ケイの読書日記

個人が書く書評

川端康成 「十六歳の日記」

2021-01-29 14:07:34 | 川端康成
 この作品は、小説家・川端康成が商業誌に載せるために書いたものではない。彼が16歳の時書いた、旧制中学時代の日記が10年ほど後に見つかり、そこに少々説明を付け加え発表したもの。
 この人って、本当に肉親の縁が薄いというか、幼い頃に父母姉、そして祖母が亡くなり祖父に育てられたんだ。その祖父とも16歳で死別(満年齢で言えば15歳)。孤児になった。「伊豆の踊り子」の中にも「20才の私は、自分の性質が孤児根性でゆがんでいると厳しい反省をかさね、その息苦しい憂鬱にたえきれないで、伊豆の旅にでてきているのだった」という箇所があり、私はそれを創作だと思って読み飛ばしていたのだが、本当の事だったんだ。
 孤児と言っても、当てになる親戚はいたので、その人に引き取られる。もともと秀才だし、それなりの財産があった家なんだろう。一高→東大と進み、専業作家となる。

 この16歳の日記には、ただ一人の身寄りである爺さんが病に伏し、死んでいく直前の半月ほどの事が書かれている。ユーモラスな所もあるが、気が滅入る。暗い。ヤングケアラーという言葉を思い出した。
 田舎の旧家なので、立派な広い屋敷。あれこれ商売に手を出しては失敗し、そのつど田畑を売る困った爺さんと、彼の孫息子。
 どうしようもない年寄りだが、地元では名士なので近所の人が手伝いに来てくれる。でも、夜中は川端少年が世話をする。「布団、着せて」「しし(おしっこ)させてくれ」「寝返りさせてくれ」などなど、あれこれ要求する。
 ご飯を今たべたのに、まだ食べさせてもらってないって言い張ったり、おしっこさせる時に痛い痛いと騒ぐ。ああ、介護保険の無い時代は、こうやって身内が年寄りの面倒を見たんだ。よくやってるよ。川端少年。えらいよ。
 私だったら「このジジイ、早く死んでくれないかな」と思うだろうが、川端少年は残っているたった一人の身内の爺を、時には無視することもあるが、親身になって世話をする。祖父の死を怖れている。優しい。
 「学校は私の楽園である」とも書いている。学校に行くのが心の支えだ。そうだろうね。こんな家庭環境だったら、学校が息抜きの場になるだろう。

 手伝いに来ている近所のおばさんは、「ぼん(川端少年の事)が出世しなはったら、よろしょまっしゃないか」と言うと爺は「出世いうたかて、たかが知れてるが」と見下すようなことをいう。
 爺さん、あんたの孫息子は、日本の美を追求してノーベル文学賞を受賞したのだよ。見る目がないのにもほどがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川端康成 「伊豆の踊り子」

2021-01-22 13:54:26 | 川端康成
 ノーベル文学賞作家・川端康成の代表作「伊豆の踊り子」を、私、初めて読みました。ごめんね、皆さま。あきれないでください。「銀河鉄道の夜」のところでも書いたけど、有名すぎて、しかも映像化されている小説って、もうすでに読んでしまったような気がして、手に取る事は少ない。特にこの「伊豆の踊り子」は、昔から何度もアイドル映画としてリメイクされていたから、なおさらなのだ。(私の世代では、山口百恵の伊豆の踊り子が一番印象に残っている)
 でも、今回読んで、この作品がどうして、美少女アイドル登竜門みたいな扱いになっているのか、理解できた。だって本当に初々しいんだもの。伊豆の踊り子が。

 踊り子がいる旅芸人一座は、40代の女一人、若い女3人(踊り子を含む)、20代の若い男一人のすごくささやかな一座。この芸で食べていくという悲壮感はなく、他に収入があるんだろう、のんびり旅をしながら芸を披露して小銭を稼いでいる。
 だから彼らが泊るところは、当然安い木賃宿。でも明るい。若い男はどうも良家の出身らしいが、訳ありで旅芸人をしている。踊り子は彼の妹らしい。そういった興味深い事情は詳しく書かれておらず、学生と旅芸人一座のほんの数日の道中、学生と踊り子の間の淡い恋心が瑞々しい。

 踊り子は黒髪がたっぷり豊かなので、学生には16,7に見えていたが、まだまだほんのお子様。旅館のお湯につかっていた学生を見つけた踊り子は、自分が入浴している共同湯を飛び出して、素裸のまま「学生さん、学生さん」と手を振る。現代なら児童ポルノと言われかねない描写だが、学生さんはその女の子の若桐のようなすらりとした裸ん坊をながめて、心に清水を感じ、ことこと笑う。うん!学生さん、健全です。欲情しないでよかった!!

