ケイの読書日記

個人が書く書評

小泉八雲 「青柳ものがたり」

2020-12-04 14:00:14 | 小泉八雲
 柳の精と言えば若くて美しい男性とばかり思っていたが、「柳腰」という言葉があるように、若くて美しい女性でもピッタリなんだ。

 室町時代の応仁の乱の頃、能登の国の大名・畠山氏の家来に、友忠という若い侍がいた。主君の信頼も厚く、特命を受けて、京都の大大名・細川家に使者として行く事になった。
 密使なので一人でひっそりと出発する。途中、猛烈な吹雪にあい、一軒のあばら家に泊めてもらうことにする。
 そのあばら家には、爺と婆、そして一人の美しい娘がいた。身なりは粗末だが、素晴らしい美貌で教養もある。友忠はすっかり魅せられてしまい、爺と婆の許しを得て、彼女を京に連れていく。当時は主君の許しが無ければ結婚できないので、友忠は彼女を隠していたが、細川家の家臣の1人が彼女を見つけてしまい、その美しさが細川候の耳に入り…。

 八雲の怪談って、だいたい江戸時代よりも前の話なのだ。明治時代に日本に来て、島根県松江中学の英語教師となった八雲には、江戸時代はお化けや妖怪が跋扈するほどの昔という感覚はなかったのかもしれない。

 この「青柳ものがたり」も、応仁の乱の頃の、世の中が乱れ戦国時代に向かいつつある頃の話なので、怪異にふさわしい時代と言える。
 この美しい娘は、名を青柳といい、こんな山奥のあばら家で誰に習ったのか、和歌を詠み、友忠が恋の和歌を詠みかけると、すらすらとそれに対して返歌するのだ。それに彼女が細川候に横恋慕され、拉致監禁された時も、友忠は彼女に自分の恋しい気持ちを漢詩に書いて送っている。すごーーーーーい!!!

 和歌はともかく、漢詩は男性の教養で、漢詩が理解できる女性は、ほとんどいなかったのではないだろうか?
 応仁の乱で京が焼け野原になり、文化人や知識人が地方に逃げて行った。それで地方に文化が広まった、という話を日本史の授業で聞いた事がある。青柳もそういう人に和歌や漢詩を習ったのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする