読みたくなって図書館で予約する。
 原題は『HOTEL ROOM』というらしい。

 ニューヨークの聖アンセルムホテル923号室を舞台に、ホテルを開業した1896年から廃業した1957年まで、7つの短編をつらねて、このホテルの一生を書いている。
 色々なお客様が、この923号室に泊まっていった。
 開業した初日には、初々しい新婚夫婦、アメリカが第1次大戦に参戦した1917年4月6日夜には、愛国心に燃え軍隊に入隊したばかりの若い男とその恋人。彼らは戦争が終結した1918年に、同じ部屋で再会したが、その時にはすっかり熱は冷め、それぞれ別の相手と付き合っていた。
 1924年、禁酒法真っ只中には、権力を失いかけたギャングのボスが、数名の手下と女たちを連れ923号室に身をひそめるが、手下や女たちは彼を見限り、次々と姿を消す。そして殺し屋が現れ、彼の最期の時は近づく…。
 1929年の大恐慌の時は、株式で大損した男が、923号室の窓から飛び降りようと身を乗り出し…。
 真珠湾攻撃で、日米開戦する前日、923号室に泊まった訳アリの二人組もいた。
 そして、さらに時代は流れ、聖アンセルムホテルも老いを深めていく。

 筆者は同性愛者だったようなので、マイナーな立場の人々の事が気にかかったようだ。
 例えば、1917年にアメリカがドイツ側に宣戦布告した後、ホテル内でのドイツ系宿泊客に対する嫌がらせはひどい。宿泊名簿からドイツ系の名前を探して、追い出しにかかる。ドイツから来た観光客じゃないんだよ。先祖がドイツ人というだけのアメリカ生まれのドイツ系アメリカ人を標的にした。
 また、1941年12月には、日系と思われる青年が出てくる。この人も親が日本から移民してきたというだけで、アメリカ生まれの日系アメリカ人。彼らのこの先の苦難を思うと、胸がつぶれるような気がします。


 筆者のコーネル・ウールリッチ(ウイリアム・アイリッシュという名の方が有名だろう)も、実際18歳くらいの時から、母親と一緒に、母親の死後は一人でホテル暮らしをしていたようだ。

 たまに泊まる分には浮き浮きするホテルだが、そこで暮らすとなると、どうだろう? 荷物なんかどうするの? 当時にもトランクルームってあったんだろうか? それとも彼は、モノを所有するのが嫌いな人だったんだろうか?
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