2006年 アメリカ在住のある男性が
家の中で捕まえたネズミを生きたまま
焚火に放り込んだところ、
火の付いたネズミが家に駆け戻ったために
平屋の家は丸焼けに。
捕まえたネズミに灯油か何かをつけて
焚火の中に放り込んだのでしょうけど
運悪く?我が家に駆け戻り………なんで駆け戻る?
粘着シートとかネズミ捕り器のまま
焚火に放り込んだのなら
そこまで動けないと思うのですが………。
その辺りの細かいことや
上の男性の捕らえたネズミの処分方法についての
是非については横に置かせてもらって
とにかく男性が捕まえたネズミが
最後に一矢報いようとしたはずもないので
男性の家の中に捕まえたネズミの巣のようなものが
あったんでしょうかねえ。
何事も備えあれば患いなしで
想定通りに行かない時のことを考えて
対応を2,3準備しておけば
慌てふためくこともありませんし、
最悪の結果を防ぐことが出来ます。
まあ何らかの備えも、
ある程度の想定があってこそで
まさかあるまい。まあ大丈夫かな。そうなならんよね。
なんて想定が甘すぎると備えは疎かになるのは当然です。
しかしながら何事も起きなかった場合には、
心配ったから起きなかったのか、
そもそも何もせずとも起きなかったのか、
神様しか分からないことになるんですよね。
あれに注意をしていたら、
甘く見なければ、もっと配慮していれば、
なんてのは酷いことが起きた時にだけ
その時の選択が誤りだったことが
はっきりと判明するもので
何も起きなかった場合には、
それらが功を奏したのか、特に意味がなかったのか、
判別が難しかったりします。
例えば、数分程度の外出であっても
念のために玄関の鍵はしっかりかけておこう。
なんて場合もそうかもしれません。
数分と言えども鍵を閉めていたから
空き巣被害にあわなかったのかもしれませんし、
鍵を閉めていなくても
結果は、同じだったかも知れません。
ポジティブが神であるかの如く
前向き過ぎるのもどうかと思いますし
ネガティブが神であるかの如く、
心配、不安で在り続けることが
自分から災いを遠ざけると信じるのも
どうかと思います。
無頓着すぎるのも繊細過ぎるのも
真反対のようで本質は同じなのかも知れません。
大抵、大きな怪我を被る時は、
困難な課題と向き合う時ではなくて
課題や相手を甘く観たり、侮ったりしている時に
多く起きるものとは言え、
何度も行き来している道を運転する時や
電車に乗車する時など、
自分の身体に覚え込ませることが
出来るようなことにも
もしもの想定外を意識しすぎては
疲れ果ててしまいます。
大抵の場合は、嫌なことが起きても
割合と小さな記憶に残らないような不幸でしかなかったり
なんとか大きなダメージを被らずに
修正、修復が容易だったりするのですが
時に自宅が丸焼けになった男性のような
とんでもないダメージを被ることがあるので
せめて普段とは違うことを行う場合だけでも
せめて胸騒ぎを感じた時だけでも
物事や相手を侮らないようにして
大事にならないようにしたいものです。