内館さんは、脚本家だけでなく公的な仕事、例えば横綱審議委員会の委員や、東日本大震災復興構想会議委員などもやっていて、幅広く活動しているので、なるほどと思う事も多い。
例えば「紹介者を飛ばす」の章では、誰かに店なり人なりを紹介してもらった時の話。後に再びその店を使ったり、その人と会ったりする場合、紹介してくれた人に一報を入れておくのは作法だろうという。もちろん毎回ではない。紹介者抜きでその店を使う初回、初めてその人に会う時だけ。
なるほどねぇ。確かに「この間、紹介していただいたお店、すごく素敵で友達も喜んでいたよ。ありがとね。来週、親せきを連れていきたいんだけど」と、一本電話を入れておくだけで、うんと人間関係は円滑になる。私も見習おうと、そう思う。
でも、もう一方でこうも思うんだ。内館さんたちが使う、こういう高級店を私は一生使うことはないだろう。そしてこういう気の張る人間関係からもリタイヤしてるから。だから自分に置き換えて考えるのは烏滸がましいんじゃないか?
内館さんは良家の子女なのだ。彼女の小説やエッセイを一時期せっせと読んでいたからわかる。1948年生まれだから私より10歳年上。武蔵野美術大学卒。昭和23年生まれの女の人が四年制美大に入学するって、彼女の実家がいかに裕福か分かる。卒業したら三菱重工へ入社。当時、大企業のほとんどが四大卒の女の人を採用してなかったと思う。縁故採用。おじさんが三菱重工の重役だったから。
ただ当時の大企業は、四大卒の女性でも仕事はお茶くみとコピー取りだった。だから内館さんは脚本家を目指したんだろう。そうだよね。当時、男と同程度の仕事をしようと思うと公務員か教員になるしかなかった。でも、考えようによっては良い時代だったともいえる。お茶くみとコピー取りで、正社員としてちゃんとしたお給料が貰えるなんてすごいじゃん!!!
内館さんの会社員時代のエピソードで、すごく印象に残ってるのがある。1970年ごろの話だという。内館さんが出勤すると、毎朝廊下にみそ汁の匂いが流れていた。女子社員の一人が早めに出社し、給湯室でみそ汁を作っていたのだ。それを容器に詰めて、目当てのエリート彼のもとに届ける。独身寮住まいの彼はほだされ、二人はめでたく結婚。女の子は満面の笑みで寿退社していった。
このエピソードは、内館さんのエッセイにたびたび登場するから、彼女にも感じるものがあったんだろう。
いやぁ、こういう時代だったのだ。ものすごくわかりやすい昭和の価値観。
例えば「紹介者を飛ばす」の章では、誰かに店なり人なりを紹介してもらった時の話。後に再びその店を使ったり、その人と会ったりする場合、紹介してくれた人に一報を入れておくのは作法だろうという。もちろん毎回ではない。紹介者抜きでその店を使う初回、初めてその人に会う時だけ。
なるほどねぇ。確かに「この間、紹介していただいたお店、すごく素敵で友達も喜んでいたよ。ありがとね。来週、親せきを連れていきたいんだけど」と、一本電話を入れておくだけで、うんと人間関係は円滑になる。私も見習おうと、そう思う。
でも、もう一方でこうも思うんだ。内館さんたちが使う、こういう高級店を私は一生使うことはないだろう。そしてこういう気の張る人間関係からもリタイヤしてるから。だから自分に置き換えて考えるのは烏滸がましいんじゃないか?
内館さんは良家の子女なのだ。彼女の小説やエッセイを一時期せっせと読んでいたからわかる。1948年生まれだから私より10歳年上。武蔵野美術大学卒。昭和23年生まれの女の人が四年制美大に入学するって、彼女の実家がいかに裕福か分かる。卒業したら三菱重工へ入社。当時、大企業のほとんどが四大卒の女の人を採用してなかったと思う。縁故採用。おじさんが三菱重工の重役だったから。
ただ当時の大企業は、四大卒の女性でも仕事はお茶くみとコピー取りだった。だから内館さんは脚本家を目指したんだろう。そうだよね。当時、男と同程度の仕事をしようと思うと公務員か教員になるしかなかった。でも、考えようによっては良い時代だったともいえる。お茶くみとコピー取りで、正社員としてちゃんとしたお給料が貰えるなんてすごいじゃん!!!
内館さんの会社員時代のエピソードで、すごく印象に残ってるのがある。1970年ごろの話だという。内館さんが出勤すると、毎朝廊下にみそ汁の匂いが流れていた。女子社員の一人が早めに出社し、給湯室でみそ汁を作っていたのだ。それを容器に詰めて、目当てのエリート彼のもとに届ける。独身寮住まいの彼はほだされ、二人はめでたく結婚。女の子は満面の笑みで寿退社していった。
このエピソードは、内館さんのエッセイにたびたび登場するから、彼女にも感じるものがあったんだろう。
いやぁ、こういう時代だったのだ。ものすごくわかりやすい昭和の価値観。