またまた芥川龍之介です。本来、短編作家なので1冊借りると、10作品くらい載っている。どの作品も短いけど、考える所多く、短編1本で一つのブログが書けちゃうね。
それに、明治・大正の人だから、言葉が難しく、何度も後ろの注釈を見てしまう。この『大導寺信輔の半生』も、23ページくらいの短編だけど、注が50もあり、芥川の教養の深さが偲ばれるね。私がモノを知らないだけかもしれないが。
しかし、原稿料はページ数で支払われるだろうから、いくら著名な小説家で単価は高いとはいえ、そんなに収入は多くなかったと思うよ。生活もラクじゃなかったようだ。
それに…女の人にもモテただろうなぁ。いろんな作品に、料亭で声を掛けられたので振り向くと、なじみの芸者が流し目を送ってきた…なんて記述が、あちこちにある。元女子アナの吉川美代子(バツ2)が「芥川龍之介みたいな人がタイプ」って言ってたけど、その感覚、分かります。
さて、この『大導寺信輔の半生』だが、或精神的風景画と副題がついている、芥川の自伝的作品。小学校時代から始まっていた、本に対する情熱は素晴らしい。
彼は本の上に、何度も笑ったり泣いたりした。それは言わば転身だった。本の中の人物に変わる事だった。彼は天竺の仏のように、無数の過去生を通り抜けた。イヴァン・カラマゾフを、ハムレットを、侯爵アンドレエを、ドン・ジュリアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を (本文抜粋)
それに、こういう箇所もある。
信輔は、才能の多少を問わずに友だちを作る事はできなかった。たとえ君子ではないにせよ、智的貪欲を知らない青年は、やはり彼には路傍の人だった。彼は、彼の友だちに優しい感情を求めなかった。彼の友だちは、青年らしい心臓を持たぬ青年でもよかった。いや、いわゆる親友は、むしろ彼には恐怖だった。その代りに、彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。(中略)いわんや、当時の友だちは、一面には相容れぬ死敵だった。彼は、彼の頭脳を武器に絶えず彼らと格闘した。(本文抜粋)
非常に魅力的な人だけど、側にいると怖いだろうね。絶えず、自分が試されているような気になる。
それに、明治・大正の人だから、言葉が難しく、何度も後ろの注釈を見てしまう。この『大導寺信輔の半生』も、23ページくらいの短編だけど、注が50もあり、芥川の教養の深さが偲ばれるね。私がモノを知らないだけかもしれないが。
しかし、原稿料はページ数で支払われるだろうから、いくら著名な小説家で単価は高いとはいえ、そんなに収入は多くなかったと思うよ。生活もラクじゃなかったようだ。
それに…女の人にもモテただろうなぁ。いろんな作品に、料亭で声を掛けられたので振り向くと、なじみの芸者が流し目を送ってきた…なんて記述が、あちこちにある。元女子アナの吉川美代子(バツ2)が「芥川龍之介みたいな人がタイプ」って言ってたけど、その感覚、分かります。
さて、この『大導寺信輔の半生』だが、或精神的風景画と副題がついている、芥川の自伝的作品。小学校時代から始まっていた、本に対する情熱は素晴らしい。
彼は本の上に、何度も笑ったり泣いたりした。それは言わば転身だった。本の中の人物に変わる事だった。彼は天竺の仏のように、無数の過去生を通り抜けた。イヴァン・カラマゾフを、ハムレットを、侯爵アンドレエを、ドン・ジュリアンを、メフィストフェレスを、ライネッケ狐を (本文抜粋)
それに、こういう箇所もある。
信輔は、才能の多少を問わずに友だちを作る事はできなかった。たとえ君子ではないにせよ、智的貪欲を知らない青年は、やはり彼には路傍の人だった。彼は、彼の友だちに優しい感情を求めなかった。彼の友だちは、青年らしい心臓を持たぬ青年でもよかった。いや、いわゆる親友は、むしろ彼には恐怖だった。その代りに、彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。(中略)いわんや、当時の友だちは、一面には相容れぬ死敵だった。彼は、彼の頭脳を武器に絶えず彼らと格闘した。(本文抜粋)
非常に魅力的な人だけど、側にいると怖いだろうね。絶えず、自分が試されているような気になる。