1993年 アメリカのサンフランシスコ州の
レストランで子連れの若い母親が
5人組の女性客から喫煙を咎められました。
これに腹を立てた母親が女性らを待ち伏せして
お店から出て来た一人を散弾銃で射殺しました。
日本でもJR宇都宮線の列車内で
加熱式タバコを吸っていた28歳の男に
注意をした男子高校生が逆上した男に
殴る蹴るの暴行を受けた事件が1月にありました。
禁煙の車内で喫煙をして注意をしてきた相手に
逆上して暴行するって絶句します。
高校生の正しさが犯人の勝手な都合に
暴力によって潰されましたが
犯人の男の身勝手な暴力も
圧倒的な力を持つ国家権力に潰されました。
訪れた飲食店の禁煙座席が満席であったことから
喫煙可の一画であることを納得して席につき
喫煙席で喫煙している客に向かって
「喘息なのでタバコを吸うのを止めた貰えませんか。」
とお願い的に伝えるのならまだしも
喧嘩腰で文句や嫌味等を言って
トラブルになったなんて話も聞きます。
サンフランシスコのレストランのトラブルから
起きた銃撃事件そのものについては、
どのような理屈をこねようと
射殺して良いわけはないので論外ですが
どのような状況だったのか気になる所です。
レストランが全面禁煙だったのか
喫煙可能だったのか、
犯人の女の親としての尊厳が
丸潰れにされるような
厳しい言葉を浴びせられたことで
攻撃的な性質の女の暴力を誘発してしまったのか、
普段から犯人の女は、
攻撃的な性質の持主であったのか分かりませんが、
この犯人の女の暴力を遥かに上回る
国家権力に確保されルールに則り処分を受けます。
どうであれ、とどのつまりは
極真会創始者の大山倍達氏が言っていた
力無き正義は、無能なり、
正義無き力は、無能なり。
なのかなと思ったりします。
なので強力な力と正義を有している国家権力が
社会治安と秩序を守る国家の元で生活を営めることは
有難い事なんだと思ったりします。