受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法改正案をめぐり、
厚生労働省が小規模な居酒屋や焼き鳥屋も例外とせず、
全国において「飲食店は原則禁煙」の方向で検討しているとの
ニュースが聞こえてきました。
私たちの育った年代では、
喫煙している大人達も周りでよく見かけましたし、
自分の子供の横で吸っている親とか、
これは私の記憶違いかもしれませんが、
中学生の頃、授業中だか試験中だかに
先生が同じ教室内で喫煙していたような記憶があります。
そして、年頃になると
私を含め少なくない同級生が喫煙者となりました。
その連中の煙草を吸う動機の多く共通するものとして、
これまたしょうもない子供じみたもので、
大人への憧れと言うか、見知らぬものへの興味とか、
映画の喫煙シーンのカッコ良さに憧れからといったものでしたが、
今や逆で喫煙するのはカッコ悪いという風潮となっているようです。
私の認識として、
世界に向けて禁煙、嫌煙の大きな号砲が鳴らされたのが、
ノルウェーの女性首相ブルントラントが
WHO(世界保健機関)の事務局長に就任した時の
一九九八年の演説で「煙草は人殺しの悪魔だ」と喫煙批判がそれで、
これをきっかけとして禁煙、嫌煙が
大きな流れとなっていったと認識しています。
立ち止まって考えてみれば、
煙草悪魔説の流れが始まってから早20年ですから
悪魔説の風潮のなかで生まれ育ってきた人達が
もう成人を迎えようとしています。
人のものの見方、捉え方は
幼少期から中学生の頃までに作られると
言われていることを考えると
年を重ねる毎に悪魔説を支持する人たちが増えて行くのも
自然なことかもしれません。
あれから長い期間にわたり、
悪魔派とそうでない派が煙草が健康に及ぼす害について
自分達の有利になるような資料を作成し
喧々諤々と自分たちの論調を述べていますが、
どちら側も決定的なものとなるものは
提出されていないように思います。
人は、物事を自分の見たいように見て、
聞きたいように聞き、
感じたいように感じているものですから、
同じものを見たとしても、
それぞれの自分の気持ちに合致するように
ついつい見てしまうものですし、
自分達にとって都合の良い資料をつい作成してしまうものなので
煙草は悪魔派の論調もそうでない派の論調も
私は、どちらも話半分として聞き、読むようにしています。
将来、どちらの論調が正しかったのか
結論が出る時が来るのでしょうが、
今の様子からすると真なる結論が出るのは、
まだまだ先どころか出ない雰囲気も感じ取れるので
真なる結論が出ないまま、
勢いのある方が押し切ることになりそうです。
煙草は、世の中にとってそこまで必要なものとも思えませんし、
私たちの健康にとって全く害がないとも思えません。
そして、
仮に悪魔派の考えが間違っていたとしても
大きな問題が起きるわけではありませんが、
そうでない派の考えが仮に間違っていたとしたら
大きな問題が起きることになりますから
そうでない派は、今の大きな流れを変えるのは
至難の業ではないでしょうか。
どちらの考えが正しいのかはさておいて、
私は、先のような法案については
迷いなく反対の意見を持っていて、
喫煙OKにするのも、分煙にするのも、禁煙にするのも、
各お店に任せておけば良い案件だと思いますし、
なにより法案がどっちつかずで生ぬるい!
煙草が個人の健康をそこまで害するものであるならば、
受動喫煙が国民の健康をそこまで害するのであるならば、
そこまで危険な毒物であるならば、
当然、全面煙草販売禁止、
喫煙禁止にするべきだと考えているので、
そのような法案であるなら賛成なのです。
私が憤りを感じているのは、
どっちつかずの方針についてです。
一方では、煙草は吸う人にも吸わない人にも
健康に甚大なる害をなすもの的なキャンペーンを張り、
ある種のイメージを植え付けようとして、
一方では、販売、喫煙を許可をして
昔のイギリスの3枚舌外交のようなことをやることで
世論は2極化し諍いの火種を作ってしまっていることです。
これを食べたり匂いを嗅いだら
その人の健康に甚大なる害を及ぼすものだけれども
スーパーの食品売り場で注意書きさえしていれば
食料として売ることにOKを出しているのと同じとしか思えません。
煙草悪魔説を
ここまで大きなうねりにしてしまったので
時のリーダーが一方の側から悪者となることを厭わず、
ハッキリとした方針を打ち出して
私達下々の国民同士の余計な諍いの火種となるものを
消し去ってもらいたいものです。
諍いが増えれば、イライラが募り、
それが煙草以外にも飛び火して
それまで受容出来ていたものが出来なくなることが増えます。
そのことによって
日本の社会に多くの部分を占めていた
優しさ、ゆとり、思いやりの気持ちに
嫌悪、怒り、敵愾心、疑い、不信感が取って代わり
世の中が殺伐としたものとなり、
社会が乱れる一因となりかねません。
ちなみにですが、
「煙草は人殺しの悪魔だ」と演説した
WHO(世界保健機関)の事務局長ブルントラントは、
誰かが近くで携帯電話を掛けると頭が痛くなるという
(電磁波過敏症の精神的な病気)状態だったので
あのような過激な発言をしてしまったと後に謝っています。
ひと昔前に電磁波から身を守るとして
白装束を纏った団体が
渦巻き模様の図柄を何枚も張り付けた異様な車で
全国を移動していたパナウェーブ研究所という団体のことを
申し訳ありませんが思い出してしまいました。
そして、
私が知り合った大手広告代理店の人曰く、
「私たちの仕事は、ダイエットにしても、美肌にしても、
健康にしても、例えその商品の効果が0.001でしかなかろうと、
如何に大きな効果があるかのようなイメージを消費者に持たせることです。」
と言ってのけた人もいました。
さらに、
ある国が煙草の害を国民に特に伝えず吸いたいだけ吸わし、
受動喫煙を咎めず野放しにして
100年以上にわたり、どのような影響があるのか
壮大な社会実験を行った国があります。
さすがにそのお陰ではないでしょうが、
その国民は、煙草に害などどこ吹く風よとばかりに
男女共に世界一の長寿となった国があります。
煙草が多大なる健康被害を及ぼすにしても
そこまで健康に害を及ぼさないものであるとしても、
その真実がどうであれ、
政府が国の方向を煙草販売禁止、喫煙禁止とするならば
私はには格別反対する理由もありません。ああそうなのです。
禁煙にチャレンジして何度も失敗している人に対しても
大いなる援護射撃となります。
何せ国内になくなるのですから
禁煙に失敗しようがありません。
煙草販売禁止、喫煙禁止の法案を通りやすくするための
風潮づくりの手法としては、
悪者や敵を作ることが手っ取り早くかなり効果的なので
昔からの上等手段なのですが、
悪の撲滅のため的にキャンペーンを張ると
それに変に感化された人の中には、
喫煙者を愚劣な者として過激な態度を示す者も出てきたりして
殺伐とした空気が生み出されかねませんので
良い手法とは思えません。
もっと健康で長生きするためにであったり、
空間の綺麗な空気の気持ち良さを再確認してもらったりの
もっと良くなろうキャンペーンを張ると
殺伐とした空気が生まれにくくなると思うのです。