2003年 エジプト南部で離婚して
22歳の娘が帰省したことに
父親が激怒して娘を2㎥の小部屋に監禁しました。
娘は、108日間後に
警察によって救出されました。
日本でも昔は、結婚して家を出ていく娘に対して
「2度と実家の敷居をまたぐんじゃない。」
と言っていたと聞いたことがあるにはあるのですが
私の周りでは、実際に言われたと
女性から聞いたことがないですし、
「いつでも帰ってきていいからね。」の方が
聞いたことがあるんですよね。
「家の敷居をまたぐな。」この言葉については
色々な捉え方がされているようですが
明治、大正、昭和の初めの頃は、何が何でも的な
かなり厳しい意味が込められたものだったかも知れませんが、
私の時代になると聞いたことが無い位なので
嫁いだら腹が立つことや我慢ならないことや
色々なことがあるだろうけれども
簡単に離婚してはならないとの
結婚に対する重さや覚悟を持たせる
両親からの最後の教えのようなものかなと思っています。
実際、結婚し他家の娘となったとしても
愛する実の娘であることに変わりはないので
看過できないような酷い状況であった場合には、
両親は、「もう帰ってこい。」と離婚を促していたようです。
エジプトの事件は、
離婚して実家を頼りに帰ってきた娘を
小部屋に108日間も監禁。
警察によって救出されなければ、
さらに監禁状態が続いていたんでしょうけど
父親は、いったいどれ位の期間を
監禁しようとしていたのだろうか。
もしかして父親の命が尽きるまで?
だとしたら怖いですね。
救出された後は、どうなったのだろうか。
イスラム圏のエジプトの慣習と言うのか
価値観は知らないのであれですが
警察によって救出されたとあったので
法的に許されない行為だと見なされていると
判断出来るように思うのですが
父親が逮捕されたとされていないので
身内間の問題でもあるので逮捕するまでには
至らないとの判断がされたのでしょうか。
でもなあ監禁するということは
世間との隔離を意味すると思うので
実の娘の離婚は、何々一族の名誉や誇りを
傷つける的な考えがあったのでしょうかね。
離婚して一番傷ついているのは
実の娘さんだと思うので
その実の娘さんを護ってあげることよりも
優先されるってそんなのは家の誇りや名誉で
あるはずがないと思うんですよね。
なのでどこかの地点で
優先順位が間違ってしまったんでしょうね。
毎日、お祈りをすることで
心が安定し落ち着いた毎日を過ごせるから
毎日、お祈りをしないと
心が乱れ、不幸に見舞われるとなり、
仕事よりも家族よりも恋人よりも
毎日お祈りすることが
第一優先となるようなものかな。
何か良いことが起きたら信心とお祈りのお陰、
何か悪い事が起きたら信心とお祈りが足らない。
こんなん都合良過ぎるっしょ。
飛行機が墜落しなかったのは信心とお祈りのお陰、
朝、太陽が昇ったのも信心とお祈りのお陰………。
もうこうなると誰かの術中にはまり込んで
そのおかしさに気が付かなくなっている状態ですね。
伝言ゲームの如く言葉に込められた最初の意味が
少しずつ少しずつ拡大解釈されたり、
逆の意味になってしまったりすることは
世の中には少なくないんですよね。
自分の考え、気持ちを忘れたり、
大切な何かを手放したりして
悪戯に流されてしまわないことが大切かも。