1982年 東京・巣鴨にあるサラ金事務所に
押し入った強盗が店員に「金を出せ!」と要求。
その場に居合わせた店員の4人は怖さで
身体が硬直し声も出せなくなり
しばらくの間、沈黙状態が続きました。
その長い沈黙状態に耐え切れなかったのか
強盗は何も取らずに逃走。
前にも確かコンビニ強盗が
店員に「金を出せ!」とすごんだけれども
外国人店員が????的な反応をしたため
犯人が何も取らずに逃走した。
何てことがあったように記憶しています。
犯人側が物理的な攻撃を仕掛けることを
選択肢から排除していたと思われるのですが、
そうであった場合に相手が恐怖で固まってしまうと
脅しに屈しない相手と相対したのと同じで
犯人にはどうしようも出来なくなります。
どちらの事件も犯人が冷淡な人物であったり、
かなりの興奮状態であったりした場合には、
危険な状況に突入することもあったとは思いますが、
そうならなかったのは幸いでした。
さてですが、会話が途切れてしまったり、
お互いに黙り込んでしまう気まずい状況になると
その状況を出来るだけ早く終わらせたいと思ったり、
そうなることを避けたいと思ったりします。
相手が気分を害しているとか、
相手が呆れているとか、
相手がその会話内容に興味が無さそうだとか、
エアーポケットに入ったかのように
たまたま話題が途切れただけとか、
その沈黙の理由が察知できるものであるなら
それに合わせて対処することも出来ます。
多くの場合は、常に互いの間で
脊髄反射的な会話が展開される訳がなく
考えを巡らせているとか、
自分の場合に当てはめて想像しているとか、
数珠つなぎに記憶を巡らせているとか
脳内で何かの作業をしている時間であったり、
ただ単に話題が途切れただけです。
しかし、それほど仲の良い間柄でない場合には、
それまでの会話の流れからも
これといった理由が見いだせず、
相手の非言語(表情、仕草、姿勢等)からも
理由が全く読み取れない沈黙が起きている状況には、
戸惑いもしますし不安を感じたりするかもしれません。
そのような沈黙は特殊な場合だけに起きるのではなくて
日常でも当たり前のように起きても不思議ではないので
沈黙に対して過大な不安や恐怖を感じるようだと
人との交流が限定的になったり、
交流に精神的負担が大きく感じるようになると
人との交流を出来るだけ遠ざけたりするようになります。
沈黙に過大な苦手意識を持つようなら
その原因が自分にあるのでは………
過大な反応に合致するだけの
酷いことを自分がしたのではと
心の中で可能性を創り上げていることになります。
自分が何か悪いことをしてしまったのではないか?
この人に嫌われてしまったかも?
酷いことを言ってしまったかも?
ややこしい人間、厄介な人間だと思われたかも?
馬鹿で愚かな人間だと思われてしまったかも?
話をしてもつまらない人間だと思われたかも?
愛想をつかされてしまった?
等々。
実際に相手がそう思うだけの何かの原因が
自分にあった場合には、
相手の気持ちを知り、理解すれば
自分の意識を少し変えることで
関係性を良くすることに繋がります。
相手が沈黙の中で自分に求めていることが
自分の心の疲弊へと繋がるような
単に我慢や辛抱を強いるものではないようなら
相手のそれは相手との関係性を良くする
ヒントを得ることになります。
そして、
沈黙の原因が必ずしも自分にあるとも限らず、
相手側にあることも少なくなかったりします。
犯罪行為が行われた訳では無いので
どっちが悪いかを究明したり、
どの程度の責任があるのかを追及したり、
酷く腹を立てたり、罪悪感を感じて
酷く落ち込んだりすることよりも
その状態を良くすることを考え、行動することの方が
遥かに大切なことのように思うのです。
注文した料理とは違う料理が運ばれてきた時や
提供される時間が遅い時に、
腹を立てて店員をああだこうだと
延々と責め立て続けても
それに費やした時間の分だけ
美味しい料理を求める自分のお腹が
災難を被るんですよね。