 幼い踊り子(小学校高学年?中学?)が一高(今の東大教養部)の学生さんを見つめる目は、さぞキラキラしているだろうね。旅芸人と言えば、大正時代ならなおさら見下されただろう。小説中にこんな箇所がある。一行が下田に行く途中、ところどころの村の入り口に立ち札があった。「物乞い、旅芸人、村に入るべからず」 ひどいね。しかし定住し農業を営むのが良しとされた時代、こんなものかとも思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルベール・カミュ  宮崎嶺雄訳 「ペスト」 新潮文庫

2021-01-15 10:29:18 | 翻訳もの
 この世界的名作を読み終えて、もっと哲学的な感想を持つのかと思いきや、自分の受けた印象がすごく現実的だったので、自分でも驚いた。

 194*年、アルジェリアのオラン市でペストが発生した…という設定。私、この本を読むまで、ペストってペスト菌保菌ネズミが人間に噛みついたり引っかいたりして人間にペストをうつすと思ってたんだけど、そうじゃなくてネズミに寄生しているノミがペスト菌を保菌していて、まず最初の犠牲者はネズミなんだ。
 大量のネズミが、ノミからペスト菌をうつされ、血を吐きながら、ぴくぴく痙攣しながら、断末魔のキイキイ鳴き声を喚きながら、死んでいく。道路でも、公共の建物でも、家の中でも、ネズミの死骸がゴロゴロ転がっていて、元気なネズミの姿が見えなくなってから、ノミにかまれた人間が原因不明の熱病にかかり死んでいく。
 医者たちは、ひょっとしたら…と疑いを持ちながらも、「いや、そんなはずはない。ペストは数十年前から気候の温暖な地域では姿を消しているはずだ。ペストのはずはない」となかなか認めようとしない。
 そうだよね。ペストだったら大パニックになるし、町を封鎖しなくてはならない。

 どんな病気で死ぬのも嫌だが、ペストって本当に苦しそう。高熱にうなされ、リンパ腺がはれ、そこが裂けて膿が流れ出し、悪臭の中で患者は死ぬ。身体全体に黒い斑点が現れ、全身黒ずんで。ああ、恐ろしい。

 オラン市は封鎖された。中の人たちは様々な行動をとる。医者たちは闘うし、その医者を助けようとボランティアに志願する人、淡々と嵐が過ぎ去るのを待つ人、封鎖を機に密輸めいた事をやって儲ける人、なんとか外に出ようと門の守衛たちにお金を渡す人。もちろんペストで相当数の死者が出る。

 私は、画期的なワクチンができて、人間がペストに勝利するというストーリーだろうと思っていた。だが違った。ペストは突然、その力を弱め消滅したんである。4月半ばごろから流行し、猛威をふるいピークに達し、1月になると減退し消滅したように見え、2月に封鎖は解除された。こんなことってある?

 でも考えてみるに、医学的な治療が無かった昔、ペストや天然痘は、その猛威が治まって通り過ぎていくのを待つしかなかった。台風みたいに。これって一種の集団免疫ができたって事かなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉八雲 「はえのはなし」

2021-01-05 15:33:50 | 小泉八雲
 皆さま、あけましておめでとうございます。新年のご挨拶が遅れて、申し訳ありません。実は、去年からスマホゲームに夢中になってしまって、なかなか本が読めず、大昔読んだ短編などを再読して、なんとかブログを更新しています。それにコロナの関係で、図書館を利用しづらいんだよね。
 ゲームの引力ってスゴイ!! ステイホームが苦痛という人も多いけど、スマホゲームさえあれば、私はステイホームなんてへっちゃら! むしろ大歓迎! でも、読書は昔の私を支えてくれた。末永く付き合っていきたいです。

  

 小泉八雲「はえのはなし」  江戸中期、京都のとある商家に、たまという名前の女中がいた。たまは早くに両親に死に別れ奉公に出たが、たいそう働き者だった。せっせと働いて、銀百匁を貯め、そのうちの七十匁をつかって亡き両親の法事を営み、残りの三十匁を店のおかみさんに預けて、再び働きだした。
 そんなたまだったが、流行り病にかかり、あっけなく死んでしまう。主人夫婦はたいそう悲しんだが、どうしようもない。
 たまの死後、10日ほどたって主人夫婦の家に、一匹のおおきなハエが舞い込んでくる。主人は信心深かったので、ハエを殺さず捕まえて、遠くに持っていって放してやったが、また戻ってくる。そんなことが3度ほどあり、夫婦は、このハエがたまではないかと思う。
 そういえば、まだ三十匁のお金を預かっている。そのお金をつかって自分の供養をして欲しいのではないかと気付き、お寺に頼んでお経を詠み施餓鬼をした。そして、そのハエの死骸は箱に収められ、寺の境内に埋められた…という話。

 この主人夫婦は善人という設定だが、そうだろうか? たまのお金を三十匁も預かっていながら、たまの供養をしていなかったというのは、どういう事? この話は一種の仏教説話だろうが、たまは親孝行の働き者で何も悪いことしてないのに、餓鬼道におちるの? 餓鬼道というのは、仏教でいう地獄の一つで、そこの亡者はいつも餓えに苦しんでいるという。しかもハエに生まれ変わるというのは…ちょっと酷くない? 小鳥とか猫とか、人間に可愛がられるモノに生まれ変わればいいじゃない。

 どうも、正月早々、納得いかない話を読んでしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする