ケイの読書日記

個人が書く書評

今村夏子 「星の子」

2018-01-23 11:24:07 | 今村夏子
 カルト宗教…というのは言いすぎか、ある新興宗教の信者家族の話。次女のちひろの目線で書かれている。
 ちひろが赤ちゃんだった時、湿疹がひどくて、困り果てていた両親が、会社の同僚にその話をすると、宗教の水をくれた。宇宙のエネルギーを宿した水だという。その水で身体を洗うと湿疹が治り、飲み始めると風邪一つひかなくなった。
 そこで両親は、こぞって入信。娘2人も連れて、一緒にいろんな宗教行事に出るようになる。
 
 ああ、よくあるね。こういう話。家族に病人がいたりすると、親切そうに寄ってくるんだ。「何かお困りの事があるんじゃないですか?」って。

 そもそも最初に宗教の水をくれた会社の同僚も、我が子が突然しゃべらなくなり、入信したらしい。場面緘黙っていうのかな。両親の前ではしゃべらないけど、他の子に悪さするときは、しゃべっている。知らぬは両親ばかりなり。

 ちひろは、何の違和感もなく宗教になじんでいたが、5歳年上の姉は違った。学校で親の宗教の事で、いろいろイジメられることもあったんだろう。とうとう、高校1年の時中退し、彼と一緒に住むといって家出する。それから一切音沙汰なし。
 この『星の子』の話は、ちひろが中3の時で終わってるから、お姉さんは4年間、行方不明なんだ。もちろん、両親は警察に捜索願を出し、教会の人も心配しあちこち探してくれたし、ますます熱心にお祈りしたが…そもそも、そのお祈りや教会がイヤで、お姉さんは家出したんだ。


 両親が同じ新興宗教の信者だと、子どもは逃げ場がないよね。もともと、ちひろのお姉さんは宗教の水を疑わしく思っていて、親せきのおじさんに頼んで水道水に入れ替え「ほら、何も変わらないでしょ? 目を覚まして!」と言うつもりだった。でも、逆効果だったみたい。両親の信仰はますます深まる。
 仕事より宗教を優先するからだろう。転職を繰り返し、経済的にも困窮する。4回も引っ越し、そのたびに家は狭くなる。
 ちひろが小学校の時も中学校の時も、金銭的な理由で修学旅行に行けそうもなかったので、親せきのおじさんが、お金を払ってくれた。

 そういう時に、親の責任を痛感してもらいたいが…。両親は仲良く緑色のジャージを着て、宗教の水をひたしたタオルを頭に載せ、公園のベンチに座っている。かっぱみたいに。こうすると悪い気が寄って来ないそうだ。
 ああ、この人たちが私の両親だったら、絞め殺しているかもしれない。家の中でやりなよ。外でやるな!!!世間体も考えろ!!

 作者の今村夏子は、肯定も否定もしない。淡々と書いている。
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今村夏子 「おばあちゃんの家」 「森の兄妹」

2018-01-12 13:29:39 | 今村夏子
 この2編は対になった作品。どちらにも優しいおばあちゃんと、隠居所としてのおばあちゃんの家が出てくる。

 「おばあちゃんの家」では、みのりちゃんという、おばあちゃんの孫娘の目線から物語が語られる。実は、おばあちゃんとみのりちゃんには、血のつながりはない。ここらへんの事情は詳しく書かれていないが、私が勝手に推測するに、おばあちゃんは子宝に恵まれず、男の子(みのりちゃんの父親になる人)を養子にもらったのではないか?
 そのせいか、みのりちゃん以外、あまりおばあちゃんのいる隠居所に行かない。自宅から15歩隣にあるだけなのに。つきあいはいたって淡白。嫁姑の争いもない。

 でも、みのりちゃんはおばあちゃんが大好き。お母さんの言いつけを破って、一人でお祭りに行って迷子になった時、おばあちゃんが迎えに来た。その時、おばあちゃんはこっぴどくお父さんやお母さんに叱られた。そういう事に、みのりは心を痛めている。
 最近は、それ以外にもおばあちゃんに認知症の症状が出てきたので、心配している。

 みのりの作ったおはぎを、一度に4個全部食べてしまったおばあちゃん。年を取ると食がだんだん細くなる。普通ならいくらなんでも年寄りが食べる量じゃない。私もボケかかった実母を見ているから分かる。食べた事を忘れ、また食べる。
 そして、誰かドロボウが入って来て食べたんだ、私じゃない、と主張する。

 そのおばあちゃんと「森の兄妹」に出てくるモリオ・モリコ兄弟が仲良くなる。

 モリオ・モリコ兄妹の家は、どうも母子家庭みたいで、お母さんは身体が弱くて通院しているが、1日中働きっぱなし。それで、小2のモリオが、お米を研いで炊飯器にセットしたり、小さな妹の面倒をみているのだ。 モリオはものすごく感心な子なのだ。
 私、この「森の兄妹」を読んで、どうしてこんなに心が惹かれるのかと自問したが…どうも小学5・6年生の時の同級生・T沢君を思い出したからだと思う。
 T沢君ちは父子家庭で、お母さんが家を出て行って、家事は一切、T沢君がやっているという話だった。まだ小さい弟や妹がいたとおもう。
 ああ、T沢君、もやしみたいに色白のヒョロっとした子だった。今、どうしているかなぁ。幸せになっているよね。きっと。
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今村夏子 「あひる」

2018-01-02 10:56:30 | 今村夏子
 皆さま、あけましておめでとうございます。親の介護の必要が出てきて、ブログの更新が遅れることがありますが、それでも頑張ってやっていきますので、今年もよろしくお願いいたします。


 小説の導入部は優しい雰囲気。おだやかな老夫婦とその娘(この人が語り手「わたし」)の一家のもとにアヒルがもらわれてきて、世話をしていたら、近所の子供たちがアヒルを見学に集まってきた。
 老夫婦は寂しかったのだろう、子供たちを歓待し、家の中に入れてお菓子をあげたり、宿題をさせたりする。

 ここらへんで私の心が少しザワっとする。山間の静かな田舎町。子どもたちがどこで遊んでいるか分からない訳ないのに、彼ら彼女らの親御さんはどうしているの?「いつも子供がお菓子をいただいているそうで、ありがとうございます。これ、貰い物ですけどどうぞ。」くらい言いに来ないのが不思議。

 あの家に行けば何でも好き勝手できる、という評判が子供たちの間に広まったのだろう、最初は小学生がアヒルと遊びに来ていたのに、不良中学生の溜まり場になり、家の中の物を勝手に持ち出して換金したり、お金をくすねたり、やりたい放題。
 そこへ老夫婦の息子(語り手の弟)が帰って来て、不良たちをたたき出す。実は息子は中学ごろ素行が悪く、老夫婦は困っていたが、だんだん落ち着いてきて10年ほど前に家を出て結婚した。
 ここで、語り手「わたし」の年齢と状況が分かってくる。弟が30歳ちょっととすると、その姉だから「わたし」は30歳代半ばだろう。医療関係の資格を取ろうと、家でずっと勉強している。今まで一度も働いた事はないらしい。引きこもっている訳ではないが、家族以外とはほとんど話さない。

 そう、この「わたし」がどういう立ち位置の人が分からなかったから、読んでいて落ち着かなかったのかも。
 一見、穏やかに見えるこの一家が、実はどうしようもなく歪んでいて、昔ヤンチャをやっていた弟の方が、実はまともな人間だったんじゃないか。


 実は、もらったアヒルは1か月くらいで死ぬ。老夫婦はアヒルを動物病院に連れて行ったら治ったと偽り、別のアヒルを買ってくるが、そのアヒルも1か月ほどで死ぬ。理由は分かっている。環境の変化によるストレス。たくさんの子供たちに見つめられ、触られ、追いかけ回され、ストレスが過度にたまって食欲不振になったのに、なんの対策も取らなかったからだ。
 子どもたちに、アヒルを追い掛け回さないようにと言うと、家に子供たちが集まって来なくなるから、アヒルを見殺しにした。
 自分たち老夫婦が、子供たちに囲まれていたいがために。

 小説の最後は、息子夫婦に孫が生まれるからと、二世帯住宅に建て替えている最中で、老夫婦はニッコニコ。でも、この老夫婦は孫をダメにしそうで、怖い。
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